
FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor VR 24-120mm f3.5-5.6 / SIGMA 17-70mm f2.8-4 他
桜の写真がたくさんあるから、桜が咲いているうちに載せてしまいたい。今日は五条川の続きをいっておこう。
桜前線は今、北関東と信州の手前あたりだろうか。中部、関東まではもう満開を過ぎた。東北、北海道はまだひと月先だ。明日は松本へ行くのだけど、ようやくつぼみがふくらんだところだそうだ。毎年のことながら、日本列島は季節の歩みにずいぶん差があるのだと思い知らされる。太陽から見て、ほんのわずかの差でしかないのに。

豊臣秀吉の家臣だった17歳の堀尾金助は、小田原征伐のとき病気で命を落とした。その出征のとき、熱田まで見送りに行った母と息子の別れの場所に架かっていのが裁断橋で、後年老朽した橋を母親が架け直し、更に古くなって取り壊されることになった橋を、屋敷のあった大口町のこの場所に再築したのが現在の裁断橋だ。
そんな歴史のある橋のわりには新しくて、コンクリート部分が多いのが残念だ。橋そのものは木造で雰囲気があるのでもったいない。

桜を見るというのは、桜の下を歩くということだ。毎年見る桜は同じでも、あの年は誰とどこへ行ったという記憶はそれぞれだ。

撮りたいと思うシーンは、毎年同じ場所だということに気づく。カメラやレンズが変わり、写真の技術は上がっても、感受性というのはそんなに変わるものではない。過去2回もこの場所から撮っている。来年行っても、やっぱりここから撮ってしまうことだろう。

太い枝が折れ、中がむき出しになっても桜は咲き続ける。
五条川沿いも木に札がかかっているし、当然管理もしてるのだろうけど、ここはあまり人の手が入ってないのがいい。無闇に剪定してるところもあって、あれはあまりいい気分じゃないから。

桜のアップというのはほとんど撮らないから、どう撮っていいのかよく分からない。これは来年以降の課題として残った。

寺の名前はよく分からないけど、毎回寄っている。山号が秋葉山というのは知っているものの、地図にも名前が出ていない。
ここの桜もかなり立派。

落ちた花びらが水面を流れていく中、赤と白の鯉が流れに逆らって泳いでいた。桜吹雪に紅白の鯉のぼりとはめでたい。
もう少しすると、花びらは鯉の姿を隠してしまうほど川面を覆う。そのシーンを撮りたいと思いつつ、もう4年になってしまった。撮るなら雨のあとや風の強い日を狙っていかないと。

植物季節観測用標本と書かれた札が立っていた。もしかすると、これが岩倉市の標準木だろうか。
名古屋の標準木は、千種区の名古屋地方気象台にあるらしい。どこにあるんだろう。気象台の敷地内なら一般人は立ち入り禁止だろうか。

老夫婦の桜見物も素敵だ。50年前一緒に見た桜の思い出話なんてのができるのも、長生きすればこそだ。

屋台が立ち並ぶお祭りムードということで、学生や子供たちも多い。
女の子集団も、何年かあとには彼と訪れるか、訪れなくなるかだろう。
自分が子供の頃は、友達と桜見物なんてした記憶はない。そんなものにまるで興味はなかったから、見たのは家族旅行のときくらいだった。
私がちゃんと桜を見るようになったのは、ここ数年のことだ。

一つの花で国民全体が気持ちを一つにするなんてことは、世界中を探しても日本以外にないんじゃないだろうか。
日本の風土に桜が合ったというのもあるけど、日本人のメンタリティが長い歳月をかけて育ててきたという方が大きい。桜のもとで日本人は一つになれる。これをもっと他にも活用できないもんだろうか。今更国花を変えることはできないにしても、桜を合い言葉に日本人は新しい日本人性といったようなものを作り上げていけるような気がする。
美しさと潔さと儚さと。桜は私たちに、一年に一度、忘れかけている大切なことを思い出させてくれる。そして、また来年も桜を見るために生きようと思わせてくれる。