明治村の鉄撮影で撮り鉄二等兵を自覚する ---明治村で撮る<第五回> - 現身日和 【うつせみびより】

明治村の鉄撮影で撮り鉄二等兵を自覚する ---明治村で撮る<第五回>

明治村で鉄-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 明治村は建築物でだけでなく、鉄道の楽しみもある。動く市電やSLの他に動かない列車なども保存されていて、おそらく全国の鉄道マニアの人はそれだけを見に来たりもするのだと思う。他の建物そっちのけで。
 私もこの日はにわか鉄になったつもりでいろいろ鉄道関係の写真を撮ってきた。蒸気動車キハ6401の前で写真を撮っていたら、たまたま通りかかった明治村の職員の人に、よかったら中に入って見ていってくださいと声をかけられてしまった。いや、私、鉄の人じゃないんですと言い出しにくくて、それじゃあせっかくだからということで中に入らせてもらった。
 蒸気機関の扉を開けてもらったり、親切にもあれこれ説明してもらってありがたいことだった。写真もどんどん撮ってくださいというので必要以上に撮ってみた。上の写真はその中の一枚で、蒸気機関のアップだ。ちょっと鉄っぽくぐっと迫ってみた。鉄の人の特徴としては一般人が興味を持たないような細かい点に注目するという特質があることに最近気づいた私なのであった。

明治村で鉄-2

 蒸気動車という聞き慣れない名前のこの列車は、蒸気機関車と電車の間をつなぐ珍しいもので、明治村にあるものが現存する唯一のものなんだそうだ。
 一番の特徴はなんといっても蒸気機関が列車の内部にあることだ。一両の中に蒸気機関と客室と機関室が全部同居している。客室の隣で石炭なんかをくべて蒸気の力で走っていたというからすごい。すごいとうか無茶だ。夏場なんて暑くて乗ってられないだろう。
 さすがにそんな無理な列車が主力にはるはずもなく、ごく短期間で姿を消していった。ただ、これを日本で最初に導入したのが我らの瀬戸電だったというのはちょっと嬉しい。名鉄になる前の瀬戸自動鉄道が、1905年(明治38年)にセルポレー式を走らせたのが始まりだった。ただ、あまりにも故障が多く、しかも頑張っても時速20キロくらいしか出ないことから早々に見切りを付けられたのだった。
 明治村にある蒸気動車キハ6401号車(工藤式蒸気動車)は、明治45年(1912年)に現在の関西本線で短期間使用されたもので、そこでもあまり活躍できないまま名鉄蒲郡線に払い下げられた。そこでしばらく走ったあと廃車となり、長い間犬山遊園で野ざらし展示されていたそうだ。そろそろ廃車かと思われたところで明治村から声がかかり、ここで保存展示されることになったというわけだ。
 外観も元の姿に復元されて、鉄道記念物にも指定された。一般人の私は鉄道記念物なんてものがあることも知らなかったけど、かなり名誉なことなんだそうだ。

明治村で鉄-3

 朽ち果てそうな荷物棚と、朽ち果てたつり革。年季が入っているという度を超している。うっかりつり革につかまったらちぎれて顔からシートに突っ込んでいきそうだ。荷物を乗せたら、突き抜けて座っている人の頭の上に落ちる。
 列車自体が木でできているというのも驚く。これは確かに機関車でもないし電車でもない。走る木造建築だ。こんなものが実際に走っていたというのだからびっくりする。ガタゴトというよりギシギシきしみながら走っていたんじゃないだろうか。脱線したらバラバラに分解してしまいそう。

明治村で鉄-4

 これが外の前から見たとことだ。蒸気機関が列車内にすっぽりおさまっているのが分かる。扉が前開きになるのは、やっぱり熱対策だったりするのだろうか。狭い機関室に閉じこめられたら大変だ。
 ちょっと暗いけど、上からは煙突が突き出している。ここから煙を吐きながら走っていたのだろう。
 車輪の仕組みは蒸気機関車とそっくりなスタイルをしている。

