かつての面影が残っていない鎌倉五山の浄妙寺に栄枯盛衰を思う

鎌倉(Kamakura)
浄妙寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 杉本寺をあとにして、更に金沢街道を行く。5分も歩くとバス停の浄明寺があって、そこを左に行けば浄妙寺、右へ行けば報国寺となる。どちらから行ってもよかったのだけど、気分で浄妙寺を先にした。
 ここら一帯は浄明寺という地名になっていて、お寺の浄妙寺とは地が違っている。同じ字を使うのは畏れ多いということで変えたんだそうだ。かつての浄妙寺は鎌倉五山の第五位という大寺院だったから、そういうこともあるだろう。
 帰りは浄明寺のバス停からバスに乗って鎌倉駅まで戻った。歩くと遠いけどバスならすぐだ。渋滞さえなければ10分もかからない距離だ。

 浄妙寺は我々の鎌倉五山巡り最後のお寺となった。ゴールデンウィークのときに、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺と一気に4つ回って、浄妙寺だけが離れたところにあったので行けずに残った。寿福寺もゴールデンウィークの特別公開とかで知らない間に中に入っていた。
 鎌倉五山といっても、その後の衰退が激しく、現在も大寺院として生き残ったのは建長寺と円覚寺だけとなっている。今回行った浄妙寺も普通の規模のお寺となっていて、七堂伽藍と塔頭二十三院を抱えていたという全盛期の面影はもはや残っていない。拝観料も控えめで100円だ。
 それでは総門をくぐって中に入ってみよう。

浄妙寺-2

 門から真っ直ぐ伸びた参道の先に大きな本堂が建っている。禅寺らしい構えだ。しかし境内は狭い。かつてはどんな規模だったのか分からないけど、こんな狭い中には七つもの伽藍は入らない。もっと横幅も奥行きもあったのだろう。今は本堂だけがわずかに過去の栄華を偲ばせる。
 今は銅葺き屋根となっているけど、何十年か前までは茅葺きだったそうだ。近年の茅不足と手入れの大変さから銅葺きになってしまったらしい。この規模で茅葺き屋根のお堂は立派な姿だったろう。そのとき見たかった。
 堂は江戸時代中期の1756年に再建されたものだ。
 境内には他に、客殿、庫裏、収納庫などしか残っていない。火災などで焼けてしまったまま再建されることがなかった。

 創建は1188年というから鎌倉幕府が開かれる前だ。源頼朝の家臣だった足利義兼が、退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて極楽寺として建てたのがはじまりだった。このときはまだ密教系(真言宗)の寺院だった。
 禅宗に鞍替えして名前を浄妙寺としたのは、建長寺の開山だった蘭溪道隆の弟子の月峯了然が住職となったときで、1258年頃だったとされている。
 1756年に足利尊氏のお父さんの足利貞氏が再興した。貞氏は死んでここに葬られ、寺の裏手に墓が建っている。
 1386年に室町幕府の三代将軍足利義満が五山の制を定めたとき、浄妙寺は第五位とされた。この後隆盛を極めるも、室町幕府の衰退と共に寺も勢いを失っていった。日本の中心が鎌倉ではなくなっていったから無理もない話だ。
 正式名は、稲荷山浄妙廣利禅寺。本尊は釈迦如来。

浄妙寺-3

 目の前を猫がスタコラと横切っていった。あ、おい、ちょっと待って、という呼びかけにも応じることなく駆け足で去っていって、何をする気かと思ったら灰色の猫を追いかけて飛びかかっていっていた。お仲間じゃないのか。
 この猫、どうやらここの名物猫のようで、いつもは拝観料を払う入り口のカウンターで寝ているらしい。こういうのも看板猫というのだろうか。あるいは招き猫か。
 でもやっぱり猫がいる神社仏閣はいい。気持ちが和む。

浄妙寺-4

 この寺は特に紅葉名所というわけではなく、枯れ葉風情だった。
 茶室の隣は、木漏れ日と落ち葉が風情を感じさせた。

浄妙寺-5

 喜泉庵と名づけられた茶室と枯山水の庭園があって、500円払うとここにあがって抹茶をいただくことができる。
 でもありがたがるのは早い。もともとこの場所は1500年代後半に僧侶たちが喜泉という茶席を設けていたところで、現在の茶室と庭園は平成3年に造られたものだ。よくできているけど、ごく新しいものなのでこれはまた歴史のある立派な庭園ですねなどと口走ると恥ずかしい思いをするので気をつけたい。

浄妙寺-6

 左手の坂道を登っていくと、「石窯ガーデンテラス」という案内看板が立っている。お寺の中にガーデンテラスとは何事だろうと思ったら、自家製パンを出すカフェ&レストランだった。これも境内の中ということになるのだろう。
 かつて貴族院議員の洋館が建っていて、その持ち主が転々として、最終的には浄妙寺が買い取ったとかなんとか。はっきりしたことはよく知らない。とにかく今は境内の中にあるレストランのようだ。
 かなりの人気らしくて、私たちは行かなかったのだけど、週末などは入るのに1時間待ちなんてこともあるんだとか。
 金沢街道のこの先には旧華頂宮邸もあったりして、ちょっとした洋館巡りもできる。

浄妙寺-7

 奥に紅葉してるところがあったので撮ってみた。ここはきれいな赤が残っていた。鎌倉は場所によって紅葉の進み具合にかなりバラつきがある。距離はそんなに離れてないのだけど。

 鎌倉五山の寺として期待していくとこんなものかとちょっとがっかりしてしまうかもしれない。寺院としては特に見所があるわけではない。本堂も江戸時代のものだし、茶室や庭園は平成生まれの生成育ちだ。紅葉も見所になるほどではない。季節ものとしてはボタンが充実してるそうだ。あとは看板猫を見るくらいか。
 ここまで何も残ってないと、逆に流れた歳月の多さに感慨深い。円覚寺や建長寺へ行ったあとに訪れてみるとその思いもひとしおだろう。栄華盛衰というのもを思わずにいられない。時代は移り変わっていくものだ。
 次回は報国時編だ。それが今回の金沢街道巡り最後となる。
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