キワモノとして笑い飛ばせない哲学堂はいまだ消化不良のまま

東京(Tokyo)
哲学堂-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/30s(絞り優先)



 ゴールデンウィークに中野区にある哲学堂公園へ行った。行くまで哲学をテーマにした公園というのがどんなものかイメージできず、行ってみたら想像してたのとはずいぶん違ったので、自分の中で哲学堂の位置が定まらなかった。愛知の日進市にある宗教公園五色園のようなものだかと思ったらそうではなかった。あれはキワモノとして笑えたけど、哲学堂は笑えるようなものではなかった。なので、自分の中でどう処理をして紹介すればいいのか方向性が見えずにこれまで放置したままになっていた。
 今ここで引っ張り出してきたのは哲学堂と折り合いがついたからではなく、単なるネタ不足からだ。それでも、ずっと気になっていたから、これはいいタイミングだったのだろう。もう未解決のまま出してしまって、あとはこれを見て読んでくれた人の判断にゆだねたい。哲学堂ってどんなところと訊かれても私は口ごもって答えられない。美味しくもなく不味くもない変わった味の料理を口にしたときのあの感じだ。なんて言ったらいいのかなぁと、そのあとの言葉が続かない。あるいは、この不可解でモヤモヤっとした印象を与えるところが哲学堂の真骨頂なのかもしれない。

 いくつかある入り口の中で、やはり正門に当たる哲理門をくぐって入ろう。一見神社か寺かと思わせるけど、ここは宗教的な施設ではないので、神様関係のものはない。この門の左右にも、仁王様ではなく天狗と幽霊がいる(幽霊って)。通称、妖怪門。
 なんでそんなものがここにいるかというと、天狗は物質界、幽霊は精神界における不可解を象徴してるのだとかなんとか。よく分からないのだけど、入り口から立ち止まって考え込んでいては前に進めないので、あまり深く考えず先を急ぐことにする。妖怪博士と呼ばれた創設者の井上圓了の『妖怪学講義』を読めば謎解きはできるのだろうか。
 この施設が作られたのが明治期なので、このあたりの建物も非常に古びている。神社仏閣なら味わいとなるところだけど、ここの場合はなんとなくおどろおどろしい。幽霊が出るというウワサも本当かもしれないと思わせる変な説得力がある。屋根瓦の「哲」マークはちょっと受けた。

哲学堂-2

 この日は年に二回ある内部公開の日に当たっていて(春はゴールデンウィーク中)、各建物の内部に入ることができた。日頃は訪れる人も少なくひっそりしているであろう哲学堂も、このときは大勢の人で賑わっていた。こんなに人気スポットだとは思いもよらなかった。普段の哲学堂を知ってる人もこの姿には驚きだったろう。
 上の写真は、寝そべった釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)がいる「四聖堂」という建物の中だ。四聖とは孔子、釈迦、カント、ソクラテスのことを指す(井上圓了が勝手にそう決めただけだと思うけど)。
 井上圓了は明治から大正にかけての仏教哲学者で、東洋大学の前身である哲学館の創設者でもある。単なる変わり者のおやじさんとかではないので間違えてはいけない。
 時代をさかのぼればこの地は源頼朝の重臣の和田義盛が陣屋をかまえた和田山だった。私財をなげうって土地を買い、哲人養成のための施設を作る足がかりとして建てられたのがこの四聖堂だった(明治39年)。一年のうち260日も講演で全国を回る生活を14年も続けて、その講演料をあらかたつぎ込んで哲学堂建設に力を注いだということはかなりの力の入れようだ。伊達や酔狂の次元ではない。
 のちに四聖堂は哲学堂と呼ばれようになって、それがこの施設全体の呼び名となった。
 井上圓了のそんな強い思いを知るよしもない私たちは、休憩所代わりにここに上がり込んで、しばしくつろいだのだった。あとから来た親子連れなどは完全にリラックス状態で、ヘタしたらお弁当を広げそうな勢いさえ見せていた。まるで民宿の部屋に上がった一家という風情だった。

哲学堂-3

 こちらは小講堂としての役割を持つ「宇宙館」だ。この日も哲学に関する講義が行われていて、受講者もけっこういた。右に写っているオレンジ色の人たちはどうやらスタッフのようで、10人かそこらいた。内部公開ということで、ガードマン的な人たちだったのだろう。建物は中野区の文化財でもあるから、無茶されたら困る。
 宇宙館というからには宇宙についてもいろいろ勉強する場だったのだろう。井上圓了の思想は全然知らないから、どういう宇宙観を持っていたのかも分からない。
 宇宙館の隣には幽霊梅と呼ばれる木がある。駒込の家の庭にあった梅のところでよく幽霊が出たから、それをここに移し替えたんだとか。なんでそんなことするかなぁ、圓了先生。当時の梅の木がそのまま残ってるというわけではないだろうけど、ここで写真を撮るとよからぬものが写るという話もあったりする。

哲学堂-4

 宇宙館の中には聖徳太子像がいる。どうして宇宙と聖徳太子の組み合わせなのかは謎だ。
 そもそも、聖徳太子の存在は近年、非常にあやういものとなっている。その存在が疑われ始めて、教科書からもどんどん消えていっているというのだ。あれは作られた幻の人物像の可能性が高いから、そんな不確かな歴史を教科書に載せるのはやめておこうということらしい。少し前までは1万円札の肖像画だったのに、時代は変わった。この先、日本人はどこかで聖徳太子を知ってる世代と知らない世代の境目ができることになる。

