マダム率の高い鎌倉文学館で文学青年だったときの感覚が蘇る

鎌倉(Kamakura)
鎌倉文学館-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 金沢街道方面から江ノ電に乗って、鎌倉文学館へとやって来た。エリアとしては長谷になるのだろうか。歩くなら由比ヶ浜の駅の方が近い。10分くらいだ。
 アジサイのときに時間があったら行こうと話をしていて結局行けずじまいだったから、今回はちょっと強引にねじ込んでみた。このあと長谷寺のライトアップがあったから方角的に都合がいいというのもあった。
 ここは鎌倉観光コースからやや外れているようで、訪れる人はさほど多くない。夕方近くという時間帯もあったかもしれないけど、文学館なんてものに好んで行こうという人も少ないのだろう。秋バラの季節は終わったし、紅葉もほとんど終わりかけだ。少し前まで特別展覧をしていた澁澤龍彦のときならもう少し賑わっていたのかもしれない。私もそれはぜひ見たかったけど、訪れたときにやっていた中原中也特集はもっと見たかった。そういう意味でも今回はタイミングがよかった。
 洋館へと続くアプローチはちょとしたモミジのトンネルになっている。もう一週間早ければもっときれいだっただろう。
 私にしては珍しく人が入ってない写真を採用したのは、この場所が光の影の加減が一番よかったからだ。でもやっぱりいるべきところに人がない写真は面白くない。死んだ世界のようで不気味にさえ思えて不安になる。

鎌倉文学館-2

 これは振り返って撮ったところ。帰りのおばさまたちとすれ違ったので、いいタイミングを待って撮った。人が入っている写真は安心する。
 それにしてもマダム率高しだ。古い洋館にバラに文学と来れば、マダムを惹きつける要素は出そろったと言っていい。文学青年が思い詰めたような顔で一人訪れるのは似合わないところだ。そういうための文学館でもあるのだけど。

鎌倉文学館-3

 入り口に向かって上り坂を歩いていたら、いつの間にかマダムの人たちに追いついた。いかにもという客層でちょっと笑ってしまう。洋館にやって来る人種そのものだったから。おばさま方は本当に洋館が好きらしい。
 前方に見えているのは、招鶴洞(しょうかくどう)と名づけられたトンネルだ。屋敷の中にトンネルを持っているところはそうはない。谷戸(やと)と呼ばれる鎌倉らしい地形に建てられているからこんなことになってしまう。谷戸というのは関東特有の言い回しで、まわりを小高い山や丘に囲まれて谷が細長く続くような地形を指す。切り通しと共に鎌倉でよくある地形だ。
 この土地がいかに山に囲まれた場所にあるかは、文学館の中にある鎌倉のジオラマでもよく分かった。敵から身を守るために頼朝はあえてこの地に都を置いたのだろうけど、拡張性があまり期待できない土地だけに、その後の発展をはばむ要因にもなった。

鎌倉文学館-4

 文学館全景。今は冬枯れになってしまった芝だけど、夏は青々としていて建物とのコントラストが美しい。暖かいときはこの芝生に座ってお弁当を食べたり、のんびりしたりするのも気持ちいいだろう。

 加賀藩前田家の子孫である前田利嗣が、この地に鎌倉の別邸として屋敷を建てたのが1890年頃。明治43年(1910年)に火事で焼けてしまったのち、1936年(昭和11年)に現在の館が建てられた。
 戦後は一時デンマーク公使が別荘として借りていたこともあった。昭和39年から死ぬまで、佐藤栄作元首相が借り受けて週末の静養地として使っていたという館でもある。三島由紀夫氏が『春の雪』でこの別荘をモデルとして描いたことでも知られている。
 昭和58年に鎌倉市に寄贈されて、昭和60年に鎌倉文学館として一般公開が始まった。
 建物はちょっと見慣れない不思議な外観をしている。なんとなく落ち着かないような気がするのは、左右非対称で、和洋折衷だからだろう。設計は前田家専属の建築家・渡辺栄治という人物だそうだ。お抱え建築家まで持っていたとは前田家もなかなかのものだ。元をたどれば、名古屋の荒子出身の前田利家が、まつのおかげで立身出世して加賀100万石の大名になったおかげだ。
 二階建てのように見えているけど実際は三階建てで、玄関が二階で一階は地下のような造りになっている。三階は非公開で入れない。
 内装もお金のかかった凝ったもので、大理石の暖炉やステンドグラス、照明器具など見所がいろいろある。ただ、残念ながら撮影禁止で写真はない。文学的に貴重な資料を展示してるということで写真は駄目ということなんだろう。
 入館は300円。このときは特別展示で400円だった。月曜定休なので注意が必要。

