東京の拠点である目白界隈を歩いて集めた小ネタ集

東京(Tokyo)
目白界隈-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f4.5 1/250s(絞り優先)



 ヤマユリと鳳来寺行きで撮った写真を現像に出して、出来上がってくるまでネタ切れ注意報発令。今回は安さに惹かれてネットで注文したので、返送されてくるまで3、4日はかかる。この間、何かでつながないといけない。さて困ったなと思いつつ過去の写真を漁っていると、東京へ行ったときに撮った写真でこぼれているものが何枚か見つかった。その中から今回は、私の東京の拠点である目白界隈の写真を紹介しようと思う。半年以上に渡って目白、雑司ヶ谷方面はちょくちょく歩いているので、気がついたら小ネタがけっこう集まっていた。季節はバラバラだけど、今日はこれを使うことにしよう。

 護国寺の前の大通りを雑司ヶ谷方面に向かって歩く。昭和シェルを過ぎたあたりを右側に入っていくと、民家の庭のようなところに古い神社がある。何も知らなければただ通り過ぎてしまうところだし、そもそも入っていっていいのかどうかもためらわれるような雰囲気があって人を寄せ付けない。でも、いわれを知っていればちょっと見ていこうかということになるのがここ、清土鬼子母神(せいどきしもじん)だ。鬼子母神堂の本尊となった鬼子母神像はこの地で見つかったといわれている。
 室町時代(1561年)、村人が畑仕事をしていたらクワの先にガチンという手応えがして石っころかと思ったら何かの仏像で、なんじゃこりゃと思いながら、東陽坊(のちに大行院と改称後、法明寺に合併)で坊さんに見てもらったところ、こりゃあおまえ、鬼子母神の像だぞということになって、それが現在の鬼子母神堂が誕生するきっかけとなったのだった。
 村人としては仏像よりも小判の方がありがたかっただろうけど、東陽坊の坊主がひそかに自分のものにしようとして故郷に持ち帰ったらひどい病気になってあわてて寺に返したという話を聞いたときは、下手なことをしなくてよかったと安堵したんじゃないだろうか。落とし物の取り扱いには注意が必要だ。1億円拾った大貫さんはあの後どうなったんだろう。

目白界隈-2

 境内には三角形の井戸があって、掘り出した鬼子母神像をこの水で洗い清めたというエピソードが残っている。そのとき井戸の水面に星の影が現れたことから、井戸を星の清水とか星の井などと呼ぶようになった。
 現在井戸の水は枯れているようだ。
 この清土鬼子母神の奥に、かつて菊池寛の邸宅があった。

目白界隈-3

 目白台を抜け、雑司ヶ谷霊園の横を過ぎて、都電荒川線の線路を越える。雑司ヶ谷駅と鬼子母神駅の間に、雑司ヶ谷大鳥神社(大鷲神社)がある。ここも鬼子母神と関わりが深い。
 創建は江戸時代の1712年。旧称を鷺明神といった。祭神は、日本武命(やまとたけるのみこと)で、相殿には倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られている。
 もともとは鬼子母神の境内にあったものが、明治の神仏分離令で大鳥神社と改称、分離してこの地に移された。
 毎年11月には酉の市が行われて、なかなか賑わうそうだ。地元の人には雑司が谷のお酉様と呼ばれて親しまれているという。

目白界隈-4

 鬼子母神堂は法明寺ともつながる。というよりも、鬼子母神堂は法明寺の飛地境内なので、こちらの方が本家(本坊)だ。鬼子母神堂の北、住所としては南池袋3丁目に位置している。
 創建は810年。弘法大師の開基とされているけど定かではない。もともとは威光寺という真言宗の寺だったものが、1312年に日源上人が日蓮宗に改宗して威光山法明寺と名を改めた。
 三代将軍家光以降、将軍家にも大事にされて大きくなっていく。関東大震災、第二次大戦それぞれで倒壊、消失して、そのたびに再建されて今に至っている。
 江戸時代に参道の両脇に桜を植えて以来、桜の名所として名が知られるようになった。桜の季節には参道の両側に座り込んで花見をする人が多数出現する。写真で見ただけだけど、それはちょっと変な光景で笑えた。来年は実際の様子を見てみたい。