哲学堂-5

 公園内には大小あわせて哲学に由来する77の建物や施設がある。その中で一番目につくのが、この赤い二重の塔っぽい「六賢臺(ろくけんだい)」だ。木造六角形の外観で、内部はかなり狭い。二階まで上がれるようになっているのだけど、階段などではすれ違うことさえできない。二階も4人も入ったら満員御礼になって身動きもままらない。この中ではとても暮らせないなと思う。
 六賢は、井上圓了いわく、聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅仙ということになっている。これが東洋代表メンバーらしい。いったい、圓了先生は誰が好きで、誰を尊敬していたのだろう。いろんな代表選手を選出していて、その根拠が分かりづらい。

哲学堂-6

「無盡藏」の内部。普段入れないところに入れる物珍しさはあるものの、入ったからといって特別面白いものや興味を引くものがあるわけではない。床に置かれた白い人物像が井上圓了像だといわれても、へぇーと思うくらいでそれ以上の感想は持ち得ない。なんだろう、哲学堂、行く前も、訪れてる最中も、行ってきたあともよく分からない不思議なところだ。
 このほか、三學亭、絶對城、髑髏庵、鬼神窟、靈明閣などという恐ろしいような大げさな名前のついた建物がいくつかあって、心字池、倫理淵、理性島、概念橋など自然や人工物にもいちいち名前がつけられている。ネーミングマニアと言ってもいい。

哲学堂-7

 この日は特別な日で人も多かったから普段とはまるで違った雰囲気だったのだろうけど、こんなワンシーンが今の哲学堂公園を象徴しているのだろう。近所のおじさんたちが集まってきて、ベンチでひなたぼっこをしたりおしゃべりをしたり、公園にいる猫が横でねそべっていたりする。和服の異人さんまでいて、おじさんと将棋を指していた。南米のどこかの国から来たと言っていた。ボリビアだったか、パラグアイだったか、そんなようなところだ。カタコトならが日本語でのコミュニケーションも成立していた。私たちもおじさんたちと猫の話をした。
 井上圓了の没後、本人の遺志によって1944年、哲学堂は東京都に寄贈された。それを公園として整備して、1975年には中野区が管理するようになった。今となっては哲学そっちのけの普通の公園となっている。中野区民が哲学するためにここへやってきて瞑想するなんてところではない。桜の名所としてもちょっと知られた場所となっている。

哲学堂-8

 大きい池が心字池で、こちらの小さい池は唯心庭(ゆいしんてい)という庭扱いとなっている。東京のちびっ子たちがザリガニ釣りをしていた。夕方の木漏れ日の中で、平和な光景だった。東京というと街中の殺伐としたイメージが強いけど、意外と緑や自然が多くて、子供たちもそんな中で元気に遊んでいる。こういう一部分だけ切り取ってみると、私たちが子供だった頃とそんなに変わってないようにも見える。

哲学堂-9

 鳩を手なずけて自由自在に操っているおじさんがいた。何を語りかけるでもなく、ニコリとするわけでもなく、淡々と仕事のように手から鳩にエサをやり、肩に乗せて戯れていた。東京ってこういうおじさんが多い。カモたちにエサをばらまいてるおじさんや、スズメと完全に友達になってるおじさんとかを私は見た。名古屋ではそんな人は見たことがないんだけど。
 ある意味では、このおじさんが哲学堂の中でもっとも哲学しているように見えた。哲人鳩オヤジと名付けたい。

 哲学堂は行ってみないとよく分からないとこだけど、行ったとしても今ひとつ理解は出来ない。いったい何がしたかったんだろうという疑問が頭の中で空に浮かんだまま着地点を見いだせない。学問所でもなく、宗教的な施設でもなく、一般に対する積極的な働きかけもない。どうぞここで思う存分哲学してくださいという姿勢のようなものも見えない。哲学を優しくかみ砕いて誰でも理解できるように説明しようなんて気もないようだ。
 哲学というのは学問としての側面だけでなく、人が生きていく上で幸せに暮らすための方法論としての側面が大事だと私は思っている。自分も他人も幸せにしない哲学なんて価値がない。だとするならば、難しい論理も出来る限り分かりやすい形にして提出してみせる必要がある。小難しいことを言ったり論理をこねくるなんてのは自己満足でしかない。
 そういう意味では、個人的な印象として哲学堂には物足りなさを感じた。せっかくここまでの施設を作って広く一般に公開してるのに、それをいかしきれていない。もったいない。もっと哲学に親しんでもらうための工夫をした方がよかったんじゃないか。難しい名前の建物を建てるだけでは普通の人が哲学に目覚めるためのきっけにはならない。哲学者に興味を持ってもらうためには、哲学者たちの人間的なエピソードの一つでも紹介すればいい。釈迦は恵まれた王子だったのにカミさんと子供を捨てて自分だけ悟りのための修行をしたとか、そんなようなことでもいい。
 まあしかし、哲学堂の哲学的な部分は置いといて、こういう施設が公園として引き継がれたということには意味がある。キワモノ的存在として徹底されてないのが残念といえば残念だけど、ユニークな存在であることは間違いない。哲学公園なんて世界でもそうはないだろう。
 次の内部公開は秋。10月いっぱいの土日祝日なので、行ける人はぜひ一度行ってみることをおすすめしたい。私も消化不良を起こしたままだから、もう一度行ってきちんと消化する必要があるかもしれない。
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