稲葉正成年表(個人調べ)

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
青空

 おととい、昨日と、「大垣と周辺巡りの記録<前>」、「大垣と周辺巡りの記録<後>」をやった。
 その中でこの日の目的は稲葉正成の痕跡を探すというものだったと書いた。
 写真を見てブログの記事を書いているうちに少しずつ記憶が戻ってきて、PCのデータを見ていたら当時作った稲葉正成の年表が出てきた。
 せっかく作ったし、この先、稲葉正成の記事を書くこともないだろうから、ここに載せておくことにした。
 あまり興味を持つ人もいなさそうだけど、行きがかり上ということもある。
 関係ないといえば全然関係ないのだけど、稲葉正成のお兄さんの名前が政行で、私とまったく同じなのだ。それでちょっと縁を感じたりもしている。


1571年 林政秀の次男として美濃国十七条にて生誕
 
 兄の政行が大垣曽根城城主・稲葉重通の娘をめとったが若くして討ち死にしたため、弟の正成がその妻と結婚した
 このとき、稲葉重通の婿養子となり、名を林正成から稲葉正成に改めた

 妻が死去
 この妻との間に正次などがいる

1595年(1596?) 福(のちの春日局)17歳と再婚 正成 25歳

1597年 豊臣秀吉の家臣で、筑前の名島城主だった小早川秀秋(14歳)の家老となり5万石を領す

同年 朝鮮出兵 27歳

同年 福が19歳で最初の男子、正勝を出産

1598年 秀吉死去

1600年 関ヶ原の戦い 30歳

 東軍に寝返るよう小早川秀秋を説得したのが稲葉正成だったとされる

1601年 小早川秀秋とケンカ別れして、美濃国(関市武芸川町谷口)に移って浪人生活 半農生活が7年ほど続く

1602年 小早川秀秋 死去

1603年 家康、江戸に幕府を開く

1604年 福が家光(のちの3代将軍)の乳母となる 正成と福が離婚 34歳

 後に永見家から後添えを迎えて三度目の結婚

1607年 家康に召し出され美濃国十七条1万石の領主となる 37歳

 家康の孫・松平忠昌の家老となる

1615年 大坂夏の陣に参戦 松平忠昌を助ける 45歳

1616年 家康没

1618年 越後糸魚川2万石の所領を与えられ、忠昌の附家老となる 48歳

1624年 忠昌が越後国福井藩に改易となる。 正成はそれに従わず勝手に飛び出し浪人となる 54歳

 正成の息子の正勝が領内で謹慎を命じられる

1627年 大名として召し出され、下野真岡藩(栃木県真岡市)2万石の大名となる 57歳

1628年 江戸にて死去 58歳

1643年 春日局 没


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