カテゴリ:物(Objet)

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  • サヨウナラ、20世紀の家電たち

    Canon EOS 650+SIGMA28-200mm(f3.5-5.6)+Kodak GOLD100/ D2400UF 使命を終えて電気屋の裏で捨てられるのを待つ電化製品たち。テレビ、洗濯機、ガス湯沸かし器、冷蔵庫、ガスコンロ。20世紀の夢の残骸を見ながら、頭の中で下川みくにの「サヨウナラ! 20世紀の僕たち」が流れる。 ♪サヨウナラ 20世紀の僕たちはいつも 後悔ばかりで  サヨウナラ ため息ついていた毎日 夢と現実離れすぎていて 悔しい思い続いてた  サヨウ...

    2006/02/22

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  • 家庭用精米器の普及率10パーセントを目指して

    Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/4s(絞り優先/三脚) 今日は精米機を紹介しようと思う。と思ったら、第一歩目でつまずいた。精米機? 精米器? どっちが正しいんだろう、というところで。どっち? どちらも漢字変換するし、どちらで検索してもたくさんヒットするから、両方間違いではないのだろう。ひとつヒントとしては、コイン精米機は精米機であって精米器ではないということだ。やはり業務用は大きくていか...

    2006/01/08

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  • 来年の戌年に向けて犬の勉強を

    Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/60s(絞り優先) しばらく前から通路にこの犬の置物が放置されている。誰が何の目的で置いたかは分からない。ときどき位置が変わってることがある。近所の人のものなのかどうなのか。この日は夕陽を浴びながら外を向いていた。写真を撮るために私がここに置いたわけじゃない。明日は別の場所に転がっているかもしれない。 これまで犬には縁のない人生を送ってきた。飼える環境になか...

    2005/12/21

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  • 和食器の目覚め。寝た子を起こしたか!? 2005年12月1日(木)

    Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 0.5s(絞り優先/三脚) 料理に目覚めたら必然的な流れとして次に食器へと気持ちが向かうのを止めることはできない。これは誰しも通る道だろう。うんうん、そうに違いない、と誰にともなく言い訳をして買った、織部(おりべ)のご飯茶碗と湯飲みのセット。 別に言い訳をして買わなくちゃいけないほど高いものでもないのだけど、この小さな一歩がのちに雪崩を打ったような食器買い漁...

    2005/12/02

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サヨウナラ、20世紀の家電たち

物(Objet)
20世紀の残骸

Canon EOS 650+SIGMA28-200mm(f3.5-5.6)+Kodak GOLD100/ D2400UF


 使命を終えて電気屋の裏で捨てられるのを待つ電化製品たち。テレビ、洗濯機、ガス湯沸かし器、冷蔵庫、ガスコンロ。20世紀の夢の残骸を見ながら、頭の中で下川みくにの「サヨウナラ! 20世紀の僕たち」が流れる。

 ♪サヨウナラ 20世紀の僕たちはいつも 後悔ばかりで
  サヨウナラ ため息ついていた毎日 夢と現実離れすぎていて 悔しい思い続いてた
  サヨウナラ 足りないものを欲しがって みんな同じ人を追いかけ 寂しさ紛らわしていた♪


 下川みくにって誰だ? と思ったあなた、心配しなくても大丈夫。知ってなければ人に笑われるとかそういう人じゃないですから(それとも意外と有名?)。
 これは「山部山麓デパート」だろう! と思った人は、今度「北の国から」の話をゆっくりしましょう。その代わり、話し始めると長くなりますので要注意。
 山部山麓デパートってどこにあるんだ、場所を教えて欲しい、と私にメールで問い合わせても答えられません。シークレットとかそういうことじゃなくて、実際にはないものなので(いや、あるのかな?)。

