朝っぱらから亀戸天神で藤を見る -激闘・河口湖編はここから始まった

神社仏閣(Shrines and temples)
亀戸天神-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 河口湖へ行った日は、朝っぱらに東京に着いて、出発までしばらく時間があったので亀戸天神(かめいどてんじん)へ行くことにした。一度行きたいと思っていた神社でもあり、ちょうど藤が満開の時期でもあった。ここは江戸の昔から藤名所としても知られたところだ。
 激闘・河口湖編は、実は早朝6時の亀戸天神からすでに始まっていたのだ。今日は亀戸天神について書きたいと思う。

 日本全国にある天満宮、天神さんと同じく、ここも菅原道真を祀った神社だ。
 もともとは出世をねたまれた菅原道真が左遷された九州太宰府の地で死に、怨霊を沈めるために神様として祀ったのが天満宮の始まりだ。京都の北野天満宮も、朝廷で続いた変死が道真の怨念だということになって建てられた。
 のちの天満宮は性格が変わり、出来の良かった道真を学問の神様として奉ってあやかろうという発想によって建てられたものが多い。
 この亀戸天神も、江戸時代初期の1662年に、道真の子孫の大鳥居信祐が亀戸に小さな社を作ったのが始まりとされている。
 太宰府天満宮にならって社殿や楼門、太鼓橋をを造ったのは、四代将軍家綱だった。家綱は凡庸とか政務は家臣任せの趣味人だったとか、あまり評判のよくない将軍だけど、明暦の大火のときは寺社や武家に資金援助をするなどという面も見せた。11歳で将軍職について、政治は保科正之や井伊直孝、酒井忠勝といった優秀な取り巻きが全部やってしまったからやることがなかったということもがあるかもしれない。実際の人物像がよく分からない将軍だ。
 湯島天神とは歴史が違うものの、江戸時代から江戸の二大天神として信仰されていた。
 古くは九州太宰府天満宮に対して東の宰府ということで東宰府天満宮や亀戸宰府天満宮と呼ばれていたという。明治に亀戸神社となり、昭和11年に亀戸天神社となった。

亀戸天神-2

 現在の本殿は昭和36年(1961年)に再建されたものだ。昔の建物は何もかも空襲で焼けてしまって残っていない。亀戸一帯は焼け野原になったようだ。残っていたら、まず間違いなく重要文化財になっていただろう。
 明治の古い写真を見ると、それはもう立派な楼門と本殿が建っていて、写真だけでもうわぁーと声が出てしまうくらいなのだ。これを見られないなんて悔しい。こんなものを見せられてしまうと、今ある亀戸天神は作り物のレプリカにしか思えない。
 ただ、戦後復興がままらないまま15年以上も本殿なしに月日が流れ、ようやく昭和36年に再建されたときには地元の人たちは喜んだことだろう。楼門も再建できればよかったけど、そこまでは無理だったらしい。

 亀戸天神というと、鷽替神事がよく知られている。
 鷽(ウソ)という鳥がいて、その鳥とは直接関係ないのだけど、名前のウソとかけて、去年までの悪いことはウソにしてしまって、幸運に取り替えるというものだ。鷽をかたどった木彫りの人形を買って、一年後に古いものを持ってきて、新しいものを買って帰る。一回始めたら毎年新しいものに交換しなければいけないというなんだか上手い商売に乗せられているような気がしないでもないけど、こういうものは縁起物だ。実を取ってはいけないのだろう。
 鷽は、フィーフィーと口笛を吹くような声で鳴く姿がうそぶいているように見えることから名づけられたといわれている。いまどき、嘘を誤魔化すために口笛を吹いてる人は見たことがないけど。
 鷽替えは太宰府天満宮をはじめ、いくつかの天満宮で行われているようで、いろいろなスタイルがあるみたいだ。

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 祝日の朝6時だというのにすでにこの人出。恐るべし、東京。しかし、連休の日中はこの参道が人で埋め尽くされて歩くこともままならないというから更に驚く。写真を見たら笑った。朝の満員電車並みに混んでるではないか。ゆっくり見たければ平日の早朝に行くしかない。最近は夜明けも早いから、5時くらいに行けば大丈夫だろう。ここは終日開放なので、明るければいつでもいい。連休中は夜間のライトアップもされている(18時-0時)。夜藤というのはなかなか珍しい。
 約1万平方メートルの敷地に94株の藤の木と28の藤棚があるんだそうだ。なかなか見応えがある。数でもおそらく東京一だろう。
 見頃は早咲きが満開になる4月の終わりから遅咲きが咲く5月のはじめまで。私が行った4月29日は、早咲きのが終わりかけで、遅咲きが満開手前という感じだった。ゴールデンウィーク明けくらいまで楽しめるんじゃないだろうか。

亀戸天神-4

 人が集まるところを屋台が見逃すはずもなく、藤祭りの期間中は日中屋台が並ぶ。お祭り気分を味わうにはいいけど、食べ物の匂いが藤の香りを打ち消しがちだから、藤を堪能するならやっぱり朝早くということになるだろう。それでみなさん朝っぱらが訪れていたというのもあったのかもしれない。昼間は混むし。
 でも、朝の5時すぎから電車が普通に動いて、みんなが活動している東京という街はあらためて変な街だなと思う。一日の始まりと終わりの境目がすごく曖昧で、ほとんどないに等しい。これほど街の睡眠時間が短いところも他にないんじゃないか。

