明大前に歴史と人間の物語あり ---駅シリーズ第一弾

東京(Tokyo)
明大前-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 明大前へ行ったのは、ネットの友達に会うためだった。それ以外の理由で明大前に降り立つ理由は、思い当たらない。特に名所があるというわけでもなく、今更明治大学に入学し直す予定ももちろんないから。
 でもせっかく縁あって降り立った駅だし、これをネタにしない手はない。今日は明大前について少し書きたいと思う。
 地名では世田谷区松原と呼ばれるこの街は、かつては甲州街道沿いの宿場町としてそれなりの賑わいを見せていたようだ。
 時代が進み、戦前は住宅地として発展するも、昭和20年4月の東京大空襲で焼かれ、一面焼け野原となってしまう。
 終戦後は再び住宅地として復興していき、大きな転機となったのは東京オリンピックだった。昭和30年代の終わりから40年代初めにかけて、街は大きく様変わりする。駅舎は新しく生まれ変わり、甲州街道も倍の広さに拡張された。マラソンではそこをランナーたちが走っている。
 現在の明大前は、古さの残る住宅地という印象を受けた。学校といっても明治大学の他数校があるだけなので、学生街という感じはない。明治大学にしても、和泉校舎は文系の1、2年だけのようだから、学生の数もさほど多くない。その分うるさくないといえばそうだし、賑やかさが足りないといえばいえるかもしれない。新宿や渋谷まで電車一本10分以内という好立地条件のわりには静かな街のようだ。少なくとも、下北沢や吉祥寺のようではない。
 地味なのは京王電鉄だからという話もある。ここが東急の街だったら、もっと華やかになっていただろうか。電車ということでは、昔ここにもう一つの山手線が通るはずだったというのは、鉄の人たちの間では有名な話だ。それを通すための施設の一部が残っていて、わざわざそれを見に来る人も多いという。
 京王線の駅が初めてできたのは、大正2年(1319年)のことで、そのときの駅名は「火薬庫前駅」だった。江戸時代、この地に幕府の武器弾薬を格納する焔硝蔵(えんしょうぐら)があって、明治になってもそのまま陸軍が火薬庫として使っていたので、その名前になった。あたりは見渡す限り畑でそれ以外に目印となるものがなかったのだ。
 4年後、駅名は地名の松原となり、火薬庫はやがてつぶされ、その跡地に明治大学予科が移転してきたことを機に(昭和9年(1934年))、現在の明大前と再び改名されたのだった。
 明治大学の西側は築地本願寺別院の墓地和田堀廟所(びょうしょ)があり、樋口一葉や海音寺潮五郎、佐藤栄作などの墓がある。
 一方の井の頭線の開通は昭和8年(1933年)で、当初は違う鉄道会社だった。駅名は最初「西松原駅」だったのが、京王線にあわせて昭和10年(1935年)に明大前とした。
 こちらの電車に乗っていくと、太宰治が住んでいた三鷹や井の頭公園、吉祥寺へ行く。お彼岸巡りをしたのは、ちょうど去年の今頃のことだった。そのときの様子は去年のブログに書いた。

明大前-2

 友達とは一度メーリングリストのオフ会で会って以来、8年ぶりくらいの再会となった。ネット上でそれくらい続く関係というのもあまりない。
 カフェでごちそうになり、そのまま夕飯までごちそうになってしまった。
 明大前と再会とくれば、水上勉の再会話を思い出す。
 昭和15年、21歳のときに福井から東京に上京した水上勉は、昭和16年、22歳のときに同姓相手との間に長男をもうける。しかし、戦争と生活苦のために明大前の靴屋の養子に出さざるをえなかった。
 昭和18年正式な結婚をするも、売れない作家の水上勉は奥さんに食べさせてもらうような生活だった。戦争は激しさを増し、暮らしはますます厳しくなる。
 昭和20年、東京空襲で明大前が焼けたため、長男は助からなかっただろうとあきらめていた。
 妻との間に長女が生まれる。
 昭和24年、奥さんは娘を置いて、明大前にあった印刷屋の長男と駆け落ち。日本橋白木屋にあった勤め先のダンスホールで知り合った男だった。
 何ヶ月経っても帰ってこない妻を捜して、水上勉は人づてに聞いた話を頼りに3歳の娘を連れて明大前の街をさまよい歩くことになる。戦後まもなくの明大前は今以上にごちゃごちゃした街だったようだ。
 なんとか印刷屋を見つけて男に対面したものの、とうとう妻に会うことはできず、やがて協議離婚となる。
 昭和52年、死んだと思っていた長男と34年ぶりの再会を果たすこととなり、それは新聞にも大きく取り上げられた。長男の窪島誠一郎は、美術評論家となっていた。

明大前-3

 昭和の香り漂う、すずらん通り商店街を少し歩いたところにある「ホルモン本舗じゅうじゅうぼうぼう 明大前店」という店に入った。焼き肉なんてすごく久しぶりだ。学生時代に行ったきりかもしれない。
 ホルモン本舗だけに知ってる肉がない。これはひるんだ。ただでさえ焼き肉の知識がないところへもってきて、ガツ刺や白センマイ刺なんていわれてもどこのことやらさっぱり分からない。適当なものを注文したら、それでえらく苦労することになったのだけど、それもまた思い出となった。
 ここから得られた教訓は、焼き肉屋では知ってる名前の肉を注文しろということだ。カルビやキモは美味しかった。

明大前-4

 店内に飾られていたブリキの置物などを撮ってみる。特に深い意味はない。
 今回は駅前とか駅舎とか、撮るべきところを撮ってなかったのが悔やまれる。時間があまりなくて夜にかけてだったということもあって、明治大学も見られなかった。次回があれば、和田堀廟所などもあわせて見て回りたいと思う。

明大前-5

「ホルモン本舗じゅうじゅうぼうぼう 」のキャッチコピーは「平凡な焼肉に飽きてしまった貴方!満足すること受け合いです。」だそうだ。確かに平凡な焼き肉屋ではなかった。私たちは一番奥の座席に座ったので、近くの方は一度行ってみてください。おおー、ここがオオタたちが座った席なんだぁという感慨はあまりないと思うけど。
 すずらん通り商店街には昔、オウム真理教の店などがあったそうだけど、さすがに今はもうないだろう。
 商店街ではないけど、中田兄弟とかいう有名なラーメン屋があるそうだ。「山猫珈琲店」のコーヒーが美味しいらしい。
 桜の季節は、その時期だけ開放される和田掘給水所がある。都内で二番目に古い給水所なので、見る価値ありだ。

 人に歴史があるように、街にも歴史があり、人と街の関わりがある。田舎の無名のローカル駅にもたくさんのドラマがある。
 駅シリーズというのは面白そうだ。東京なら無数に駅があるから、駅の写真も撮っておけば、それがネタになる。山手線全部の駅に降りて、各駅について書くなんてのも楽しそうだ。たぶん、鉄の人の中にはそういう駅の人もいるのだろう。
 また駅シリーズ第二弾でお会いしましょう。次は~、下北沢~、下北沢の予定です。
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コメント
  • 管理人のみ閲覧できます
    2012/06/09 16:12
    このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 東京
    2012/06/10 22:30


     こんにちは。
     ご無沙汰でした。
     元気そうで何よりです。
     私は変わらないといえば変わらない日々を送ってます。
     東京はすっかり足が遠のいてます。
     今ならもう少し上手く東京を撮れると思うのだけど。
     このときからもう4年以上経ってるんですね。いつの間にかという感じです。
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