 20世紀は戦争の世紀だったとか、飽食の時代だったとか、激動の100年だったとか、いろいろな言い方をされる。20世紀は家電の時代だったという言い方もできるだろう。特に高度経済成長期に生きた人間にとって、家電にはいろいろ思い出あるんじゃないだろうか。家電大好きの私としては生まれるのが遅かったなと残念ではあるけど、20世紀の最後30年間を思い返してみると、ずいぶん変わったものだなと感じている。
 最初の家電らしい家電は意外にも電気アイロンだった。国産初のアイロンが発売されたのが1915年だから、ラジオの1924年よりも10年近く前ということになる。それまで寝押し(ふとんの下に敷いて寝る)くらいしかなかったわけだから、当時の人にとってアイロンというのは画期的なものだったろう。
 電気洗濯機は1930年、続いて電気掃除機が1931年、以後続々と電化製品は発売されることになる。面白いのはすべて頭に電気が付く点だ。そう、電気というのは魔法のような響きを持っていた言葉だったのだ。しかし、値段の高さから一般庶民が買えるようになるのは戦後ずっとあとになってからのことだ。
 戦後一発目のヒットは1947年のトースター。それまでパンなどほとんど食べなかったであろう日本人なのに、戦争に負けてすぐ相手国のパンが美味しいからみんなで食べようと思ってしまうあたりに日本人のお人好しさがよく表れている。
 1953年にテレビ放送開始。そしてもうひとつこの年大物が登場した。噴流式洗濯機だ。今でこそ洗濯機など安いもので当たり前に持っているけど、これがなかった頃は、たらいで手荒いしていたわけで、冬場はもう大変だった。洗濯機ほど主婦の人たちにとってありがたかったものはなかっただろう。
 2年後には電気釜が登場して、これで家事は一気に楽になった。次の年の目玉は電気冷蔵庫。この頃になると庶民でも少しずつ電化製品を買えるようになる。白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機は三種の神器と呼ばれ、庶民の憧れだった。その後「3C」と呼ばれるカラーテレビ、クーラー、カーに変わったのは覚えてる人もいるかもしれない。

 個人的に思い出深い家電というと、やはり高校生の時のビデオだろう。テレビを録画できるってことはそれまでにないことで、あれでずいぶん生活が変わったような気がする。レンタルビデオ屋が初めてできたのもその頃だ。
 レコードがCDになったり、ビデオがDVDになったなんてことは大したことじゃなかった。ゼロから100になったわけではなく、それまであったものがグレードアップしただけだから。
 パソコンを初めて買ったのは中学生のときで、これは友達の中では一番早かった。当時はマイコンと呼ばれていて、それはくら~いやつしかやらないものという偏見が充ち満ちていたのだった。いや、私は暗くなかったんだけど。
 ファミコンの登場が大学生のとき。PSは大学を卒業してから。ゲーム機とのつき合いも長いけど、子供の頃ファミコンがなくてよかったなと思う。あんな楽しいものがあったら外で遊ばなかっただろうし、そうだったら外で遊ぶ楽しさを知らずに大きくなってしまったから。
 最近でいえばインターネットに携帯電話、デジタルカメラあたりだろう。それらなしに生活は成り立たなくなっているけど、ワクワク、ドキドキするようなトキメキを感じてはいない。親の世代が感じたであろうテレビの登場したときの驚きと熱狂みたいなものを体験してないといのは寂しい。私たちは物心ついた頃から電化製品に囲まれて育ってきたから、そういう部分では感覚が鈍くなっているのだろう。自分では今さらどうすることもできないけど、少し残念に思う。

 これからはオール電化の時代だ。だって、そういう時代でしょ、とCMで酒井法子も言っていた(中部電力のCMだから、こっちの人しか見たことない?)。のりぴーでさえそんなことを言う時代になったのか、とあれを見ると感慨深いものがある。のりぴー語はどうした? あと10年もしたら、これからは太陽電気の時代ですよね、などとゆうこりんがクールに言い放つCMを私たちは見ることになるのだろうか? コリン星には安全なエネルギーはないのか。
 新三種の神器は、液晶(プラズマ)テレビ、DVDレコーダー、デジカメなんだそうだ。わっ、3つのうち2つも持ってない! ダメじゃん、私。21世紀に乗り遅れてるー。
 ようやくリサイクルということが言われ始めてはいるけど、今後も大量生産、大量消費の流れは続いていくのだろう。そして家電は目には触れない場所で捨てられていく。20世紀の家電には夢があったけど、21世紀の家電にはそれさえもなく。
 たとえば50年後、捨てられて積み重ねられた家電はどんな姿をしてるんだろう? 私たちがこれから初めて触れる最新の電化製品たちなのだろうか。その光景を今はまだ想像することができない。
 もし20年後の未来にタイムマシンで行くことができたなら、私は家電捨て場に行こう。そして見たこともないような最新型の壊れた家電をいっぱい持って帰るのだ。そんなものを持って帰れませんと止められても強引に持って帰ってくる。もしかしたら「ザ・フライ」でハエと合体してしまったあの男のようになってしまうのだろうか。家電と合体した私。口からDVDを出したり入れたり、目にはデジタル放送のテレビが映ってしまったり。脳がPentium10くらいになってたら嬉しいかもしれない。全身ユビキタス状態。
 しかし、壊れて捨てられた家電との合体だから誤作動だらけ。口からDVDのトレイが出たり引っ込んだりを繰り返し、目はちかちかとまばたきし続け、そして、突然のフリーズ。そんな私を見かけたら、とりあえずカラオケマシンとしてでも使ってやってください。懐メロの「リンゴの唄」とか歌い出すでしょう。

