
広く一般に”登竜門”という言葉はよく使われているけど、出典まではあまり知られていない。
中国の歴史書『後漢書』(5世紀)の李膺伝(りようでん)に書かれた、黄河の中流に竜門と呼ばれる激流があって、そこを登った鯉は竜になるという伝説があるという故事から来ている。
竜門を登るから登竜門。
今は立身出世のための関門といった意味で使われることが多い。
立身にも出世にも興味がないから自分には関係ないと思うかもしれないけど、この世界に生まれてきている人間は何かしらの竜門を登ってここにいるわけで、この世界にいるということは当たり前ではないことを自覚しなければいけない。
それだけ責任もあるということだ。
死んだ後もきっと竜門が待ち構えている。そこを突破できれば次に進めるし登れなければそこで終わりとなるだろう。
生きることはある意味では流れに逆らう行為で、止まったら死んでしまう。生きることは進むことだ。
この先に待ち受けるいくつもの竜門を超えなければそこまでとなる。
上流まで登りきれば私たちも竜になれるかどうかは分からない。
行ってみれば分かるし、行かなければ分からない。