カテゴリ:室内(Room)

記事一覧
  • 壊れかけのビデオデッキを直して集めて使って次の50年へ

    Canon EOS Kiss Digital N+EF-S 18-55mm(f3.5-5.6), f5.6, 1.0s(絞り優先/三脚) 私のささやかな趣味のひとつとして、壊れかれのRadioならぬ壊れかけのVideoを直して使うというのがあるのをご存じだろうか。ご存じないですか。それはいけません、ぜひ頭の片隅にとどめておいてもらわないと。実はそうなんです、2、3年前の一時期、それがメインの趣味だったこともあるくらいなのですよ。 脳が純文系なのでくわしいメカのことが理...

    2007/02/09

    室内(Room)

  • 軽装備で行こう、東京見物 2006年12月7日(木)

    OLYMPUS E-1+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f4.3, 0.4s(絞り優先) 東京行きの荷物はたったこれだけ。大丈夫なのか、私? バスで一泊といえども、合計すれば2泊2日? 2泊3日? になるというのに。たぶん、現地で何らかの困った状況が発生するのだろうけど、それはそれ。言葉の通じない外国でもあるまいし、なんとかなるだろう。まさか、名古屋弁が通じないというとはないだろうな。今でらえらいでこの机ちょおつってくれ、とか言わな...

    2006/12/07

    室内(Room)

  • 化学の実験を思い出した美肌水と美肌石けん作り 2006年11月6日(月)

    PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/60s(絞り優先) 人と本との縁はときに不思議で、でもきっとすべてが必然なのだろう。何気なく手に取った本はその人に読まれることを欲しているに違いない。その本の存在を知らなかったときは尚更だ。「Book off」で、普段絶対買うこともページをめくることもない「美肌スキンケア」(今井龍弥著)などという本を、どうしてそのときだけ中身を見てみる気になったのか、自分でもよ...

    2006/11/07

    室内(Room)

  • 遠い海を越えて届いた荷物を手に郵便に思いを馳せる 2006年10月11日(水)

    Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/15s(絞り優先) エアメール。甘美な響きを持つ言葉だ。遠い国から風に乗ってやってきたようなロマンチックがとまらない。ゲーム「ルナ・シルバースターストーリー」の挿入歌「風のノクターン」を思い出す。♪見知らぬ国から 海を渡って吹く風はね やさしく耳のうしろをすぎる♪ でも、郵便物は耳の後ろを通って過ぎていっては困る。ちゃんと手元に届かないと、とまどう想いを...

    2006/10/12

    室内(Room)

  • ホーム
  • ‹ 前
  • 次 ›

壊れかけのビデオデッキを直して集めて使って次の50年へ

室内(Room)
終わりゆくビデオデッキたち

Canon EOS Kiss Digital N+EF-S 18-55mm(f3.5-5.6), f5.6, 1.0s(絞り優先/三脚)



 私のささやかな趣味のひとつとして、壊れかれのRadioならぬ壊れかけのVideoを直して使うというのがあるのをご存じだろうか。ご存じないですか。それはいけません、ぜひ頭の片隅にとどめておいてもらわないと。実はそうなんです、2、3年前の一時期、それがメインの趣味だったこともあるくらいなのですよ。
 脳が純文系なのでくわしいメカのことが理解できず、一定以上壊れているものは直せないのだけど、壊れかけくらいなら直せたので、どんどん買って直していたらいつの間にか部屋がビデオデッキだらけになっていた。怪しいビデオのダビングを商売にしてる人みたいだ。いや、もちろん、そんなことはしていないですよ。
 主にオークションで買っては売って、売ってはまた買ってというのを繰り返して、今は10台体制で落ち着いている。これだけあるとビデオ録画に不自由しない。民放とNHK、BSとWOWOWあわせて全部で10チャンネルあるから、同じ時間に10番組観たいものがあったとしても大丈夫なようになっている。
 テレビっ子という言葉はよく聞いてもビデオっ子という言葉はあまり聞かない。けど、世の中は広くて、そういう人種はけっこうたくさんいるのだ。上には上がいるというのはどの世界にも言える。私などは全然ライトな方で、ビデオに対する強いこだわりがあるわけでもない。高級デッキを集めてるとか、画質について熱く語るとかそういうレベルではないので安心して欲しい。わー、逃げないでー。
 何故ビデオデッキが好きなのか、自分でもよく分かっていない。たぶんそんなに好きじゃないと思うのだけど、10台も持っていてそんな言い逃れはできまい。だから、たぶん好きなんだと思う。どう考えても10台は必要ない。