家庭用精米器の普及率10パーセントを目指して

物(Objet)
家庭用精米器

Canon EOS D30+EF28-105mm(f3.5-4.5), f4.5, 1/4s(絞り優先/三脚)


 今日は精米機を紹介しようと思う。と思ったら、第一歩目でつまずいた。精米機? 精米器? どっちが正しいんだろう、というところで。どっち?
 どちらも漢字変換するし、どちらで検索してもたくさんヒットするから、両方間違いではないのだろう。ひとつヒントとしては、コイン精米機は精米機であって精米器ではないということだ。やはり業務用は大きくていかにも機械という気がするから納得できる。それに対して家庭用のものはコンパクトで炊飯器のお仲間だと思えば精米器とした方がしっくりくるかもしれない。でも料理機器とすると機も器も入ってるから、ますます話がややこしくなる。
 どっちでもいいから話を先に進めろよ。誰かのそんな声が聞こえた気がしたのは空耳だろうか? この疑問は今度生協の白石さんにぶつけることにして、とりあえず精米器ということで見切り発車しよう。だろう運転はいけません、と言っていた教習所教官の顔が思い浮かんだけど。

 家庭用精米器の一般家庭の普及率がどれくらいなのか、まるで見当がつかない。10パーセントということはないだろう。5パーセントくらいあるのか、そんなにもないのか。そもそも存在自体を知らないという人も多いんじゃないか。認知度自体が30パーセント以下かもしれない。
 用途はもちろん玄米を精米するためだ。玄米は基本的にスーパーなどでは売ってないから、農家さんから買うか、親戚や知り合いから送ってもらうとかになると思う。もちろん、自分のところの田んぼで米を作ってる人もそうだ。その中でも多くの人は農協の敷地や道ばたにあるコイン精米機を使ってると予想される。コイン精米機というのも知らない人はまったく知らないか。いや、そういうものがあるんですよ、あなたの街にも村にもきっと。興味がないと見ていても目に入らないだけで。ということは、私が思っている以上に玄米を買っている人が多いということだろうか。
 ただコイン精米は言うまでもなく面倒だ。そして米は重い。更に、せっかくの玄米なのにまとめて白米にしてしまったらあまり意味がない。だからこまめに行かないといけない。5キロや10キロ100円だけど、それも回数が増えればだんだん気に入らなくなるのが人情というものだ。そこで家庭用精米器を買ってしまえということになる。なる?

 何故玄米なのか? その答えは単純で、精米したての米を炊いた方が断然美味しいからに他ならない。慣れると分からなくなるけど、最初は白米で買ったのとこんなにも違うものかと驚くはずだ。
 白米は精米してから2週間もすると風味が逃げ始める。原因は酸化が始まるだらだ。酸化すると味も落ちるし、体にもよくない。農家さんのところで精米したものが米屋やスーパーに並ぶまでには少なくとも数日はかかるわけで、まとめ買いすると途中からは美味しさが逃げた米を食べることになる。
 玄米なら大丈夫。玄米は生きて呼吸してるから。それは米屋でもそうだし、家庭でも同じだ。ためしに玄米を土に蒔くと芽が出てくる。生きている証拠だ。