亀戸天神-5

 亀戸天神名物、太鼓橋。その下は心字池。
 北の鳥居をくぐると最初にあるのが大きな太鼓橋(男橋)で、本殿に近い方に小橋がある。
 歌川広重が「大江戸名所百景」の「亀戸天神境内」が描いたのは大きな太鼓橋だ。もちろん当時は木製で、こんなけばけばしい赤色はしていない。現在はコンクリート製になってしまった。
 広重が描いた構図で写真を撮ろうとすると、屋台が邪魔になって撮れないようだ。せっかくあんな有名な版画があるのだから、ここが広重が描いた場所という立て札でも立てて、そのように演出すればいいのに、もったいないことをする。ただ、広重が見た通りそのままを描いたとも思えないから、そういうことは無理なのかもしれない。
 安藤広重と歌川広重を混同してる人がけっこういるんじゃないかと思うけど、現在は歌川広重が正しいということになっている。火消しの安藤家に生まれて家督を継いだ広重だけど、浮世絵師のときは安藤を名乗っておらず歌川広重とするべきだというのが定説だ。
 その広重の浮世絵に影響を受けたのがフランス人画家のモネで、自宅に日本庭園を造り、描かれた亀戸天神の太鼓橋を再現するほどだった。代表作「睡蓮」の連作で描かれている橋は、亀戸天神の橋という言い方もできるかもしれない。モネの庭にあった橋はこれほど弧を描いておらず、緑色をしているのだけど。

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 早朝からカメラと三脚をかついでやってくるくらいだから、相当に気合いが入っている。このときはまだ人が少なかったからゆっくり撮れただろう。人が増えてくると三脚なんて立ててる場合じゃなくなる。橋の上など格好の撮影ポイントだから、身動きもままならないくらい鈴なりになるはずだ。
 私は河口湖行きのことがあってのでじっくり撮っている時間もなく、亀戸天神滞在は10分という慌てようだった。ざっと一通り見て、写真を撮るだけで終わってしまった。あまり広いところではないとはいえ、あと10分くらい欲しかった。急いでいたから、なで牛も道真さんの像も見逃した。
 来年の梅の季節に再訪できるといい。

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 藤はいつ見ても日本人好みの風情だねと思う。イメージいうと平安時代だ。桜は庶民のものでも、藤は貴族がよく似合う。
 藤は山でも野生のものが咲いているけど、断然藤棚に限る。人の手が加わると人工的になって情緒がなくなるものが多い中、藤は例外だ。藤棚を最初に思いついた人間は見る目があった。偶然だったのか、こうなると分かっていて始めたのか。
 藤の季語は晩春だけど、初夏の花という印象が強い。この花を見ると、いよいよ暑くなるぞと覚悟する。5月の花ラッシュに先駆けて咲く花という位置づけでもある。
 見頃を見極めるのが難しい花で、毎年出遅れている私だけど、今年はいい時期に見ることができた。できれば津島の天王川公園も見に行きたいと思っているのだけど、今年ももう出遅れだろう。連休明けで間に合うかどうか。
 今年ニュース画像で見た「あしかがフラワーパーク」の藤はすごかった。あれはいつか見に行きたい。

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 もう少し晴れていて、池の水がきれいなら、藤波が水面に映ってきれいだったろう。
 伊藤左千夫の「池水は濁りに にごり藤波の 影もうつらず 雨降りしきる」は雨の日の亀戸天神を詠ったものだったけど、太宰治はそれが亀戸天神のことだと知っていたのだろうか。もし知っていたら、記録には残ってないけど、こっそりこの地を訪れていたかもしれない。

亀戸天神-10

 少し紫がかかった白の藤もあった。白藤は豊田の御作の藤回廊で真っ白なのを見たことがある。あれはあれできれいだけど、やっぱり藤は藤色に限る。

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 亀戸天神は亀でも有名なんだとか。行く前は知らなくて、帰ってきてから知った。池には数百か、もっとたくさんの亀がいるらしい。岩場には折り重なるように亀が甲羅干しをしているそうだけど、このときはそんなこと思いもしなかったので見かけなかった。早朝だからまだ寝ていたか。
 ただし、亀がいるから亀戸ではなく、地名の由来はもっと古い時代にさかのぼる。弥生時代くらいまではこの地は海で、そこに亀ノ島(亀津島)という小さな島があった。亀の甲羅に形が似ているところからそう名づけられた。やがてそこに亀村という漁村ができて、亀ヶ井という井戸が有名で、そこから亀井戸となり、いつしか井が抜けて亀戸となったんだとか。

亀戸天神-12

 最初、少し道に迷って東の鳥居から入ってしまったので、帰りは南の鳥居から帰ることにした。
 おばあさんが掃除をしている姿が下町情緒という感じでよかった。
 亀戸の街も少し歩いて何枚か写真も撮ってきたので、近いうちに紹介しようと思っている。今日一緒に載せようと思ったら亀戸天神の写真が思ったよりも多くなってしまった。
 明日からはまた河口湖編に戻る。今日の亀戸天神も含めて、激闘・河口湖編は紹介した分でまだ半分ちょっとでしかない。何しろ時間だけでも朝の5時半から夜の10時までと長きに渡った。激闘というのは大げさじゃない一日だったのだ。それも、このブログに全部書き終わって初めて完結となる。もうしばらくおつき合いください。
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