
”夏草や 兵どもが 夢の跡”
”むざんやな 甲の下の きりぎりす”
どちらも松尾芭蕉が『おくのほそ道』の中で詠んだ句だ。
前者の方が分かりやすいけど、後者の方が句としての奥行きがある。
(”きりぎりす”はコオロギのこと)
”むざんやな”をどう捉えるかによっても味わいが違ってくる。
漢字で書くと”無残”で、残酷とかいたましいといった意味だけど、ここでいう”むざん”は少し違うのように思う。
斎藤実盛の生き様、死に様に思いをはせつつも、芭蕉はそれとは別のことを考えていたかもしれない。
戦国時代から500年。源平合戦が行われたのは800年ちょっと前のことだ。
それを遠い昔と感じるか、まだその程度しか経っていないのかと思うかはそれぞれだろうけど、あれから現在に至るまで多くのことが起きた。
それを思うと気が遠くなる。
今から500年後、1000年後の世の中を想像することはできない。
未来の彼らは我々を歌う言葉を持ち得るだろうか。