 ここまで読んで、だんだん家庭用精米器が欲しくなってきたことでしょう(もう一押しだな)。
 新品でも2万円から3万円くらい、オークションなら5千円から1万円くらいから買える(私は定価3万くらいのを1万くらいで買った)。ちょっとご飯が美味しくなるくらいで1万も2万も出せないと思うかもしれない。でも、高い米を買ったり、美味しく炊けると宣伝されてる高級炊飯器を買うくらいなら玄米を買って自分で精米した方がずっと美味しく食べられますよ、奥さん。それを考えれば安いものです。半年で元が取れますって(なんか、インチキ・セールスマンみたいになってきたな)。
 そもそも玄米には体にいい栄養素がたくさん入っている。昔から日本人は玄米を食べてきて丈夫だった。白米を食べ始めたのは江戸時代からで、そこから軟弱になった。脚気が出るようになったのも白米を食べるようになってからだ。
 米糠(こめぬか)が体にいいというのを聞いたことがあるだろうか。ビタミンB群、E、ミネラル、繊維質など40種類の成分が豊富に含まれている。血行をよくして、血液をアルカリ性に保ってくれるから、老廃物を体の外に出してくれる。便秘、高血圧、糖尿、心臓病の改善にも効果があり、肌荒れ、アトピーなどのアレルギー体質にも効くと言われている。
 精米器なら白米だけでなく8分づきとか5分づきとかで精米できるので体にもいいことこの上ない。白米に比べると少し美味しさが落ちるけど、9分づきくらいならほとんど変わらないから、最初はそれくらいからいくといいだろう。
 美味しいご飯が食べられるだけでなく、糠まで手にいる精米器。まるで夢のようですね。これも大いに活用したいところ。フライパンで炒めたものを食事に振りかけてもいいし、ぬか漬けはもちろん、石鹸代わりにもなる。野菜や花を育ててる人なら肥料としても使える。
 この魅力的な家庭用精米器。お宅にもおひとついかがですか? 今なら名前入り包丁セットと高枝切りバサミもセットでお付けします。わー、すごい(効果音)。

 美味しいご飯を食べるまでにはいくつかの行程を経なくてはならない。まずは質のいい玄米を信頼できる農家さんか米屋から買うこと。ここが始まりだ。そして、玄米を食べる日に精米して、炊飯土鍋でいい水を使って炊く。これで完璧。
 たかがご飯だけど、毎日食べるものだから美味しいに越したことはない。一度美味しいご飯を知ってしまったら、もう後戻りはできない。それが幸せなことかどうかは分からないけれど。何故ならよその家や店で食べるご飯が美味しくなくなってしまうから。
 でも、ホントの話、精米器と前に紹介した炊飯器土鍋はオススメなので、よかったら買ってみてくださいね。買うお金がないひとはうちにマイ茶碗とマイ箸と200円を持って食べにきてください。お一人様1合までとなっております。

来年の戌年に向けて犬の勉強を

物(Objet)
誰かの犬の置物

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f4.5, 1/60s(絞り優先)


 しばらく前から通路にこの犬の置物が放置されている。誰が何の目的で置いたかは分からない。ときどき位置が変わってることがある。近所の人のものなのかどうなのか。この日は夕陽を浴びながら外を向いていた。写真を撮るために私がここに置いたわけじゃない。明日は別の場所に転がっているかもしれない。

 これまで犬には縁のない人生を送ってきた。飼える環境になかったのが一番大きな理由だけど、それだけじゃないような縁のなさを感じる。捨て犬を見つけたこともないし、犬に噛まれた思い出もない。薄い縁としては、子供の頃じいちゃんの家にカンクロウという大きな雑種犬がいて、小柄だったじいちゃんが引きずられながら散歩してた姿を覚えているくらいだ。親戚の家にいたポメラニアンの名前はチコとプチだったか。
 別に犬に嫌われてるわけではないし、私自身犬嫌いというわけではまったくない。猫ほどの思い入れはないにしても、飼える状況にあって縁があれば飼ってもいいと思っている。猫派だ犬派だと派閥争いする必要はない。ずっとさかのぼっていけば、犬も猫も同じミアキスに辿り着く。それが草原に出て犬になったか、森の中で猫になったかの違いだけだ。今でも犬は、ネコ目イヌ科イヌ属に分類されている。

 縁がないとあまり興味が持てないのは仕方がないところで、犬については猫ほど知らない。世界でどれくらいの種類の犬がいるのかも見当がつかないくらいだ。せっかくいい機会だから、犬についてちょっと調べて勉強してみた。まずは犬夜叉からいってみようか。って、それは後回しにしようよ、私。
 なんでも世界には非公認を含めると700~800くらいの犬がいるんだそうだ。猫とは比べものにならないくらい多い。ただし、その中でスタンダードとしてるのは180種類程度らしい。それでも充分多い。私なんか頑張っても20種類くらいしか言えそうにない。野望としては180種類全部を覚えて、犬を連れたきれいなお姉さんとお近づきになりたい。おっ、きれいなウェルシュ・コーギーですね。これはペンブロークの方ですね。などとさりげなく言ってみたい。でも犬も連れてないのに犬に妙に詳しい大きなカメラを持った男って怪しくないのか、私?

