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  • 京都らしさとらしくなさ <京都歩き第3回>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 私たちは多かれ少なかれ、京都に対して幻想を抱いている。勝手にイメージを抱いているのみならず、それを京都に押しつけようとするところがある。京都らしいものを見て喜び、京都らしくない部分を見て不満を口にする。それは異国の人が日本に対して間違ったイメージを持っているのと違いがない。京都にしてみたら迷惑な話だろう。 今回、京都の街を歩きながら感じたのは、私たちが思い描く京都...

    2010/02/01

    京都(Kyoto)

  • 京都でロジコレ <京都歩き 第2回>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 京都がいくら路地の魅力的な街だといっても、観光客として訪れて路地ばかり喜んで撮っている人はあまりいないと思う。でも、たまにはそんな人もいるんじゃないか。世の中には考えている以上に、様々な分野での物好きが存在している。 私もちょっとした路地好きとして、普段から歩きながら路地の写真を撮ることが多い。京都も例外ではなかった。いい路地を見つけると反射神経のように撮りまくっ...

    2010/01/31

    京都(Kyoto)

  • 私の目に映った2010年冬の京都 <京都歩き 第1回>

    PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 その街のことをよく知るには歩くのが一番というのを経験的に知った。住んでいても歩かなければ気づかないことがたくさんある。土地勘はなくても、一日歩けば感覚的にかなり分かる。情報としてだけでなく、街の空気感とか、人の様子とか。 京都行きの思いはここ数年来ずっとあった。なかなか実現しなかったのは、機が熟していなかったからだと自分では思っていて、今回行くことができたのは、よ...

    2010/01/30

    京都(Kyoto)

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京都らしさとらしくなさ <京都歩き第3回>

京都(Kyoto)
京都らしさ-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 私たちは多かれ少なかれ、京都に対して幻想を抱いている。勝手にイメージを抱いているのみならず、それを京都に押しつけようとするところがある。京都らしいものを見て喜び、京都らしくない部分を見て不満を口にする。それは異国の人が日本に対して間違ったイメージを持っているのと違いがない。京都にしてみたら迷惑な話だろう。
 今回、京都の街を歩きながら感じたのは、私たちが思い描く京都というのが案外狭い範囲内に封じ込められていることだった。確かに観光エリアに入ればそこはイメージの中にある京都には違いないのだけど、街中は地方の都市とほとんど変わらない没個性的な姿をしている。京都の街もまた、急速な変化を免れられずにいるようだ。ある時期を境にして、古い部分と新しい部分との二極化を受け入れたと言った方がいいのかもしれない。その象徴が巨大な駅ビルだろう。
 歴史のある場所は残しつつ、京都も立ち止まってはいられないといったところだろうか。きちんと訪れたのが20年ぶりということで、余計にそういうことを感じたに違いない。
 いくつか考えていた撮影テーマの一つとして、京都らしさと京都らしくなさ、というのがあった。京都らしい部分は必然的に撮ることになるだろうから、京都らしくない部分を意識的に撮っていこうと考えていた。京都らしくなくてなおかつ魅力的な被写体というのがどういうものなのか、行ってみるまでよく分かってはいなかったのだけど、撮り歩いているうちに自分が京都らしくないと感じる部分がだんだん見えてきた。
 今日はそんなテーマで写真を集めてみた。観光地ではない京都を撮りつつ、被写体としての京都の魅力を探っていきたい。

京都らしさ-2

 京都駅北西の裏手あたり。やや道に迷っている最中。しばらくは街の感覚が掴めなかった。
 平安京があった位置は、現在の京都市街地とほぼ重なっている。それより少し狭い範囲だ。北は一条から南は九条まで、地名としても残っているから分かりやすい。京都駅は南の端に近い部分だから、かつての都の中心はそこからもっと北ということになる。
 北の端に大内裏を作り、そこをぐるりと囲んで南の出入り口に朱雀門を置いた。そこから真っ直ぐ南に朱雀大路を伸ばし、南端は羅城門が守りを固める。
 京都は確かに歴史のある街で古い建物もたくさん残ってはいるけど、さすがに平安時代のものは少ない。長い歴史の中で何度も戦火や火災で焼けた。第二次大戦の空襲で焼かれなかったのは不幸中の幸いだった。戦争があのまま続いていたら京都もただでは済まなかった可能性もある。
 奈良の平城宮がやったように、京都も朱雀門か羅城門あたりを復元しないだろうか。奈良とは違って京都は完全に街中だから、当時の場所に復元するのは難しいだろうけど。

