岩屋堂は100年後も昭和のままでいて欲しい

観光地(Tourist spot)
岩屋堂2-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 今日は岩屋堂の紅葉名残風景の続きを。
 ここは浄源寺三蔵門前の左手、イチョウの落ち葉が一番きれいなところだ。落ちた葉っぱの量を見て、あらためて木の葉の多さを思う。葉っぱってのはこんなにも必要なものなのだろうか。
 木がどうして冬になると葉を落とすのか、その理由はいまだに解明されていない。冬の間はあまり光合成ができないから余分な栄養素や水分を吸い取ってしまう葉っぱを落とすのだとか、一年に一度自身にたまった老廃物を捨ててリフレッシュするのだとか、いろいろな人がいろな理屈をつけてみても、はっきりしたところは分からない。木自身さえきっと分かってない。
 紅葉もメカニズムは解明されていても理由は誰も知らない。花の美しさに理由がないのと同じことななのかもしれない。この世界は人間の理屈で動いてるわけではないから、理解できないことがたくさんあるのは当たり前のことだ。

岩屋堂2-2

 門から三蔵門までの参道。
 きれいな赤絨毯を見たければ、もっと早く訪れなくてはならない。落ちたてホヤホヤの時期の早朝がベストだ。雨上がりの朝という条件が揃えば最高だろう。そんな時間帯に出向いていけるようになれば私の写真に対する熱意も本物なのだろうけど、今のところそんな気はサラサラない。無理なく動ける範囲でお気に入りの写真を撮ろうというレベルにとどまっている。根性がないやつめ。

岩屋堂2-3

 無料駐車場から少し歩いたところで小さな団体さんとすれ違った。じさまとばさまの小軍団だったけど、マイクロバスがとまっていたから、どこかからやって来たのだろう。でも、ちゃんと下調べしてこないと。もうここは終わってますよ。
 夕方だったから、どこか他からの流れだったのかもしれない。香嵐渓帰りについでに岩屋堂も寄っていこうかなんてふうに。もしくは、小原村あたりとか。

岩屋堂2-4

 ここの屋台が営業してる時期に行ったことがないから誰がどんなふうに商売をしてるのか分からないのだけど、閉まっているときの風情が好きだ。手作り感覚満点の屋台と手書きの品書き。ビニール張りのパイプ椅子に「ご自由にお使いください」と油性マジックでダイレクトに書いてしまう大胆さもいい。
 そして今回ニューアイテムが加わったのを私は見逃さなかった。手前に写ってるカラーベンチがそうだ。白、赤、黄色、緑に塗り分けるという斬新さ。ただし、特に意味はないものと思われる。カラフルにして人目を引こうと思ったのだろうか。もしくは、屋台を塗ったときのペンキが余ったからそれを使いたかったのかもしれない。
 せっかくきれいに塗ったんだから足まで塗ろうよ。下の部分は木のままだ。たぶん、裏も塗ってない。ここの人はどうも途中で仕事を投げ出してしまう傾向があって、椅子の片付けが途中だったり、椅子の並び文字がバラバラだったり、あちこちにB型的な傾向が見受けられる。
 いつかそのうち、どんな人がオーナーなのか見に行こう。

岩屋堂2-5

 ここが岩屋堂と呼ばれるようになったきっかけはこの岩の洞窟にある。奈良時代に行基がここの洞窟にこもって、聖武天皇の病気がよくなるように願いながら仏像を彫り、岩屋山薬師堂と名づけて、それが岩屋堂となった。
 洞窟の中には薬師石仏と十二体の観音石仏がある。詳しくは以前のブログに書いたので今回は省略する。
 この場所も久しぶりに立ち寄った。一応挨拶だけしておいた。
 右の赤い鳥居の先にはお稲荷さんがあって、岩巣山への登山口にもなっている。ここの山は低山ハイクにはなかなかいいところだ。低い山だけど道はけっこう険しくて、侮っているとはじき返される。私は一度途中でギブアップしたことがあった。

岩屋堂2-6

 暁明ヶ滝の右上に毘沙門天を祀ったと思われる小さな社がある。くわしいいわれとかは分からない。
 お参りに訪れる人はあまりいなさそうだけど、おみくじの自動販売機が置かれている。赤く写ってるのがそうだ。ちゃんとお金を入れたら出てくるんだろうか。おみくじの売り切れって聞いたことがないけど、出なかったらそれはハズレだ。

