思い出はいつでも取り出せる場所に

言葉(words)
手のひらのハナムグリの死

 記憶の中にある愛おしい思い出を繰り返し取り出して愛でるという行為は不健全なんだろうか、それとも健全なのだろうか、とよく考える。
 それは、懐メロに浸ることが良いことなのか悪いことなのかという問いに似ている。
 言い方を換えれば、そういった行為は後ろ向きなのか違うのかということだ。
 精神の健康を保つためには有効な方法には違いない。
 ただし、そればかりでは不健全になるということだろう。
 思い出を懐かしむことは長く生きた人間の特権だ。そのこと自体を否定するのは間違っている。
 過去は振り返らずに未来だけを見るという謎の宣言をして自分ってカッコイイと勘違いしている人がたまにいるけど、それはそれでどうなんだろうと疑問に思う。
 過去は自分の生きた証であり、やはり大切にすべきものだ。
 ほどほどに振り返るのがいいといってしまえばつまらない結論になる。ほどほどの程度もよく分からない。
 大事な記憶を机の奥にしまい込んでおくだけではもったいない。
 思い出を未来に役立てることができたら一番いいのだけど。
 
 
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