欲する意思

言葉(words)
キバナコスモス

 何かを犠牲にしなければ何かを得られないという考え方はやめた方がいい。それは後ろ向きすぎる。
 ただ、現実問題として何も失わずに欲しいものを得られるかといえばそうではない。
 代償はつきものだ。
 片手に何かを持っていればもう一方の手しか使えないし、両手が塞がっていたら何かを手放さなければならない。
 抱えられる量にも限界がある。
 それでもなお、犠牲の上にしか何も成り立たないという考え方はよくない。意識の問題としてそれは間違っている。
 何かを求めるというのは自分の意思で、何かを失うというのは結果だからだ。
 失うものまでも自分の意思で決めなければいけないわけではない。
 欲しいものを掴むにはまず手を伸ばさなければならないし、手が届いたら掴まなくてはならない。
 そこには意思の力が絶対に必要だ。
 欲望は罪ではない。むしろ、何も欲しないことの方が罪深い。
 それは生きることをなかば放棄しているに等しい。
 何かを得たり、何かを失ったりして人生は続いていく。
 欲することも、失うことも、怖れてはいけない。


記事タイトルとURLをコピーする
コメント
コメント投稿

トラックバック