 犬の歴史をみてみると、1万5,000年くらい前の旧石器時代にはすでに人間と共に暮らしていたようだ。元々は野生で凶暴だっただろうけど、性格的に飼い慣らすことはそんなに難しくなかったんじゃないだろうか。群れを作ってリーダーに従うという基本的な性格は昔から変わってないだろうから、いったん人間がリーダーになってしまえば従ったことだろう。犬は猫のように気まぐれじゃないし。それに、犬はいろんなシーンで役に立つ。猟犬にしろ、番犬にしろ。少しくらい噛まれたりしても手なずける価値があるというものだ。鼻がきくとか、敵に向かって吠えるとかも人にとっては便利だったはずだ。
 犬の祖先は狼と言われている。DNAは99パーセント一致するらしい。でも、狼とはちょっと性格的に違うような気がする。狼が現代にいても飼い慣らせそうな感じがしない。最近はジャッカルの方が近いんじゃないかとも言われてるそうだ。でも個人的には犬は犬でオリジナルだろうと思う。

 時代は流れて、犬と人間は関係を深めていった。世代を重ねるごとに犬は人間に慣れていったことだろう。つき合い方も少しずつ変わっていった。古代エジプトやローマでは戦争にかり出されたりもした。イガイガ・ギザギザの首輪や鎧を付けて、敵の中に突っ込ませて大暴れさせたんだとか。マンガみたい。でもそんなのが群れで来られたら相当怖いことは確かだ。
 牧畜犬などとしても当然活躍したことだろう。それと同時にだんだん愛玩動物としての色合いも濃くなっていたことは想像がつく。その頃には純血だけじゃない多くの雑種も生まれていたはずだし、突然変わったのが生まれてきたら、それをもっと増やしたいと思ったのも必然だろう。そうして犬の種類は自然にも、人為的にも増えていった。
 やがて大航海時代が訪れる。15世紀のことだ。そこでまた犬の流れがひとつ大きく変わった。海によって隔てられていた大陸同士の犬が出会い、あらたな種類が生まれることになる。

 最初のドッグ・ショーが開催されたのは、1859年、イギリスでのことだ。その流れが今へと続いている。
 犬の用途も広がった。盲導犬、介護犬、警察犬、競争犬、ソリ犬、救助犬など。最近はセラピー犬というものも注目されている。あと、タレント犬なんてのもいて、私よりいいものを食べていい生活をしてるから侮れない。ちょっとうらやましいなと思わないでもないけど、川島なお美の犬にはなりたくない。
 時代の中でいくつかの人気犬も生まれた。シベリアン・ハスキー、ゴールデン・レトリバー、ブルテリア、ダルメシアン、チワワなどなど。今はあまり見かけなくなったものもいる。
 歴史上で有名になった犬としては、西郷どんの愛犬ツン(薩摩犬)、よだれで有名なパブロフの犬、忠犬ハチ公(秋田犬)、南極越冬隊のタロとジロ(樺太犬)、スプートニク2号に乗せられて初めて宇宙に行ったライカ(雑種の迷子)。
 なんとなく私が犬に対して悲劇的なイメージを持ってしまいがちなのは、こういう悲しいエピソードが多いせいかもしれない。

 誰かが捨て置いた犬の置物から思いがけず勉強ができてよかった。今後は更に犬に対して興味を持って理解を深めていきたいと思う。
 AIBOを小脇に抱えてビクターのalneoでハウンドドックを聴きながら道ばたでオオイヌフグリの写真を撮っているとき、人面犬に襲われそうになったら、神社方面に走って狛犬の頭をなでつつ、途中で盲導犬の募金をして、余裕があれば白い犬とワルツを踊り、最後は海に飛び込んで犬かきで泳いで、マリリンに逢いにいこう。

和食器の目覚め。寝た子を起こしたか!? 2005年12月1日(木)

物(Objet)
織部のご飯茶碗

Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 0.5s(絞り優先/三脚)