 初めてうちにビデオデッキがやって来たのは高校1年のときだった。ようやくビデオが一般に出回り始めた頃で、中級機でも20万円もした時代だ。レンタルビデオ屋が近所に一軒初めてできたのもその頃だった。ビデオを1本借りるのに2,000円とかしたのも、今となっては信じられない。
 それにしてもビデオは画期的だった。観たい番組が重なったときはどちからをあきらめるしかなかったものも録画して観ることができるのは嬉しかったし、テレビにあわせて家に帰らなくてもいいというのは気持ちをずいぶん自由にさせてくれた。それまではテレビ番組に合わせて生活していたのから。
 最初に買った機種がなんだったのかはもう覚えてない。つき合いのあった電気屋から買ったから三菱だったことは間違いないのだけど。あれは何年くらい持ったんだったか。
 自分専用のビデオデッキを買ったのはいつだっただろう。大学に入ってからだったか。その頃には、生活の中にビデオは完全に入り込んでいて、なくてはならないものとなっていた。ビデオが壊れたときは悲しくてご飯も食べられなかったくらいだ。多少安くなっていたとはいえ、まだ10万円以上していたから今のように簡単に買い換えるわけにはいかなかった。

 世の中にビデオデッキというものが初めて登場したのが1975年のことだ。ソニーが発売した、今は亡きBetaシステムのSL-6300で、翌年ビクターが追いかけるようにVHSのHR-3300を出した。それからしばらくの間、Beta対VHS規格闘争が続くことになるのだけど、これも今となっては昔話だ。20代の人はBetaを知らないかもしれない。私たちの頃でもBetaはもう半分死に体だった。友達が何故かBeta好きでたくさん映画を録画して持っていたのだけど、それが借りられずに残念だったのを覚えている。レンタル屋でもBetaコーナーは隅に追いやられて日陰者となっていたので、ますますBeta人口は減っていった。それでも愛好家に支持されてほそぼそと生産は続けられていたようで、2002年にソニーがBetaの生産中止を発表したときは、まだ作っていたのかと驚いた。
 その後3倍録画やS-VHSの登場があり、ビデオも各社激しい競争の時代に入り、価格もどんどん下がっていった。その一方で、のちにバブルデッキと呼ばれるビデオも誕生している。ビクターのHR-2000や、松下のNV-V1000など、30万から40万というとんでもない値段のものもあった。当時はメーカーにもユーザーにも金があった。惜しげもなく技術と資金を投入して、メーカーの渾身のビデオを作る余裕のあった時代だ。ああ、なつかしのバブル。
 そこまでいかなくても、80年代の終わりから90年代にかけて、各メーカーいいビデオをたくさん作っていた。ビクターならHR-X5やX7、松下ならNV-SB1000WやNV-SB88W、三菱はHV-V6000やV900、シャープでもVC-BS600などがあったし、サンヨーだってVZ-S6000Bという34万もするものを作ったことがあったのだ。NECにもVC-DS3000がある。
 バブルが弾けて以降は、値段の高い機種はあっても真の高級ビデオというものは存在しなくなった。メーカーがビデオに対してそこまで思い入れを持って作ることができなくなったから。画質の点では進歩していても、モノとしてはやはりバブルの頃がピークだったと思う。ユーザーの側のそんな思いも、もはや懐古趣味でしかないのだけど。