目白界隈-5

 神社仏閣巡りの次は教会巡りだ。目白通り沿いにある目白聖公会に入ってみた。昼間の時間帯なら門も扉も開いていて、誰でも自由に入っていくことができる。オープンマインドな教会だ。
 大正7年(1918年)、この場所にあった病院の建物を改造して教会にしたのが始まりだった。現在の聖堂は昭和4年(1929年)に建てられたもので、空襲にもあわずに今も当時の姿をとどめている。木造の平屋建てで、東京の聖公会教会(33)の中では最も古く、唯一戦前の建物だ。
 教会創立から90年近く、建物も80年になる。その割には古びた印象もなく、格式張ってなくてキリストとは無関係の人間でもなじみやすい。信者のミサだけではなく、一般向けのいろんな催し物やコンサートなども多く開かれているようだ。

目白界隈-6

 聖堂の内部はこじんまりしていて、ぬくもりと神聖さがほどよく混じり合って居心地がいい。ここにも本物の教会だけが持つ、外界とは隔絶された非日常的な空気感が支配していた。密度はなかなか濃い。教会でもその空気感の密度は違って、スカスカに抜けてしまっているようなところもある。
 教会が日常になってしまうとそれはそれで面白くないのだけど、たまに行くと身も心も浄化されてすっきりする。

目白界隈-7

 ここの名物になっている大きくて美しいステンドグラスがこれだ。「聖家族」というタイトルがつけられている。100年以上前にイギリスで作られたものを譲り受けたそうだ。
 柔らかい夕方の光を受けたステンドグラスは、とてもすてきだった。

目白界隈-9

 目白通りの南、下落合2丁目にちょっと目を引く古い建物がある。日立目白クラブ、かつて学習院の寄宿舎「昭和寮」だったものだ。
 昭和3年(1928年)の建築で、鉄筋コンクリートの2階建て。その前は学習院院長の近衛篤麿公爵邸がここに建っていた。今の天皇陛下もここで寮生活を送っていたんだそうだ。戦後の昭和28年(1953年)に日立製作所の所有となった。
 一般人は立ち入り禁止なのが惜しい。年に数回でもいいから公開してくれないだろうか。

目白界隈-8

 個人的に思い出深い、バプテスト目白ヶ丘教会。思えば去年の12月の早朝6時半、私の東京通いはここから始まったのだった。あの時期、あの時間帯、あの場所でと、今では笑い話となっている。

 東京へ行くと電車以外は歩くより他に移動手段がない。普段は車生活を送っているから、それはとてもまどろっこしく感じられることなのだけど、歩いたからこそ見える風景があり、撮れる写真があり、気づくことあるのはいいことだ。名古屋だと車で通りすぎて見逃してしまうことも、東京ではいろんな小さな発見がある。歩くということは今更ながら偉大なことだと思う。
 これからも目白界隈はあちこち歩くことになる。ぼちぼち写真を撮っていって、たまったところでまた目白界隈編を書くことにしよう。それに私には豊島区のレンタサイクルカードという武器がある。豊島区民でもないのにレンタル自転車の会員権を持っていて、いつでも24時間100円で自転車を乗り回すことができるのだ。今度はこいつに乗って、小石川植物園あたりまで繰り出してやろうと計画している。新宿御苑あたりも行けるだろう。頑張れば東京ドームあたりまで行けるかもしれない(ホントかなぁ)。
 肩からデジカメをぶら下げて豊島区のレンタサイクルに乗って写真を撮っている男がいたら、それは私である確率がものすごく高いです。見かけたら声をかけてください。
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    2007/07/27 01:49