井田八幡神社へ行って八幡神のことを少し知る ---尾張旭神社巡り第三弾

神社仏閣(Shrines and temples)
井田八幡入り口鳥居




 尾張旭の神社巡り第三弾は、井田町にある井田八幡神社だ。
 場所は、三郷交差点を南に入って、イトーヨーカドーを右手に見ながら通り越し、三郷南交差点を過ぎて少し行った左側だ。三郷小学校の西といった方が地元の人にはイメージしやすいだろうか。
 この神社に関しては、情報も少なく、これといった見所もないので、あまり書くことはない。神社にある陶製の狛犬が尾張旭市指定文化財になっているということくらいだろう。
 1300年代に、この地の城主だった浅井氏が創建したとされている。これが説明のすべてといってもいい。でも、それだけではあまりにも愛想がない。だから今日は八幡社や八幡信仰について少し書いてみたいと思う。



井田八幡鳥居額

 八幡宮といえば、鎌倉の鶴岡八幡宮が思い浮かぶ。
 八幡神の使いは鳩とされる。ここの鳥居の額も八の字がちょっと鳩っぽい。いや、微妙か。



井田八幡拝殿

 総本社は大分県宇佐市の宇佐八幡宮(宇佐神宮)で、祭神は応神天皇(誉田天皇)、神功皇后、比売神の八幡三神で(応神天皇の父・仲哀天皇も一緒に祀るところもあり)、全国でその数1万とも2万ともいわれ、稲荷社に次いで2番目に多い神社とされる。
 三大八幡となると、宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)と、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)または筥崎宮(福岡県福岡市)というのが一般的だ。他にも自称というのはある。
 名古屋では、城山八幡宮(千種区)や若宮八幡社(中区)が知られている。
 何しろ数が多いから、意識しないままそういえば近所にあるなという人も多いと思う。
 しかし、これの出自に興味を持って調べてみようという人はさほど多くないかもしれない。八幡の神様が誰であろうとそんなことは普通の人には関係のないことだ。
 いきなり結論めいたことをいってしまうと、これは渡来人(主に中国や朝鮮半島から日本に来た人々)がもたらした信仰を日本人が取り込んで発展させた神様ということのようだ。
 宇佐八幡宮の元宮が福岡県築上郡にある。矢幡八幡宮という神社で(現在の金富神社)、当時八幡は「ヤハタ」と呼ばれていた。ハチマンという読みになったのは、神仏習合したのちのことだ。宇佐八幡宮となったのは、京都に石清水八幡宮ができてのちのことで(859年)、それまでは単に八幡だった。
 ヤハタの八は数が多いという意味で(八百万の神のように)、「ハタ」は神が降りてきたときの拠り所となる幡を意味するとされる。たくさんの旗を立てて信仰するというスタイルは朝鮮半島にあったものだ。源氏の赤旗、平家の白旗や、戦国時代の旗なども単なる目印というだけではなく、このあたりからも来ているようだ。
 宇佐地方は、新羅・加羅から渡来した秦氏が支配する国だった。5世紀頃のことだ。朝鮮半島からもたらされた信仰が土地で根を下ろし、日本の古くからの信仰と結びついて、八幡信仰が確立されていくことになる。