 今まで40台くらいビデオデッキを所有したと思う。その中で値段の高さでいえば、ビクターのHR-X3が一番ということになる。もちろん、いいデッキだった。あまりデジタル臭くなくて、好感の持てる高画質だった。
 ただ、個人的に一番好印象だったビデオは、同じ時期のビクターのHR-V2という中級機だ。これもかなりの高画質で、なおかつメカがすごくキビキビしていて使っていて気持ちよかったから。壊れて売ってしまって以来縁がないのだけど、いつか状態のいいものをもう一度買いたいと思っている。
 再生画質だけなら、もしかしたら日立の7B-BS87が一番だったかもしれない。これは妙なビデオで、自己録再だとなんか変なんだけど、まともなデッキで録画したものを再生させると恐ろしくきれいに再生するやつだった。DVDのようなデジタルっぽさで他のビデオとは明らかに違うものがあった。
 他に好きだったものとしては、ビクターのHR-VX1、三菱のHV-V700、東芝のA-BS3、松下のNV-BS30S、NV-SB77Wなどがある。
 基本的に録画はメカが丈夫で壊れにくい松下を酷使して、再生はビクターや東芝を使うのがいつの間にかスタイルとして定着した。少し前までの松下のデッキは本当に壊れない。三菱や東芝、ビクターは激しく使うともろさを見せる。
 直しやすさという点では、突然電源が入らなくなった東芝とビクターが一番簡単だ。電源ユニットのコンデンサを交換すればいいだけだから。一番やっかいなのが、三菱や松下のS-VHS死亡というやつで、HICコンデンサ交換なんて私にはとても手に負えない。メカ部分では、松下が複雑で難しい。日立やソニーなどは壊れる場所が決まっていて分解が簡単なので、なんとかそのあたりまではできる。ゴムベルト交換で直るものも、裏からアプローチできないものは難易度が高い。

 VHS、S-VHSの単独のビデオデッキは、2002年以降ほとんどのメーカーで新機種を出していない。2003年にビクターと松下が出したのを最後に、まったく新モデルが登場していないという現実をもってしても、ビデオの時代は終わったと思わざるを得ない。すでに生産そのものが今現在ビクターと松下しかやっていない。近い将来売り場に並ぶことさえなくなるだろう。
 ただ、2007年にS-VHS規格の特許が切れるということで、もしかしたら今年から来年にかけて新たな動きが出てくるかもしれない。とはいえ、まともなビデオデッキはあまり期待できそうにない。
 HDDやDVDレコーダーも価格が下がってだいぶ普及してきた。今後はまだ規格の未整理という点でどうなっていくか読めない部分もあるものの、再びビデオの時代が来ることだけはないだろう。
 とはいえ、HDDやDVDレコーダーも万能ではなく、むしろいろいろな欠点や問題点があることも確かだ。HDDは日常的なものを撮って観て消していくのには便利にしても保存には向かないし、DVDレコーダーは規格が乱立していてややこしすぎる。DVD-Rなどは10年も経つとディスクが読めなくなる可能性があるというし、今後規格が変われば新しいプレイヤーでは再生できないなんてことにもなりかねない。
 それに、HDDやDVDを親の世代が使いこなせるとはとても思えない。ビデオのタイマー予約でさえできない人に、HDDやDVDの使い方をマスターしろというのは無理だろう。子供でもビデオカセットなら入れて再生すればすぐに観られるけど、HDDなどではそうもいかない。勝手にいじらせると大事なものまで消しかねない。
 当面の逃げとしては、DVD-R/RAMドライブ、HDD、VHSデッキが一体になった3in1レコーダーで様子を見るということになるだろうか。永久保存版のようなものは今のところビデオに残しておくのが一番安全かもしれない。
 それにしても、メーカーは規格を統一する気がないのか。独自の規格を出すことでどんなメリットがあるというのだろう。これだけバラバラになってしまったら、当分ひとつにはまとまりそうにない。なんとか地デジが本格始動するまでには格好を付けて欲しい。その頃までにはさすがの私もビデオデッキに見切りを付けているだろう。

 ビデオデッキが生まれて30年。もう30年というよりまだ30年という気がする。自分が生まれたあとに登場したものがもう終わりかけていることに寂しさのようなものを感じる。カセットテープが終わるときはこういう気持ちにはならなかった。CDの音のよさに驚き、MDにすんなり移行できたから特に不便も感じなかったというのもある。レコードも、時代の流れで当然だと思った。なのに、どうしてビデオデッキだけ未練が残るんだろう。
 ひとつには、それぞれ特徴があるというのがある。単に画質の良し悪しだけでない個性があって、好きなビデオとそうじゃないのがあったりするのが面白い。壊れたのを直せば愛着もわく。やはりビデオデッキには何か特別なものがあるように思う。他のどんな電化製品とも似ていない。
 私がもし長生きをして90くらいのじじになったとき、たくさんのビデオデッキに囲まれて、それらをなでながら暮らしたいと思う。ビデオテープを出し入れするガシャンという響きに、このレトロな感じがたまらんのぉとか言いながら。