明治村で鉄-5

 移築保存されている鉄道局新橋工場の中には、明治天皇、皇后の専用列車である6号御料車と5号御料車の二両が保存展示されている。両方とも鉄道記念物に指定されている。写真は明治天皇用の6号の方だ。
 明治には数台の皇室専用列車が作られて、6号は一番最後であり最も豪華な御料車とされている。外観はもちろん、内装にも力が入れられていて、走る芸術工芸品といわれていたという。残念ながら普段は中にはいることができず、触ることもできない。ただ、見学ツアーみたいなのがあるようで、一度団体で中に入っているのを見たことがある。
 かつてはこんな列車で優雅に旅をしていたのだ。ちょっと信じられないような気もする。電車は自動車や飛行機とは違って決まった線路を走るものだ。のんびりしていた時代とはいえ、マイ列車ということは、その時間は線路も独占してしまうということだ。
 大正から昭和にかけても御料車は歴代天皇家のために作られ、かつては全国を走っていたそうだ。現在はわずかに一台(3代目1号)だけが使用可能な状態だそうだ。天皇専用列車で天皇一家がどこかへ旅行へ行ったなんてニュースは聞いたことがない。今の時代だからそんなこともあっていいとも思う。
 その他の車両は、今年になってできた埼玉県大宮駅近くの鉄道博物館に展示されている。

明治村で鉄-6

 皇室といえばやはり菊の御紋だ。この紋が入ってるだけで恐れおののいてしまうところがある。
 内部は確かに豪華絢爛なものだった。家具類や内張なんかも大変な手間暇とお金がかかっている。

明治村で鉄-7

 明治村の村内では9号と12号の蒸気機関車が動態保存されていて、毎日お客を乗せて走っている。
 12号は明治7年のイギリス製で、新橋-横浜間を走っていたものだ。動く状態としては日本で一番古い蒸気機関車となった。
 9号は明治44年のアメリカ製で、富士身延鉄道で活躍していた。
 この日は機関車が走っている場面に遭遇せず、写真を撮ることができなかった。残念。
 上の写真は静態保存されている尾西鉄道1号機関車。これが乗っているオレンジ色の橋は、新橋-横浜間にあった六郷川に架けられた日本最古の鉄橋だ。

明治村で鉄-8

 走る京都市電は撮れた。
 京都市電は明治28年に開業した日本初の市電で、明治村では明治44年に製造された車両が2両今でも現役で走っている。これは戦後しばらくまで都市電北野線(伏見線)を走っていたものだそうだ。
 京都市電は、1978年に廃止というから、私は見たことがあるのかどうなのか。ぼんやりとしたイメージがあるような気もするのだけど、それは気のせいかもしれない。

明治村で鉄-9

 一日の仕事を終えてドッグ入りする蒸気機関車。まだ少し名残の煙を吐いていた。
 手前は燃料だろう。このあたりも本物っぽい。

 こうして振り返ってみると、にわか鉄にしてもまだまだ対象への迫り方が甘いことを自覚する。鉄道はまず乗ってみてこそというところがあって、離れたところから写真に撮るだけでは近しい関係を築けず、写真としても緊張感が足りないものとなる。最初の蒸気動車は中に入ったからこそ撮れた写真だ。
 今回は蒸気機関車が走ってるシーンも撮り逃したし、いずれにしてもまた行かないといけない。そのときは蒸気機関車と市電と両方乗ることにしよう。御料車もどうしたら内部を見物できるのか調べないと。見学時間というのが決められてあるのかもしれない。
 本格的に鉄の人となれるとは思わないけど、鉄道を撮る楽しさには目覚めつつある。鉄道撮りも面白い。それはもう認めよう。撮り鉄予備軍から撮り鉄二等兵くらいになったことは自覚しないといけないか。
 秩父鉄道のSLもこの前行こうとして行けなかったから、来年の課題の一つとしたい。大井川鉄道も機会があれば乗ってみたいし撮ってみたい。愛知から長野へ行く飯田線も魅力的だ。
 この週末は奈良まで近鉄を乗り継いで行くことになってるから、ここでも恥ずかしがらずに写真を撮りたいと思っている。旅の恥はかき捨てということで、ホームの一番先頭で一心不乱に電車の写真を撮る人となろう。そのためにはほとんど捨て身の覚悟が必要だけど。
 というわけで、明治村は鉄の人にとっても魅力的な場所なのです。ぜひ、全国の鉄軍曹や鉄将軍の人は行ってみてください。私も頑張って撮り続けて、最終的には撮り鉄少尉くらいにはなれるといいな。
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