正しさの熱量

言葉(words)
メガネのレンズ

 正しいことを言うのは気分がいいことだ。自分が偉くなったような錯覚さえ覚える。
 多少頭のいい人間なら簡単なことで、言うだけならわけもない。
 問題は何を思い誰のためにどういうつもりで言うかだ。
 口先だけで言っても誰の心にも響かないし何も変えられない。
 少なくとも腹の底から言葉を発しないといけないし、何かを少しでも良くしたいという気持ちがなければ正しい言葉など何の価値も持たない。
 あらためて言う必要もないくらい当たり前なのだけど、正しさは身をもって実践するのが一番で、最も説得力がある。
 しかし、言葉にも確かに力はある。まったくの無力というわけではない。
 説得力を持って正しいことを言うのはとても難しい。
 そもそも、正しいことなんてたいていの人は頭では分かっているからだ。
 正しい言葉を正しい行動へとつなげるために必要なのは、やはり熱量ということになるんじゃないだろうか。
 理屈では無理となった場合、最後は本気で説得する以外に方法はないように思う。
 正しさというのは案外、非論理的なものなのかもしれない。
 
 
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