軽装備で行こう、東京見物 2006年12月7日(木)

室内(Room)
東京荷物

OLYMPUS E-1+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f4.3, 0.4s(絞り優先)



 東京行きの荷物はたったこれだけ。大丈夫なのか、私? バスで一泊といえども、合計すれば2泊2日? 2泊3日? になるというのに。たぶん、現地で何らかの困った状況が発生するのだろうけど、それはそれ。言葉の通じない外国でもあるまいし、なんとかなるだろう。まさか、名古屋弁が通じないというとはないだろうな。今でらえらいでこの机ちょおつってくれ、とか言わなければ大丈夫のはず。
 デジは、istDSにTAMRONの28-200mmと、Takumarの50mm f1.4のみ。必要最小限に抑えた。東京マップも持ったし、あとはバスに乗るだけだ。ちゃんと予約入ってるだろうな、若干の不安が。
 残念ながら明日は雨模様らしい。そうなると行動範囲はぐっと狭くなるけど、それはそれで違う楽しみや別角度の表情が見えたりもするだろう。

 そんなわけで、名古屋から雨を連れて東京へ行きます。私を待っていておくれ、東京。
 1日か2日、更新は休みになる予定です。いってきます。

化学の実験を思い出した美肌水と美肌石けん作り 2006年11月6日(月)

室内(Room)
化学の実験みたい

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/60s(絞り優先)



 人と本との縁はときに不思議で、でもきっとすべてが必然なのだろう。何気なく手に取った本はその人に読まれることを欲しているに違いない。その本の存在を知らなかったときは尚更だ。
「Book off」で、普段絶対買うこともページをめくることもない「美肌スキンケア」(今井龍弥著)などという本を、どうしてそのときだけ中身を見てみる気になったのか、自分でもよく分からない。なんとなく目について、どういうわけか中を確認してみたくなった。パラパラとめくってみると、写真やアニメ入りで肌にいいローションや石けんの作り方が書かれていて、それにちょっと惹かれた。面白そうだ。でもやっぱりいいやといったんは棚に戻した。いやしかし、石けん作ってみたいかもしれない私、と思い直しもう一度手に取ってしばし迷う。やっぱり買うことにしよう。無縁のところに生まれた小さなとっかかりは大切にした方がいい。
 家に帰ってきてからネットで検索したら、今井龍弥氏の美肌水というのは超有名らしい。何年か前に雑誌などで紹介されてかなりブームになったというから、女性の間ではもはや常識なのかもしれない。実際に作って自分も使ってますという人も多いのだろう。そういう人たちにとってはナタデココ並みに今更なのだろうけど、男性陣は知らないだろうし、中にはそんなもの見たことも聞いたこともないという人もいるかもしれないので、紹介してみたいと思う。美肌水って、もうナウくないですか?

 まず買ってくるものは、尿素とグリセリン。聞き慣れないものだけど、簡単に手に入って安いので心配はない。尿素はホームセンターの園芸コーナーで小さな粒状の500g入りが250円くらいで売っている。グリセリンは透明な液体で、ドラッグストアなどで50ml入りが300円ほどだ。基本はこれだけ。
 あと、はかりや計量カップ、500mlのペットボトル、それと美肌水を入れるための容器が必要になる。容器は化粧品の空きがなければ100円ショップで揃う。スプレー式やプッシュ式でもいいし、適当なプラ容器でもいい。ただ、原液を入れておくものと薄めて使うため用のと最低2つ用意しないといけない。
 まずペットボトルなどに水道水を200ml入れ、尿素50gを加えてよく振って混ぜる。水はミネラルウォーターや浄水器を通さない普通の水道水を使う。これは塩素が入っていることで防腐剤の役割を果たすからだ。更にグリセリンを5ml(小さじ1)を加えて混ぜれば、もう完成。なんてあっけない。簡単すぎて詰まらないくらいだ。
 これが原液の濃度20%となり、顔につけるときは10倍に薄めて使う。その他、体なら5倍、ひじやひざなら2倍、かかとや手のひらなら原液というように、皮膚の弱い部分ほど薄いものを使うのが基本となる。皮膚の強さには個人差があるので、そのへんは自分の体と相談しつつ。