岩屋堂2-7

 水の流れは目の付け所によっては絵になる部分があって、プロはそういうところを見つける力がすごい。たぶん、写真家が撮った同じ場所に立っても普通の人にそれは見えないんじゃないかと思う。
 このときもそんなところを探してみたのだけど、これといったところは見つけられなかった。渦を巻いたところで落ち葉が回っているのをスローシャッターで撮るというのは一つの定番だ。

岩屋堂2-8

 落ち葉に埋まる石の階段。誰もこんなところまで掃除はしそうにないから、季節がすぎゆくままに任せるのだろう。落ち葉はどこへいくのだろう。散った桜の花びらがどこへ行くのか不思議なように、紅葉のあとの落ち葉がどうなるのか、毎年疑問に思う。
 階段の枯れ葉はキケン、キケン。奈良ですべってこけてから、必要以上に警戒して歩くようになった。階段を下りる姿はじいさんのようになっている私なのであった。危ない、危ない、ゆっくり、慎重に。

岩屋堂2-9

 落とし物なのか、置き忘れなのか、手すりに水晶が置かれていた。こういうものはどんな念やパワーが入ってるか知れないからうかつに触れない。
 私は一年近くつけていた水晶をしながわ水族館のトイレに置き忘れてしまった。あれはさんざん神社仏閣を巡って多くのパワーを注入したものだったから、惜しいことをした。でも、水晶は身代わりになってくれるともいうし、私から離れることで守ってくれたのかもしれないとも思う。
 持っていった人がいたとしたら、私の代わりに守ってもらえるだろう。

岩屋堂2-10

 日没になって、鳥も風景さえも撮れない暗さになったので引き返してきた。今は日没が一年で一番早い時期となっているから、日暮れが早い。
 ここはよく分からないけど、小さな池があって、噴水が出ている。ときどき大きく噴き出したり、小さくなったりなんて演出もある。ほとんど誰も見てない。魚がいるわけでもなさそうだ。その割にはしっかり周りを囲ってあったりして、何がしたいのかもう一つ読み切れない。ただの飾りだろうか。

岩屋堂2-11

 バス停の時刻表を見て、うちの田舎が負けるところがあることを知る。
 日に3本というのはまああり得るとは思うけど、昼前後に集中しているのは何事だろう。9時台、11時台、13時台というのは何故だ? 朝の出勤には遅すぎるし、行楽客の帰りには早すぎる。誰が利用するのだろう。需要が読めない。1本逃すと次は2時間後というのもつらい。これならいっそのこと、午前と午後の2本でいいんじゃないかと思うけど、向こうから来るバスの都合もあるのだろうか。平日用と土日用の時間がまったく一緒だからわざわざ分けることもなかろうに。

 岩屋堂はみんな温かい目で見守らなくてはいけない。いろんなところでおかしかったり、笑えたりするけど、笑ってもいけない。今となっては昭和の観光地風情を残す貴重なスポットだ。ありがたい。昭和遺産というものが選定されることがあれば、ぜひ岩屋堂を推したい。いい意味で脱力感を誘う癒しスポットとも言える。初めて訪れた人はのけぞると思うけど、それは味として楽しんで欲しい。私はこれからもまた何度も行くことになるだろう。次はまた来年2月のセリバオウレンだ。その前に鳥撮りも行くかもしれない。
 地元の紅葉撮りもこれで最後になりそうだ。今週末鎌倉で紅葉は見る予定でいるけど、来週まで保っているところはもうほとんどないだろう。猿投神社へ行こうと思って行けなかったのが少し心残りだけど、今年は大本命の香嵐渓へも行けたし、岩屋堂の浄源寺もジャストタイミングだったし、もう充分だ。小原村と犬山寂光院は来年のお楽しみということにしよう。
 紅葉撮りは少し見えた部分もあり、あらためて難しさも知った。それと、光の重要性も再認識した。毎年、桜と紅葉は自分の成長を知るのに格好の被写体となる。大切なのは撮る前のイメージだとは分かっていても、まだ完成図が見えた上でシャッターを切るところまでいけない。次の桜まであと4ヶ月近くあるから、その間さらに勉強と練習を重ねていかなくては。
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