 料理に目覚めたら必然的な流れとして次に食器へと気持ちが向かうのを止めることはできない。これは誰しも通る道だろう。うんうん、そうに違いない、と誰にともなく言い訳をして買った、織部(おりべ)のご飯茶碗と湯飲みのセット。
 別に言い訳をして買わなくちゃいけないほど高いものでもないのだけど、この小さな一歩がのちに雪崩を打ったような食器買い漁りにつながらないとも限らないので注意が必要だ。食器屋で両手に抱えきれないほど食器を持っている私をみかけたら、そっと注意してください。雪崩打ちそうですよ、と。

 織部というのは、戦国時代に信長、秀吉、家康に仕えた茶人、古田織部の流れをくむ焼き物の総称で、大きく言うと美濃焼の中のひとつなのだと思う(実は私もよく分かってない)。
 古田織部は千利休の弟子で、のちに利休の茶の道を大いに発展させた人として名高い。なかなか面白い人物だったようで、武家出身で秀吉に仕えた頃は合戦にも参加しているし、文禄の役では朝鮮にも行っている。最後は家康の怒りを買って72才で切腹という波乱に富んだ人生を送った。
 武家出身というのは茶の道にも色濃く表れている。左右対称で端正な佇まいといったものを好んだ千利休に対して、織部はやや崩れたものを好んだ。ダイナミックさや危ういバランスの中に美しさを見いだしていたようだ。
 それは現在の織部焼きにもつながっていて、わざと形を歪ませたものや、厚みが一定じゃないものなど、自由で豪放なのが特徴となっている。
「青織部」「鳴海織部」「赤織部」「黒織部」「志野織部」「伊賀織部」「唐津織部」などいろいろ種類はあるようだけど、よくは知らない。そんなに織部に思い入れがあるわけではないので。

 食器も高いものは冗談みたいに高いけど、普通のものはそんなにはしない。織部のご飯茶碗なんかでも1,000円とか2,000円くらいからあるから心配はいらないぞ、私。
 ちょっとした贅沢だけど、お気に入りの茶碗でご飯を食べるのは嬉しくもあり楽しくもある。子供用のアンパンマンの茶碗とプラッチックの箸で食べるのと、手焼きの和食器で食べるのとでは米の味も違ってこようと言うものだ。
 茶碗に限らず食器類もあれこれ自分で選ぶのは楽しいものだ。私も今までまったく興味がなかったから、適当に買ったものやもらいもので間に合わせていたけど、これはなかなか楽しい世界だということに気づいてしまった。危険な兆候だ。

 後ろに写ってる炊飯土鍋についてもついで少し書くと、これはもう絶対的にオススメだ。どれくらいオススメかというと、一軒いっけんのお宅を訪問して、炊飯土鍋いかがっすかー、とすすめてまわりたいくらいだ(しないけど)。
 とにかくご飯の味が違う。これに慣れてしまうと炊飯ジャーで炊いたご飯のまずいこと。べとっとしてご飯が寝ている。土鍋で炊けばご飯はふっくら甘く、匂いが違う。冷めても美味しいからお弁当にもいいし、おこげも自由に作れる。
 炊き方も簡単で、炊飯ジャーより早く炊けるから、忙しい人にもぴったりだ。最初に7分くらい強火で炊いて、吹きこぼれてきたら弱火にして10分ちょっと、あとは10分ほど放置して蒸らせば出来上がり。合計で30分もかからないし、光熱費の節約にもなる。
 値段はこれもずいぶん差があるのだけど、1万円以上するものまでは必要ないと思う(それでも炊飯ジャーに比べたら安いものだ)。5,000円以内のでも充分美味しいご飯が炊ける。ただし、ホームセンターで安売りしてる1,000円とかだとやっぱり微妙に美味しさが落ちるのでやめた方がいいかもしれない。

 焼き物の和食器に興味を持つようになるなんて、私も年を食ったものだ。でも年を取ることのよさというのはこういうところにあるのだと思う。若い頃興味がなかったものは、そのよさが分からなかったからだ。それが少しずつ分かるようになってきたことは、ここまで生きてきたかいがあったというものだろう。
 これからオークションなどで楽しみながらちょっとずつ集めていきたいと思っている。でも、あんまりのめり込みすぎないようにしないといけない。平蜘蛛の茶釜を信長に奪われるのがイヤで茶釜と共に爆死した松永弾正久秀のようにならないように気をつけなくちゃ。

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