 一週間使ってみてどうかというと、これは効くんじゃないの、いや、ホントに、というのが偽らざる感想だ。水道水に尿素とグリセリンを混ぜただけで肌にいいなんてちょっと信じられないところもあるんだけど、実際効果を実感できるのだから認めないわけにはいかない。とにかく保湿力がすごい。顔も手も一日中しっとりしている。これから冬場に向けて乾燥していくから、この美肌水は毎日使っていきたいと思う。
 本に載っている使用者の声を全面的に信じるほどお人好しではない私でも、これはかなりオススメできると思う。少なくとも、クレオパトラもつけていたラピスラズリのペンダントをつければあなたもクラスでモテモテというやつよりは効く(当たり前だ)。
 顔、体だけでなく髪にもいいという声もある。肌や髪の毛をしっとりさせ、肌トラブルを解消し、アトピーや発しんも治すという。美白効果もあるらしい。
 尿素もグリセリンも化粧品などに使われてる安全な成分で、添加物など一切含んでないという安心感もある。そして何よりアホくらい安いのがいい。尿素とグリセリンの600円で原液20mlを10回作れるから、10倍に薄めたら2リットルの大きいペットボトル10本。ということは、2リットルペットボトル1本分で60円ということだ。どんだけ安いんだ、とツッコミのひとつも入れたくなる。
 男にはそんなもの必要ないだろうと思ったあなた、今は甲子園球児もハンカチで汗を押さえる時代なのだ、野郎だってきれいでいなくちゃいけない。アフターシェーブローションの代わりにもなるし、痔も治す。冬場は手荒れをする人もいるだろう。手にマメができてる人はそれが柔らかくなるということもある。しかし、フォークギター野郎にだけはオススメできない。せっかく左手の指が固くなったところに美肌水をつけてしまうと、指の腹がフニャフニャになってナガブチとか弾けなくなってしまう恐れがあるからだ。せっかく苦労してマスターしたFコードも美肌水のせいで鳴らなくなってしまうかもしれない。

石けん作りは実験テイスト

 美肌水の効果には満足したものの、化学の実験テイストという点では完全に拍子抜けだったので、次に石けん作りに取りかかることにした。これは説明を読んでいるだけで非常に危険な香りが漂ってくるシロモノだ。その正体が苛性(かせい)ソーダ。手につくと皮膚が溶けるので必ずゴム手袋をはめてください、という注意書きに腰が引ける。しかも、禁断の劇薬指定。劇薬って。なんでも、そんじょそこらの薬局では売ってなくて、買うときも白衣を着た人にこっそり耳打ちして苛性ソーダくださいとささやいて、じゃあここに住所、氏名、使用目的を書いて、ハンコを押してください、と言われてしまうというのだ。おお、想像しただけでめくるめく禁断の世界へようこそここへ遊ぼうよパラダイスではないか!? そうなのか?
 という妄想はひとまず置いておいて、冷静になって対策を検討してみる。何も悪いことに使おうというわけではないから、そんなにおどおどすることはない。薬局へ行っても大きな声で注文すればいいし、偽名を使うこともない。使用目的も石けん作りと書けばいいだけだ。間違っても使用目的の欄にヒ・ミ・ツなどと書いてはいけない。薬局の人と目を合わせようとしなかったり、逆に麻生太郎のようにクチビルを歪めてニヤリとするのもやめておいた方が無難だろう。
 そんなもろもろのイメージトレーニングを積んだ私は、冷静を装い、ドラッグ「スギヤマ」へと向かった。まずはマシュマロとかコエンザイムQ10などをさりげなく買い物カゴに入れ、ヒマそうな店員を探す。するとおあつらえ向きに若手の白衣を着た男の人が商品を棚に並べているではないか。ここしかないと思い定めて、思い切って、でもあくまでも柔らかに訊ねる。
「こんにちは。苛性ソーダって置いてありますか?」
 すると、思いがけず「はい、ありますよ」という軽い返事が返ってきて驚く。ええー、あるのかよ、と。ドラマ「HERO」で、注文するとなんでも「あるよ」と答えるマスターみたいだ。
 サービスカウンターの下から取り出してきた苛性ソーダは280円くらいだった。住所と名前を書いてハンコを押したら、動揺したのか90度右に倒れたオオタとなってしまって店員の失笑を買う。

