忘れた頃にやって来る尾張旭の神社巡り第二弾は一之御前と直會神社

神社仏閣(Shrines and temples)
一之御前神社外観

PENTAX K100D+smc Takumar 28mm(f3.5)



 もうほとんど誰も覚えてないと思うけど、以前私は尾張旭市の神社仏閣全制覇宣言を出した。第一弾として渋川神社のことを書いたのを誰か覚えていてくれてるだろうか。あれは4月の終わりのことだった。誰も覚えてなくても、神社仏閣ネタに食いつく人が少数派でも、私はやる。ライフワークとして尾張旭の神社をすべて巡ると決めたのだから。
 もしサッカーくじのBIGで6億円が当たったら、回った神社すべてに10万円の賽銭を投げるという約束も私は忘れてない。今のところまだ御利益はない。回れば回るほど配当が少なくなる可能性があるので、私がすでに訪れた神社はなるべく早く私に力を貸してください。今のところ、今回の第二弾で3つだから、この時点で当たった場合は、1神社につき20万円としよう。早く当たらないかな。
 今回巡ったのは、一之御前神社(いちのごぜんじんじゃ)と、直會神社(なおらいじんじゃ)の2社だった。お寺はけっこう足を踏み入れづらい雰囲気もあるので、神社仏閣巡りから神社巡りに切り替えた。民家に近いようなお寺にカメラを持って入っていくのは、少しためらわれる。
 まずは一之御前神社にお邪魔することにしよう。



手水舎

 手水舎の龍の口から出る水に光が当たってキラキラと輝いていてきれいだった。頭をなでたらドラゴンボールでもはき出さないだろうか。
 手と口をすすいで、参拝にのぞむ。人があまり訪れない神社の水がどの程度きれいなのかは毎回疑問に思うのだけど。



拝殿を臨む

 誰もいない境内。夕方の光が斜めに差し込んで、光と影の強いコントラストを描く。頭の上からは耳鳴りがするほどの蝉時雨が降りそそいでくる。
 あ、ここは好きだ、とすぐに思った。神社にも感じるものがあるところとそうじゃないところがあって、悪いというところは基本的にないのだけど、特にいいところとそうでもないところははっきりしている。いいところは領域に足を踏み入れた瞬間に分かる。好きなタイプの顔と同じよう。それは理屈じゃない。
 これまで何度横の道を通ったから知れないくらい通ってるところのすぐ横を入ったところに、こんな神社があるとは知らなかった。表からは見えないところだから、なかなか気づきにくい。尾張旭の人でも知らない人がけっこういるかもしれない。

 この尾張旭の一之御前神社については、ネットで調べてもほとんど情報が出てこない。熱田神宮にも天照大神の荒魂を祀る同名の摂社があるようだけど、それは「いちのみさき」と読ませるようだから、別系統なのかもしれない。
 瑞穂区や豊明市沓掛町にも一之御前社というのがある。そちらとの関係はどうなんだろう。全部共通のものがあるのだろうか。
 ここは由緒などを書いた説明板も立ってないから、知る手がかりがなかった。尾張旭の図書館で郷土史でも調べれば出てきそうだけど、そこまでして知りたいわけでもない。感覚的に好きだということが分かればそれでいい。



境内の様子

 ここは不思議な空間を持った神社だ。普通とはちょっと違った印象を受ける。正方形の空間の一番奥に社殿があって、あとは参道といったような道もなく、空き地に神社の社だけ持ってきたようなつくりになっている。ひどく懐かしいような気持ちになったのは、ここが昔よくあった空き地の風情に似ているからだと途中で気づいた。ところどころに雑草が生えた広場の雰囲気そのままで、社がなければ完全に子供の野球場になってるところだろう。素敵な無駄空間といったようなものを久しぶりに見て嬉しくなった。
 お気に入りの神社がまたひとつ増えた。



直會神社入り口

 次に直會神社へとやって来た。これはずいぶん奥まったところにある。偶然通りかかる可能性はほとんどない場所だ。地図を見てここを目指してやって来ないと出会うことはまずない。
 ここは吹きさらしというか、まったく囲われてないから神社特有の空気感が抜けきっている。神社というのは気を囲い込むための道具立てがないと、気が抜けていくものだ。もともとなかったのか、あとになって取り除かれてしまったのか。住宅地の間によく残されたと逆に感心してしまうくらいだ。
 こちらの方は歴史がはっきりしている。676年、天武天皇の大嘗祭が行われたときに、この地が神様に供えるための米を作る場所に選ばれたことが始まりだった。その儀式のあと、お供え物の酒や食べ物をみんなでいただく儀式を直會(なおらい)といい、その儀式が行われた場所に直會神社が建てられた。けっこう由緒正しい神社のようだ。



拝殿

 社殿はこぢんまりとした質素なたたずまいとなっている。祭神は、罪や穢れを祓う神直日神と大直日神で、できものなどがすぐに治るという評判が立って、かつては遠くからも参拝者が大勢訪れたという。現在のさびれ方からするとちょっと信じられないくらいだけど、この神社へと続く道は直會道と呼ばれたくらいだから、昔は人の往来が多かったのだろう。近所の人たちからは「のうらいさま」や「にょうらいさん」と呼ばれて親しまれていたそうだ。今はもうその道は残っていない。
 それでも毎年3月と12月の第一日曜には大祭が行われて、露天も並んでけっこうな賑わいになるんだとか。機会があれば一度のぞいてみよう。



額

 額の字は味があるというべきかなんというか。昭和54年と書いてるのだろうか。だとしたら新しいものだ。



境内の風景

 これが境内のほぼ全体像だ。柵も塀もなく、さらされ感が強い。鳥居も本殿の前に一つあるだけだ。
 昔はもっと広かったのだろうし、境内もこんな開けっぴろげな感じではなかったのだろうけど、今はもう昔の面影はあまり残ってなさそうだ。空気感としてもあまり感じるものはなかった。もう少し訪れる人が多ければ、また空気の密度も変わってくるのだろうだけど。

 愛知県には、県の無形民俗文化財にも指定されている「棒の手」という民俗芸能がある。長い棒や大太刀を使う武術的なパフォーマンスのようなものだ。各地区によってそれぞれの流派や型などがあって、尾張旭にも棒の手会がいくつかある。秋の祭りでは演技が披露されて、この地区でも一之御前神社や直會神社などで行われるそうだ。10月の第二日曜ということで、今年は10月14日だから、もうすぐだ。
 子供も演技に参加して、そのときに地元の人たちが祝儀や菓子を子供たちに投げつけるようにばらまくらしい。祭りの主催者側がするもち投げや豆まきはよくあるけど、観客の側から主役の方にものを投げるというのは珍しい。舞台のおひねりみたいだ。

 これで尾張旭にある10ほどの神社のうち、3つを回ったことになる。その気になれば2、3日で終わってしまうから、今くらいののんびりペースでちょうどいいのかもしれない。BIGもそう簡単に当たるはずもないし。
 
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