京都らしさ-3

 京都だってこんなところがあってもいい。むしろ、あまり小綺麗に体裁を整えずに、こういうところも見せていっていいんじゃないか。私はこういう姿の方が安心する。歳月が生み出すありのままの光景だから。

京都らしさ-5

 広い五条通。現在の国道1号線でもある。
 旧東海道はどこの通りだったのだろう。このときは何も意識していなかった。
 東海道と中山道の終点は、三条大橋だ。五条通からもっと北へ行ったところだ。

京都らしさ-6

 よく見かける提灯型の花を咲かせるやつ。いつも名前を忘れる。
 京都の格子に咲いていると、なんだか風情のある花のようだ。

京都らしさ-7

 松影と障子窓と渋い壁。和の心。
 京都に限った光景ではないけど、京都によく似合う。

京都らしさ-9

 京都にも昭和レトロはあちこちに残っている。昭和の風景と京都は必ずしもイコールではなく、昭和っぽい店や建物を見ると、なんとなく京都らしくないと思ってしまう。

京都らしさ-8

 懐かしい感じの店構え。老舗の紙屋さんだろうか。時代と共に文房具屋さんに変化していったようだ。最近はこういう個人の店でハガキや切手を扱っているところが少なくなった。

京都らしさ-10

 たまたま前を通りかかった中学。生徒が門から入っていったので、ちょっと撮らせてもらった。
 京都の学校が他と何か違ったことをしているのかどうか知らない。神社仏閣に対する特別授業なんてものがあるわけではないだろう。
 顔だって京都っぽいとかそんなことは見分けがつかない。違うのは言葉遣いくらいだろうか。

京都らしさ-11

 銀閣寺荘。こんなものは早い者勝ちだ。

京都らしさ-12

 伝統味溢れる建物。個人の運送店というのは、いまどき珍しいんじゃないだろうか。昔からのお得意さんで成り立っているのだとしたら、古い街京都ならではと言えそうだ。

京都らしさ-13

 日の出の勢いはなくなっても、まだまだ頑張っている個人の薬局。これだけドラッグストアが増えても、薬局というのは案外どこも続いている。個人経営ならではの部分があるらしい。

京都らしさ-14

 京都に団地は似合わないと思った。実際はどうなんだろう。市街地にもたくさん団地は建っているのだろうか。

 今回は京都らしくない写真が並ぶことになった。何を撮ってるんだと自分でもちょっと思ったけど、これらも京都で撮ってきた写真だ。
 京都らしい写真もあるから、次回からは普通の記念写真なども紹介していきたいと思う。

京都でロジコレ <京都歩き 第2回>

京都(Kyoto)
ロジコレ-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 京都がいくら路地の魅力的な街だといっても、観光客として訪れて路地ばかり喜んで撮っている人はあまりいないと思う。でも、たまにはそんな人もいるんじゃないか。世の中には考えている以上に、様々な分野での物好きが存在している。
 私もちょっとした路地好きとして、普段から歩きながら路地の写真を撮ることが多い。京都も例外ではなかった。いい路地を見つけると反射神経のように撮りまくった。
 いい路地の定義というのは特になくて、なんとなく雰囲気が好きというだけのことだ。路地へ深く踏み入れて何か面白いものはないかと探検したりというようなことはあまりしない。ただ、風景としての路地を撮るのが好きなだけで。
 撮ってきた写真を見返してみたら、やっぱりたくさんの路地写真があった。せっかくなので、使えるものは全部出しておきたい。それならいっそ、まとめて紹介してしまうのがいいんじゃないかということで、京都シリーズ第2回は路地写真編ということにした。
 題して、ロジコレ2010イン京都、だ。
 路地だけに観光エリアは少なく、地元の人しか分からないような場所が多くなっている。京都の人からしたら、きみは20年ぶりに京都を訪れてこんなところを歩いていたのかとあきれるかもしれない。