鎌倉文学館-5

 鎌倉には大正時代あたりから文学者が住むようになって、昭和初期は文学者のステータスのようになった。鎌倉文士という言葉が生まれたのもその頃のことだった。
 理由の一つに関東大震災があった。壊滅的になってしまった東京から移り住むのに鎌倉がちょうどよかったのだろう。それと、横須賀線の開通というのも大きかった。普段は静かな環境で作品を書き、用事があるときはちょっと東京まで行って帰ってこられる。それに鎌倉は古都としての魅力も備えている。
 夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、小林秀雄、澁澤龍彦、太宰治、与謝野晶子、大佛次郎、里見、高見順、久米正雄など、鎌倉に縁のある文学者は多い。
 そういった鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆原稿や愛用品などを展示するための資料館が、鎌倉文学館というわけだ。
 写真付きで紹介できないのがかえすがえすも残念なのだけど、興味のある人なら一見の価値がある。生原稿なども充実していて、直筆の原稿の直しなどを見ると感慨深いものがある。みんなそれぞれ字に個性があって、やっぱり手書き原稿はいいなとあらためて思う。ワープロでは直しが残らないから詰まらない。
 展示内容は常設展と企画展に分かれていて、それぞれ年に何回か入れ替えが行われる。
 今回の中原中也の企画展は、見ておいてよかった。ちょっと思い入れが強いので、ここで簡単には書けない。いずれ何かの機会に中原中也のことはあらためて書きたいと思っている。

鎌倉文学館-6

 春バラと秋バラのシーズンは、ここも大賑わいだそうだ。バラと洋館のコンビは強い。そのときばかりはマダムの独壇場ではなく、カメラのおじさんたちが押し寄せてくる。カップルも入り乱れて大混雑の様相を呈すのだろう。
 種類もだんだん増えて、現在は178品種200株が植えられているそうだ。でもきっと、バラの羊羹は売ってないと思う。あれは古河庭園だけだろう。

鎌倉文学館-7

 背の高い紫ピンクの花が勢いよく咲いていて、なんだろうと近づいてプレートを見たら、「皇帝ダリア」とあった。初めて見た。
 立木ダリア、ツリーダリアとも呼ばれて、高さ4メートルにもなるそうだ。
 原産はメキシコで、晩秋に咲く。そういえばコスモスにも少し似ているところがある。

鎌倉文学館-8

 上空ではトンビが何羽も旋回していた。下で人間が何か美味しいものを食べてないか見ていたのだろう。鎌倉のトンビは賢くて凶暴だから気をつけないといけない。あえて食べ物で誘ってみるも、トンビはついに降りてこなかった。やつらはこっちが油断しているときを狙って素早くかっぱらっていくようだ。
 トンビの好物は何だろう。やっぱり鳶に油揚げなのか? だったらいなり寿司を買っていくのだけど。いなり寿司を捉える決定的瞬間を撮ってみたい。頭に乗せておいたらエサを取られるだけでは済まず頭をかち割られるだろうか。鎌倉帰りに私の頭に包帯がぐるぐる巻きになっていたら、それはトンビにやられたものだと思っていい。

鎌倉文学館-9

 高台に建っているので、由比ヶ浜方面の海を見渡すことができる。天気がいいと遠くの島なども見えるそうだ。
 ここで日没時間切れとなった。文学館も冬場は4時半まで。私たちも追い立てられるようにあとにするのだった。
 次の長谷寺ライトアップで今回の鎌倉編も終わりとなる。
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