
この前の日曜日、2月12日に愛知県西尾市の鳥羽神明社(地図/公式サイト)で行われた火祭りを見に行ってきた。
鉄道旅は本当に久しぶりで、4年ぶりくらいになる。こういった祭りに出向くのは5年ぶりくらいだろうか。
鳥羽の火祭りもコロナで2年間は神事のみが行われて火祭りは3年ぶりとのことだ。去年から今年にかけて3年ぶりという言葉をよく見聞きする。
正直、地方ローカルな祭りと甘く見ていたところがあって、実際のあまりの賑わいと熱気にのちのち気圧されることになる。
火祭り本番は夜の19時半からなのだけど(火がつけられるのは20時)、15時から海で禊ぎが行われるということで、それも見ておくことにした。
最寄り駅は名鉄蒲郡線の三河鳥羽駅(地図)で、神社までは歩いて20分ほどかかる。公式サイトには徒歩10分とあるけど、時速6.5キロの超早足で歩かないと10分では行けない。
禊ぎが行われる海岸は駅の南なので、往復するだけでもけっこう歩くことになる。

西尾市鳥羽町といっても県外の人はどのあたりにあるのか分からないと思う。名古屋の私でも行くまで知らなかったくらいだ。
三河湾沿岸のほぼ中央、吉良の東、蒲郡の西といっても土地勘がない人に説明しても分かってもらえないだろう。
鳥羽というと三重県伊勢の鳥羽は全国的によく知られている。真珠で有名な英虞湾があるのが鳥羽だ。
その伊勢鳥羽と三河鳥羽は三河湾と伊勢湾を挟んで対面のような関係になっていて、古くから関係が深かったとされる。
西尾市鳥羽は西尾市に編入されるまでは幡豆郡(はずぐん)だったところで、尾張氏の建稲種(タケイナダネ)が開拓した地とされる。
そのあたりについてはこの後出向いた幡豆神社を紹介するときに書きたいと思う。
神社は海から少し離れた小山(名前は知らない)の麓から少し登ったところにある。
三河鳥羽駅の海抜が1メートルで、800メートルほど北の神社が海抜26メートルなので、古代は今より海に近い立地だったかもしれない。
創建は第51代平城天皇の大同年間(806-809年)と伝わる古社で、『延喜式』神名帳(927年)にはないものの、『参河國内神明名帳』にある「幡豆郡 従五位下 草佐天神」に比定されている。
神明社とあることからも現在は天照大神を祭っているのだけど、もともとそうだったとは思えない。
草佐は火祭りのために草笹を集めたことから来ているのではないかとされるも、普通に考えれば地名から来ている可能性が高い。
草佐はおそらく当て字で、クササの天神と称されていたのではないか。クササの由来についてはよく分からない。
神紋は五瓜に唐花の木瓜紋で、京都八坂神社や愛知県津島市の津島神社の神紋によく似ていることから、素戔嗚尊(スサノオ)または牛頭天王を祀っていた時代があったかもしれない。

火祭りは、写真の”すずみ”に火を付けて行われる。
到着した15時前にはすでに場所取りの人たちがけっこういて、そういうものなんだと、このときもまだ軽く考えていた。

火祭りで主役となる二人の神男と奉仕者達は本社で祓いを受けた後、禊ぎのために海へ向かう。

この日は天気もよくてとても暖かかったのでふんどし姿でもある程度大丈夫だったかもしれない。ある程度はだけど。


この日のこの時間帯は干潮で、かなり沖まで歩いていかないといけなかった。毎年こうではないと思うのだけどどうだろう。
禊ぎの様子は遠すぎてよく見えなかった。

たき火をして神男たちの帰りを待つ。



祭りの前半はここまで。
後半の火祭り編へ続く。
鳥羽の火祭り ~後編