ロジコレ-2

 まわりには一人の観光客も歩いていないようなところ。道行く人はみんな地元の人のようだった。
 けど、こういう部分の京都を撮りたいというのも今回の目的の一つとしてあった。観光地ではない京都の一面を、わずかながらも撮れたように思う。
 軽トラで野菜を売りにきている人や、自転車のカゴに仏壇用の花束を入れて走る人。新旧入り交じった家並みや、「ゆ」の看板。
 地方のどこにでもありそうで実際はありふれているわけではない、京都らしさを感じる生活空間。

ロジコレ-3

 町内会の周辺の人しか行き来しないような路地。私などは完全に場違いな観光客で、写真を撮ってなかったら道に迷ったかわいそうな人にしか見えなかっただろう。
 もっと時間があれば、こういう観光地ではないところもいろいろ歩いてみたかった。観光エリアとはまた違った魅力がある。
 京都へ行ったからといって京都らしさを撮らなければいけないわけではない。京都を撮るのではなく、京都で撮ると思えば、写真はもっと自由になって、可能性も広がる。結果として、撮れた写真はその場所へ行かなければ撮れなかったものなのだから、それが正解となる。

ロジコレ-4

 こういう路地を見つけると嬉しくなって頬が緩む。なんとも言えずいい感じだ。
 ずっと昔の前世で、路地のノラ猫をやっていたのかもしれない。こういうところに入ると気持ちがなごむというか、気分が落ち着く。

ロジコレ-5

 公と私の境目が曖昧なのも路地の特徴であり、魅力ともなっている。路地は公道でもあり、半分私有地でもある。隣近所の人たちで共有しているという感覚だろうか。
 生活感の強い路地を垣間見せてもらうのが好きだ。これ以上入っていきたいというふうには思わない。

ロジコレ-6

 観光エリアに近いところは、店の看板などもよそゆきな感じがある。少し身構えているようで、雰囲気は固い。よそ者が入ってこない路地は、気安い雰囲気で空気が柔らかい。
 人力車はもちろん、観光客向けのものだ。

ロジコレ-7

 路地でもある程度の広さがあるところは車が通る。これくらい広い道は、もう表通りに近くて、路地とは呼べないか。
 路地の定義としては、建物と建物の間の細い道、というのが一般的だと思う。路地と路地裏の違いが今ひとつよく分からないのだけど、そのあたりはあまり厳密には考えていない。

ロジコレ-8

 路地写真の魅力の一つは、人が入ることだ。いいタイミングでいい人が入ると嬉しい。あー、おじさん、ちょっと邪魔でした。

ロジコレ-9

 和装のおばさまがいい雰囲気に彩りを添えてくれた。
 車が雰囲気を壊しているのは、まあしょうがない。
 そういえば、京都というのはこれだけ歴史のある観光都市のわりに電線、電柱の地中化が進んでいない。日本の中で率先して取り組んでいかなければいけない街だと思うけど。
 ここ数年でようやく東山区の地中化が終わったところのようだ。そういえば産寧坂あたりはすっきりしていい景観になっていた。
 民主党は公共事業削減で、電線地中化の金を出さないようなことを京都に言ってるらしいけど、やるべきことと無駄なこととをちゃんと区別しなくてはいけない。お金にならないことがなんでもかんでも無駄というわけではない。

ロジコレ-10

 路地にも反応するし、人にも反応する。人に反応したらそこに路地があったという場合もある。路地と人と私との幸せな出会い。

ロジコレ-11

 古い家並みの敵、エアコンの室外機。着物を着た侍が腕時計をしているようなもので、これが時代考証を一気に吹き飛ばしてしまう。
 家電製品のデザインも最近はだいぶ洗練されてきたのだから、エアコンの室外機もなんとかして欲しい。木造家屋用の木目調なんかが選べてもいいではないか。