 そんなこんながありつつ、なんとか手に入れた苛性ソーダを使って、石けん作りを始める。美肌水を作っていたら、他に必要なものとしては、ゴム手袋、ペットボトル、食用の廃油などで、石けんを固めるときのプラスチック製の容器などがあればそれを使ってもいい。食用の油は、天ぷらなどでいったん使ったものの方が酸化していて石けん作りには向いているらしい。固めるときの容器はアルミは不可で、プラケースかそのままペットボトルを混ぜるのと固めるのと両方で使ってもいい。
 まずはゴム手袋をつけて、ペットボトルに水道水50mlと苛性ソーダ15gを入れて、しっかりフタをする。苛性ソーダが溶けるまで1-2分左右に振る。このとき、ペットボトルが熱くなるので注意。このあたりから化学の実験テイストが満載となってくる。
 尿素5gを加えて、もう一度軽く振る。やや不安を覚えるほどの熱さになるけど、たぶん大丈夫。ここではまだ完全に溶けてなくてもいい。さらに廃油を100g入れる。そして、あとはシェイク、シェイク、シェイク。フタをしっかり閉じることだけは忘れずに。前後左右に激しく30秒振り、1-2分休ませ、また30秒振り、1分ほど休むを繰り返し、振り時間が合計5分ほどになれば完成だ。『カクテル』のトム・クルーズのようなシェイカーぶりの私の姿を見せたかった。
 あとは固まるのは待つだけなのだけど、これにちょっと時間がかかる。完全に固まるまで2日ほど。容器から取り出して外気にさらして更に一週間ほど寝かせてようやく使えるようになる。あまり焦って使わない方がいいと思う。

 美肌水と美肌石けんを使ったあかつきには、もう全身はツルツルのツヤツヤになって、思わずハダカの上にコートを羽織って突然人前で前を開けたくなってしまうかもしれない(それはダメ)。でも、ちょっと触ってみる? とか言いたくなったり、人にお裾分けしたくなるというのはある。知ってたけど作ったことはないという人はぜひ一度試してみて欲しい。とにかく安上がりなので、2、3回で飽きてしまっても出費は500円か600円で済むし、気に入って一家で使っても使い切るまでには何ヶ月もかかる。
 本にはこの他、ミョウバン水やシャンプー、リンスの作り方も載っているので、今後それらも作っていこうと思っている。もともと化学の実験は好きだったし、使うよりも作る方が楽しい。まさか自分が劇薬なんてものを買う日が来ようとは思ってもみなかったけど、それもまた貴重な経験となった。あのときこの本を手に取らなかったら、私はずっとこれらの存在を知らないまま、安くはないボディーソープや洗顔剤やアフターシェーブやシャンプーなんかを買い続けていただろう。それに、これはひとつの伏線で、また別のところにつながっていくようにも思う。こうしてブログに書いたことで、読んだ人が使ってみて長年の悩みが解消されて、それを教えた別の誰かに伝わってというふうに波及していけば、それはまさに映画『ペイ・フォワード』の世界だ。巡りめぐって、美肌水をつけたみのもんたが美白顔でテレビに登場する日も来るかもしれない。白い松崎しげるも見てみたい。

遠い海を越えて届いた荷物を手に郵便に思いを馳せる 2006年10月11日(水)

室内(Room)
国際郵便が届く

Canon EOS 10D+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.0, 1/15s(絞り優先)



