夏の終わりと秋の始まりが交差する場所で今日も命が輝いている - 現身日和 【うつせみびより】

夏の終わりと秋の始まりが交差する場所で今日も命が輝いている

香流川の生き物-1

Canon EOS 20D+Canon EF75-300mm f4-5.6 USM



 香流橋から家まで歩く機会があって、せっかくだから香流川沿いのサイクリングロードを通って帰ることにした。20Dに75-300mmの望遠ズームを付けて、目に付く生き物や花などを撮りつつ。
 最初に出会ったのがキバナコスモスとアゲハだった。今はちょうど夏と秋の境目の季節を迎えている。秋の花に夏の虫がとまっているシーンが象徴的だった。車では見逃してしまいがちな季節の微妙な変化も、歩くスピードなら実感することができる。カメラを持っていると余計にそうだ。
 今年の夏はほとんど虫たちを撮れなかったという心残りが少しある。そういうところにあまり出かけなかったこともあるけど、今年に限っては縁が薄かった。街中でも出会うときは出会うし、シャッターチャンスに恵まれることもある。アゲハもちゃんと撮ったのはこれが初めてだったかもしれない。
 あと少しチャンスは残っている。できることならここ数年の目標である、青空を背景に飛ぶ蝶の写真を撮ってこの夏の締めくくりとしたい。イメージはもう頭の中にある。2匹のアゲハのランデブー写真で、できれば太陽まで入れ込みたい。まだそういうシーンに出会ったことはない。

香流川の生き物-2

 小さなひまわりみたいな黄色い花もよく見かける。名前は知らない。たぶんひまわりの仲間でもないのだろう。日本産ではなく、アメリカかどこかの花のような気もする。キク科っぽい。
 ひまわりに似てるから、やっぱり夏の花だろうか。半分咲いて、半分枯れていた。これも夏の名残だ。

香流川の生き物-3

 ムクゲ(木槿)は夏の花といっていいかどうか。6月の終わりから10月くらまで咲いている。花は一日花で、朝開いたものは夕方にしぼんでしまうけど、それを繰り返して次々に長く咲く。
 この花はあまり存在感がないような気がする。自己主張が弱いというか、咲いているのを見かけても心が動かない。私だけだろうか。
 これを韓国が国花にしているのは意外だ。韓国というともっと強い印象の花を国の象徴にしそうなのに。色も赤のイメージだ。
 原産は中国やインドで、日本には平安時代に入ってきた。品種改良も盛んで、ピンクの他にも白や赤、八重咲きなどの種類がある。

香流川の生き物-4

 ノウゼンカズラ(凌霄花)は私の好きな花の一つだ。花そのものよりも、名前の響きがいい。漢字は当て字で能禅葛とでもしたい。
 この花は私に夏の到来をいち早く告げる花でもある。初夏にこの花を見ると、さあ、いよいよ夏が来るぞと心の準備が始まる。
 暑さが本格的になると、次々に花をつけて、夕方ぼとぼとと花を落としていく。咲いている花と地面に転がった花の生と死のコントラストが鮮やかで心惹かれる。
 8月になると花も少なくなっていよいよ夏も終わりかと自分の中で覚悟を決める。けど、そこから二枚腰でもう一段粘って咲き直し、結局9月いっぱいは花を咲かせ続ける。潔い花もいいけど、こういう粘り強い花も悪くない。
 ノウゼンカズラは南の暖かい地方だけでなく、都会の新しい家でも、田舎の古い家の庭先でも不思議とよく似合う。見た目のインパクトは強いのに爽やかでもあるから、どんなシーンにも溶け込むのだろう。派手で遊んでいるように見えて案外奥さんやお母さんも似合う女の人みたいだ。

香流川の生き物-5

 見たのは昼過ぎだったけど、これはアサガオでいいのだろう。ヒルガオではないと思う。
 今年は田舎でもしっかりアサガオを見たし、夏の終わりにもう一度見ることができて、私としては上出来だった。近年は一度もアサガオを見ないまま夏が終わってしまうことも多かったから。
 いつかもう一度、私もアサガオの水やりから一日が始まるような暮らしができるだろうか。