ロジコレ-12

 観光ゾーンに近いところだから、整然としている。ここまで整備されてしまうと、かえって面白くないと思ってしまうのは贅沢な話か。

ロジコレ-13

 京都には打ち水の文化がまだしっかり生きているようだけど、冬場でも水を撒いたりするのだろうか。雨でもないのに路地の地面が濡れているところがあちこちにあった。
 打ち水は暑さを和らげるためだけでなく、ホコリが舞い上がらないようにする効果もあるから、そういう意味で冬でも水を撒いているのかもしれない。
 見た目にも風情が増していい。

ロジコレ-14

 これまたすごいのを見つけた。ここまで細く曲がりくねっているのは、離島くらいじゃないとなかなか見られない。
 自転車ですれ違うのも、片方は降りないといけないくらいだ。

ロジコレ-15

 ロジコレ、楽しんでいただけただろうか。個人的にはとても楽しかった。収穫も多かったと感じている。
 またどこか別の街の路地で会いましょう。

私の目に映った2010年冬の京都 <京都歩き 第1回>

京都(Kyoto)
京都歩き1-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 その街のことをよく知るには歩くのが一番というのを経験的に知った。住んでいても歩かなければ気づかないことがたくさんある。土地勘はなくても、一日歩けば感覚的にかなり分かる。情報としてだけでなく、街の空気感とか、人の様子とか。
 京都行きの思いはここ数年来ずっとあった。なかなか実現しなかったのは、機が熟していなかったからだと自分では思っていて、今回行くことができたのは、ようやく気持ちの中で準備ができたからだった。京都を撮りたい気持ちが高まったからと言った方がいいかもしれない。
 10年くらい前に、ふと思い立って車で行ったことがあった。あのときは京都へ行くことそのものが目的で、ほとんど車から降りることもなく、街中を流して終わった。その前というと、更に10年近く遡ることになる。実に久しぶりの京都ということになった。
 今回の京都行きの目的は、歩くことと撮ることだった。観光や歴史巡りではなく。なので、寺社の拝観は極力抑えて、とにかく歩くことを優先した。京都の街の風景やスケール感を実感するために。
 京都駅を降りて、東西の本願寺を横に見つつ、五条から清水寺へ行き、建仁寺、祇園、八坂神社、平安神宮と北上し、哲学の道、下鴨神社と回り、京都御所を突き抜け、二条城というコースを巡り歩いた。ほぼ立ち止まることなく7時間半。時間が短い割にくたびれた。
 一般の観光客がこんな無茶な歩きコースを設定することはまずないだろうし、京都に住む人はもっとしないであろうコース取りだ。私ももう一度歩けと言われても断る。
 京都はまだまだ他にも東西南北に観光名所があって、二度や三度では回りきれない街なのだけど、中心部の地理やスケール感はだいぶ把握できた。街が碁盤の目状になっているから、感覚的に分かりやすいというのもある。
 写真は、なるべく観光案内的にも説明的にもならないように心掛けて撮った。帰ってから京都の歴史の勉強をするつもりはなかったから。
 京都らしいところもあり、京都らしくないところもあり、なんだかんだで自分らしい写真になったのではないかと思う。京都まで行っても、相変わらず人入り写真と路地ばかり撮っていた。
 一回目の今回は、撮ってきた写真の中で、気に入った写真を集めて並べてみることにした。これが今の私の目に映った京都の風景だ。

京都歩き1-2

 京都は祈りの街だ。日々の暮らしの中に祈りがある。神仏と近いところに生活があると言い換えてもいい。
 街中の都会化ぶりはのけぞるものがあったけど、それでもやはり京都は京都らしさを失っていない。そこに宿命といったようなものを見る。ここに生まれた以上、歴史を守り伝えていくことを使命として受け入れているというのか。
 京都人の精神構造は京都に生まれなければ分からないにしても、神仏への優しさはよそ者から見ても感じられる。同じように歴史のある奈良や鎌倉とも違っている。
 普通の京都人がどこまでそれを自覚しているのかは分からないけれど。