 エアメール。甘美な響きを持つ言葉だ。遠い国から風に乗ってやってきたようなロマンチックがとまらない。ゲーム「ルナ・シルバースターストーリー」の挿入歌「風のノクターン」を思い出す。♪見知らぬ国から 海を渡って吹く風はね やさしく耳のうしろをすぎる♪ でも、郵便物は耳の後ろを通って過ぎていっては困る。ちゃんと手元に届かないと、とまどう想いを胸に生きていくことになってしまうから。
 いきなりマイナーなネタから入りすぎて戸惑っている人が多いと思うけど、気にせず前に進んでしまおう。この前、丸ポスト絡みで日本の郵便について少し書いた。今日は国際郵便について勉強してみたので、そのあたりのことを書こうと思う。
 エアメールや国際郵便を、日本人はどれくらい受けとるものなんだろう? 私は平均的な日本人と比べてかなり少ないような気がするけど、じゃあ周りの人間はたくさん受け取っているかといえばそんな様子もない。うちのばあちゃんいわく、「じいちゃんはシナ人と文通してた」らしいのだけど、ばあちゃん、シナ人はどうなんだと思う。私の場合、海外の文通友達もいないし、知人がひんぱんに外国旅行に行くわけでもなく、そうなると、ほんとにたまに友達が海外から送ってくれる絵はがきくらいしか外国からの郵便物を受け取るということはない。
 今回の郵便は、アメリカに住んでいる日本人からオークションで物を買ったことで、期せずして国際郵便が送られてくるということになった。何を買ったかをここで発表するのはやめておこう。怪しいブツではないことだけは言っておく。
 届いた包みを手にとって、これは確かに外国から届いたものなんだなと思うと、ちょっと感慨深いものがある。国内から届く荷物とはやっぱり嬉しさが違う。たとえ中身が日本でも売っているものだったとしても。

 GLOBAL PRIORITY MAILというのは、ランクでいうと中間くらいの扱いということになるのだろうか。PRIORITYは優先順位というような意味だから、普通のエアメールよりも優先順位が上ということになる。たぶん、日本でいうなら通常の郵便に簡易速達が付いたようなものだと思う。アメリカから日本まで4日で、値段は約600円だった。日本のEXPACKでも500円ということを思えば、この600円はそんなに高くない。4日なら定形外郵便とさほど変わらないし。
 国際郵便のシステムはかなり複雑で分かりづらい。基本的に重さなんだろうけど、荷物をどういう扱いにするかで金額にかなり差が出てくる。航空便で送るか船で送るか、急ぐか急がないかでまた違ってくるし、国によってもいろいろありすぎて分からない。郵政民営化されてるところなんかは特に。
 日本から外国へ送る場合を調べてみると、思ったよりも安くもあり高くもある。とにかく重いものはバカ高い。1キロを超えると、地域によって1,500円から3,000円くらいになるし、15キロなんか超えた日には1万円とかになる。前に郵便局の窓口で順番待ちをしてるとき、大きな荷物を送ろうとしていた人が2万いくらですとかって言われているのを聞いて耳を疑ったことがあったけど、あれは冗談じゃなかったのだ。大阪のおばちゃんやおじちゃんが商売のときに言うのとはわけが違う。送り先は確か南米のどこかだった。
 一方、通常のハガキなどはいたって安い。世界のどこでも70円だし、封書でも、50gまでなら160円から230円だ。これくらいなら国内の郵便物と感覚的に一緒と言ってもいい。今まで海外に向けて手紙を出したことがない私だけど、こんなに安いなら出してみたい。適当な住所に出してみようか。カナダなんかよさそうだ。そしたら返信で、カナダからラブレターが届くかもしれない。ラブレター・フロム・カナダ。
 日本で普通に発売されている切手で届くというのはちょっと不思議な感覚だ。なんとなく出す国の切手を貼って出さないようないけないような気がしていた。
 封書も、エアメールなら例の赤、青、白の床屋のうずまき模様みたいなのが入ったものを使わなければいけないものとばかり思っていたら、これも普通の封書でよかったのだ。もしかしたら、折り込みチラシの裏でもいいのかもしれない。
 赤色で「Air Mail」か「Par Avion」と書くのは、日本の年賀状に「年賀」と書くのと同じようなものだ。

