生まれがすべてではない

言葉(words)
空き地の野草

 他人の不幸が好きな人間は自分も不幸だ。
 幸せなら他人の不幸を喜んだりしない。
 意地悪だったり、必要以上に尖っていたりするのは、たいてい生い立ちにその要因がある。
 親に地位やお金があっても問題がないわけではない。
 不幸は自分の責任だけではないけれど、恵まれない育ちをした人間が全員不幸になるわけではない。
 逆境を活かして人並み以上の幸せを掴む人間もいる。
 逆風に流されて難破してしまうか、向かい風を利用して前へ進むかは本人の生き方にかかっている。
 人生はそんなに単純ではないといえばそうなのだけど、駄目な人間に共通するのは不幸の原因を自分以外のせいにすることだ。
 たとえば自然災害は誰のみに起きうることで、そこで負けてしまうか負けないかで大きな違いになる。
 誰にも不幸の要素はある。
 不幸な人間の側にいないことが大切だ。
 少なくとも自分を不幸だと思ったら負けになる。
 
 
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