京都歩き1-3

 自分の中の勝手なイメージだけど、昔の京都はもっと街全体が観光地のような雰囲気だったのに、今の京都は一般の街ゾーンと観光地ゾーンがはっきり分断されてしまっているように感じた。駅周辺をしばらく歩いていたとき、あまりにも観光地でなくて戸惑った。これじゃあ普通の街と同じではないかと。
 ただ、観光地ゾーンに入るといきなり観光地の空気に一変して、それはそれで少し困惑した。たぶん私の感覚的な部分だけではなく、実際にそうなのだ。観光地のスピードがゆっくりなのに対して、観光地の外の変化スピードが速いから、その差が昔より大きくなったのだろう。
 子供の頃は、京都の駅前はずいぶん静かなものだった。電車を降りたってすぐに、ああ、京都へ来たと思ったものだけど、今はもう清水寺あたりまで行かないと京都らしさが始まらない。
 二寧坂などは、いかにもといった光景で、セットのような違和感がある。

京都歩き1-4

 京都は路地の宝庫で、いい路地がやたらある。それらをいちいち撮っていたら、路地写真ばかりになりそうだった。どんだけ路地撮ってるんだよと、自分にツッコミが入った。
 ロジコレだけで一回分になる枚数がある。

京都歩き1-5

 舞妓はんが前からやって来た。ぎりぎりまで引きつけたい気持ちはありつつ、あまり至近距離で撮るのも失礼かと、遠慮がちな距離でシャッターを押してしまう。
 ある程度は撮られ慣れているにしても、舞妓さんも思いはいろいろだろうし、観光客と道行く舞妓さんの関係性は微妙だ。外国人のようにアグレッシブに撮るのははばかられる。
 それにしても、ものすごい派手な出で立ちで、京都の街以外では成立しないのではないかと思わせる。うちの近所でこの恰好をして歩いていたら、まず悪い噂が立つ。

京都歩き1-6

 観光メインゾーンから少し外れるだけで、ふいに静かになる。これが冬の京都のいいところだ。
 年中人で溢れる京都の街も、1月半ば以降から2月は観光客が極端に少なくなる。寒いということもあるし、時期的な見物も少なく、何より修学旅行生がいない。もちろん、桜や紅葉の時期もいいのだけど、冬の京都は狙い目だ。普段着に近い京都の一面を見ることができる。

京都歩き1-7

 八坂神社の和装仲良しおばさま三人組。
 さすがに着物の人が多い。観光客もいるのかもしれないけど、多くは京都の人じゃないだろうか。和服を着ていても違和感がなく溶け込むのは、京都ならではだ。

京都歩き1-8

 これが一力の朱色だ。東山魁夷も京都シリーズの中で描いた。
 雅な柿色と言った方がいいだろうか。京都らしい色の一つだ。

京都歩き1-9

 観光客向けでもあり、地元御用達でもあり、生活空間でもあるといった、そんな混在感に惹かれる。

京都歩き1-10

 拝観料を取っているところは全部パスした。高いというのもあるのだけど、有料のところだと入ったからには全部見たいと思って時間がかかってしまうから、今回は最初から行かないと決めていた。
 京都も無料で入れる寺社はけっこうあって、建仁寺などもそうだ。せっかくなので、少しだけ寄ってきた。本堂などは見ず、表だけざっと。

京都歩き1-11

 祇園で花壇の手入れをする腰が曲がったおばあちゃま。
 こういう日常の感じが撮りたくて冬の京都へ行ったというのもある。桜の季節など、このあたりは人波が途切れることはないだろう。

京都歩き1-12

 地方にも格子の町屋造りの家屋が残っているけど、本家である京都のものは風格の違いを見せる。本物ゆえの説得力とでも言おうか。歴史と伝統の違いか。

京都歩き1-13

 平安神宮は明治に創建されたものだから、歴史的なありがたみはあまりない。しかしながら、社殿は立派だし、境内の雰囲気もいい。ここも参拝しておいた。
 雲間から降りそそいだ光が、屋根と鴟尾(しび)を照らす。

京都歩き1-14

 哲学の道で出会った猫。
 目の前を駆け抜けていく途中、一瞬立ち止まってカメラ目線をくれた。ありがとう。この日、この写真を撮れたときが一番嬉しかった。

 たくさん写真を撮ってきたから、しばらく京都シリーズが続くことになりそうだ。
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