 秦氏などの渡来人は、信仰だけでなく進んだ知識や技術なども日本にもたらした。
 八幡信仰は元々シャーマニズムの色合いが濃く、当時のシャーマンは火を扱う専門家でもあった。同時に鍛冶や鋳造の専門家でもあり、そのことがのちに日本との関わりを深くさせる要因となる。
 砂鉄を溶かして鉄を作り、銅から鏡などを作った。「鹿男」で有名になった三角縁神獣鏡も、卑弥呼が魏から送られたものだけでなく、日本国内でも作られていたという話もある。宇佐市の古墳からもそれが見つかっている。
 そんな流れの中、東大寺の大仏が一つの大きな転機となる。大仏作りは制作開始から10年の歳月を要すことになるのだけど、大仏の鋳造に7度失敗して8度目にようやく成功を収めたという経緯がある。日本国内の知識や技術だけではどうにもならないとなって、聖武天皇は宇佐に使いを送って助けを求めた。宇佐八幡宮に祈願したということになっているけど、実際は渡来人に銅や技術の提供を頼んだのだろう。よほどの理由がない限り、都のある奈良からわざわざ九州まで祈願しに行ったりはしない。
 その成功により、渡来人は朝廷と強く結びつくことになる。早速東大寺に手向山八幡宮が建てられ、神様であった八幡は八幡大菩薩という仏様にもなった。これが日本における神仏習合の始まりとされている。
 八幡には神宮の称号が贈られ、外来神が伊勢神宮に次いでいきなり国家第二位の神社になった。これを機に、八幡神社は日本全国へと広がっていくことになる。
 道鏡が天皇になろうとして八幡神の託宣を利用しようとした事件などでも八幡宮は登場するし、源氏と八幡との関わりも強い。源頼朝は幕府を開くために真っ先に取りかかったのが鎌倉に鶴岡八幡宮を移して社殿を建てることだった。鎌倉時代以降、武将の守護神としての意味合いも強めていくことになる。第二次大戦の特攻隊員の信仰心にまでつながっていく。
 京都の石清水八幡宮は多くの荘園を持っていたため、それらの土地にも八幡神信仰は広まっていった。
 ついでに書けば、稲荷神社も、もともとは秦氏が京都の伏見で始めたもので、のちに現世利益と結びついて信仰者を増やしたという歴史がある。そうみると、今の日本の神社の半分以上は朝鮮と関わりのある神様を祀っているということになる。



井田八幡拝殿

 おそらく戦後の再建だろうけど木造の社殿はなかなか雰囲気がある。

 

井田八幡御嶽神社

 本殿の横に御嶽神社と彫られた石が建っている。木曽の御嶽山で修行した僧たちが広めたもので、平安以前からあった古い信仰のようだ。どういう経緯でここに祀られることになったのかはよく分からない。



井田八幡狛犬

 尾張旭市文化財指定の陶製狛犬があるということは帰ってきてから知った。拝殿前の狛犬は普通の石像だから、どこかに保管しているのだろうか。



井田八幡本殿

 本殿がどうなっているのか、ぐるりと一周回ってみた。



井田八幡手水舎

 龍の口から水が流れて、手水舎の水がきれいなのは好感が持てる。こういうローカル神社では、日常的な参拝客が少ないから、手水舎の水を止めているところも少なくない。水道水なら確かにもったないことだけど、こういう部分は神社では大事なところだから、手入れを行き届かせて欲しいと思う。



井田八幡境内夕暮れ

 近くに山ノ神神社というのもあって、そっちも一緒に回ろうと思ったのだけど、場所が分からずぐるぐる走っているうちに日没となってしまった。その少し先にも白山神社があるから、次はそちらも巡る予定でいる。
 
【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「三郷駅」から徒歩約10分。
 ・無料駐車場 あり
 ・拝観時間 終日
 
記事タイトルとURLをコピーする
コメント
  • 2008/03/21 01:31
    こんばんは。オオタさんもBIGを買っているんですね。ぼくも毎回2,3口買っていますが、当たってません。宝くじのロト6も毎回千円ほど買いますがこちらも当たってません。時々参っている稲荷神社には、ロトで大当たりしたら10万円くらいお賽銭を入れてこようかな?と思います。本当にやったら怪しまれないか不安ですが。

    今日の記事をみて、地元にも八幡社があることを思い出しました。しかも自分が通っていた中学校のすぐ前なのですが、今までに2,3回しか参ったことがないです。
    いずれ参拝に行こうと思いました。
  • 当たれば大きい
    2008/03/21 03:41
    ★しゅうさん

     こんにちは。

     BIGは当たれば大きいけど、確率低いですよねー。(^^;
     普通の宝くじの方がよっぽど当たりそう。
     まず当たらないと思いつつ、当たったらいいことに使おう(笑)。
     あんなもの自分のために使ったらバチが当たりそうだし。(^^;
     ちゃんと神社に賽銭を入れることも忘れないようにしなくては。

     八幡さまは日本全国の至る所にあるんでしょうね。
     あまり普段は意識してないけど。
     もとは外来にしても、長い歴史のある日本独自の神社だから、顔をつないでおいて損はないはず。
     一度も行かなければ無縁だけど、一度でも行けば縁ができますからね。
コメント投稿

トラックバック