香流川の生き物-6

 繁殖期を迎えたコサギさんはきれいに着飾っている。後頭部からはカールした2本の長い冠羽が生えて、胸も背もビラビラの飾り羽(蓑毛)に覆われて、身支度は完成した。
 冬場のシンプルな衣装のコサギしか知らない人が見たら、別の鳥と思うかもしれない。夏場に暑苦しそうだけど、これが彼らの勝負服なのだ。いよいよ恋のシーズンとなると、目とくちばしの間が婚姻色と呼ばれるピンク色に染まる。足下はオールシーズン黄色でキメている。

香流川の生き物-7

 セグロセキレイはなんとなく冬の川にいるイメージが強いけど、留鳥なので一年中日本にいる。都会でも順応して暮らしているから、特に不自由は感じてないのだろう。
 ハクセイキレイは田んぼなどの陸地にいることが多く、セグロセキレイは町の川でよく見かける。もっと上流へ行くとキセキレイが増える。同じセキレイでもそれぞれ好む場所が違う。尾っぽを上下にフリフリする様子や、飛ぶ姿はそっくりだ。

香流川の生き物-8

 カワウは季節感のない鳥だ。一年中どこにでもいる。黒くてかわいくないし、魚をたくさん丸呑みしてしまうからあまり好かれない。アップで見るとつぶらな瞳とか可愛いし、羽も光が当たると玉虫色のようできれいなんだけど。
 これが一時絶滅寸前まで追い込まれた鳥だとは信じられない。高度成長期以降、日本中の川や池が汚れて、ほとんどいなくなってしまったというから、日本の水辺は最悪に近いところまでいっていたということだ。環境問題が叫ばれて川が少しずつきれいになったことでまた数を増やしてきた。今度は増えすぎて問題になっている。人間の都合で減ったり増えたりというのも気の毒な話だ。
 カワウの隣の岩には、よく見るとチビカメが2匹乗っている。彼らなどはペットとして外国から日本に連れてこられて、人の都合で川に捨てられて、そこからたくましく環境に馴染んで今日の繁栄を迎えている。たくましいさを超えたずうずうしささえ感じる。

香流川の生き物-9

 白い鳩がヒョコヒョコ歩いて目の前を横切った。
 野生で白い鳩が生まれることがあるのだろうか。式典なんかで放した鳩が野生化したのか。
 白い生き物はアルビノという劣性なことが多いから、自然界では弱い存在だ。白い鳩も仲間に入れてもらえず単独行動してるのをよく見かける。人間にとって白い生き物はきれいで神秘的に映るけど、白い体で野生を生きていくのはなかなか大変なんじゃないだろうか。

香流川の生き物-10

 街中では最近めっきり蝉の鳴き声を聞かなくなった。気づいたときにはピタリとやんでいる。
 けど、出遅れるやつはどの世界にもいるわけで、9月になっても一部ではまだ鳴いている。香流川沿いでもアブラゼミとツクツクボウシの生き残りがいた。遅刻してしまったのか、戦略的出遅れなのか。遅れることは必ずしも悪いことじゃない。みんなと足並みを揃えることが正しでもない。今鳴いているやつらは出遅れたのではなく、最後をつとめる役割を持った蝉たちかもしれない。行く夏を送るために鳴いているのだろうか。

 行く季節があれば来る季節がある。コスモスが咲き始め、ヒガンバナの便りが届き、キンモクセイの甘い香りがしてきたら、もう秋の始まりだ。そうこうしてるうちに、春に北へ渡ったカモたちがまた戻ってくる。逆に越冬のために南へ渡る鳥たちもいる。この秋は伊良湖岬にタカの渡りを見に行きたいと思っている。
 夏の終わりはいつでも少し感傷的になるけど、秋の到来が楽しみでもある。かつて私が一番好きだった季節が秋だった。秋のトーンが心地よかった。秋も撮るものがたくさんあるし、お楽しみはこれからだ。
 毎日が写真日和で、生きるに値しない日は一日としてない。日々、地球上のあらゆる場所で命が燃え輝いている。季節をいくつも超えられる私たちは、彼らの何倍も輝かなければならないのだ。
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