 手紙を届けるということは、人が文明を持つ以前から必要に迫られていたと思うけど、その中で伝書鳩というのはかなり古くから使われていた手だったに違いない。古代エジプトでもあったと言われている。古代エジプトでは、すでに手紙を運ぶのを専門とした人もいたらしい。
 郵便を最初に制度化したのは、紀元前6世紀の古代ペルシアだそうだ。こういうものはたいてい戦争が絡んでいて、それが原動力となることが多い。発明にしても、移動手段にしても、制度にしても。郵便も例外ではない。
 古代ローマでも、中国は唐の時代にも、しっかり郵便制度はあったという。日本は戦国時代でもまだ早馬で運んでいたくらいだから、郵便に関しては世界で遅れていた方だろう。国土が狭いから、いざとなれば自分が出向いていけるというのもある。
 しかしながら、同じく狭い国土ながら郵便というものの重要性というものにいち早く気づいて、体制を確立していったのはイギリスだった。1600年代にはかなりシステム化されていたようだ。
 画期的だったのが、1832年にイギリスのローランド・ヒルが提唱した重量制と全国均一料金制度だった。1840年にはその制度が採用され、世界で初めて切手というものが登場したのだった。
 これは世界で次々に取り入れられることになり、1843年にはスイス、ブラジル、1847年にはアメリカ、1849年にはフランスがそれぞれ初めて切手を作った。日本はやや遅れて、1871年(明治4年)だった。
 1874年には万国郵便連合(UPU)が設立され、郵便の世界はこれによってひとつとなった。これがあるから、日本の切手でも当たり前のように外国に配達してもらえるのだ。
 切手といえば面白いのは、どの国も切手には自分の国名を印刷しているのに対して、イギリスだけは国名を入れてないというのだ。日本ならどの切手にもNIPPONと入っている。イギリスはどうして入れないかといえば、この制度を作ったのはうちなんだから、入れる必要ないでしょということになるらしい。昔、駄菓子屋で買った外国の中古切手の中に、国名の入ってないものがあったら、それはイギリスの切手ということになる。

 郵便にまつわるドラマは日本でも世界でもたくさんあることだろう。届かなかったラブレターや、間違いで届いた手紙から始まった恋なんてのもあったかもしれない。郵便配達にも様々なドラマがあるはずだ。ただ、そのわりに郵便や郵便配達を主題にした映画が不思議と少ない。何年か前に中国映画で『山の郵便配達』というのがあったけど、その他では『郵便配達は二度ベルを鳴らす』くらいしか思いつかない。最近では電子メールがテーマの『ユー・ガット・メール』くらいか。岩井俊二監督の『Love Letter』はよかった。韓国映画はわりと手紙にまつわるものが多い。『イルマーレ』や『天国からの手紙』、『猟奇的な彼女』でも手紙は重要なキーになっていた。
 思い返してみると、私たちが学生の頃はまだいろんなところで手紙というものが活躍していた。私も中学のとき、ただひとり文通というものをしたことがあった。あれは新潟の糸魚川市の子だった。名前も忘れてないし、手紙は押し入れの奥にまだとってあるはずだ。授業中に好きな女の子から回ってきた連絡事項のような手紙も捨ててはいない。フラれた手紙も破いてはいないし、靴箱に入っていた名前のないラブレターもどこかにあるはずだ。
 手紙は残るから嫌だという人もいるだろうけど、残るからいい部分もある。二度と読み返すことはなくても、引っ越しのときなどに出てきたら、それだけで懐かしくて嬉しくなる。メールも残ると思いがちだけど、やっぱり残らないと思う。PCを変えたり、OSを入れ替えたりなんかしてるうちにいつの間にかどこかへ行ってしまう。
 今はこれだけたくさんのメールが行き交う時代になって、手紙はますますすたれていっているけど、この先も手紙は確実に残ると私は思う。メールは手紙の進歩したものではなくまったく別のものだから、人はまた手紙の大切さに気づいて、メールと手紙を使い分けていくようになるだろう。
 こんな時代だからこそ、あえて手紙を書こう。話すのではなく、メールでもなく、手紙でしか伝えられない気持ちもきっとあるから。
  • ホーム
  • ‹ 前
  • 次 ›