
勝手に発表シリーズ第十四弾は、ストリート出身ミュージシャン編をお送りします。
ストリートミュージシャンや路上ライブといった言葉が一般的なものとなって久しい。始まりが誰だったのかは知らないのだけど、よく知られるようになった大きなきっかけはやはり、ゆずだろう。インディーズデビューが1997年で、メジャーデビューが翌1998年のことだ。
ゆずの成功によってやたら路上ミュージシャンが出現したのを覚えている人も多いだろう。その中のひと組に、いきものがかりもいた。
お笑い好きなら狩野英孝もそこにいて、自分たちの方がいきものがかりよりも人気があったと発言しているのを知っているかもしれない。いきものがかりのメンバーもそのことは覚えていたようだ。
しかし、路上から成功するというのはそんなに簡単なものではなく、普通にオーディションを受けて合格してデビューするよりもむしろ難しいんじゃないかと思う。
心理的な難易度でいっても、路上が一番難しいような気もする。何の後ろ盾もなく、知名度もない状況で、歌と演奏だけで自分に興味がない人間を立ち止まらせ、耳を傾けさせるというのは並大抵のことではない。仲間内でカラオケを披露するのとはまったく違う。
今回、ストリート出身ミュージシャン編という括りで紹介しようと思ったきっかけは2本の動画と巡り会ったからだった(最初と最後の方)。それと以前からお気に入りに入れてあった動画とあわせるとひとネタになった。
動画サイトによって私たちと音楽の付き合い方が大きく変わった。テレビや映画から知る音楽やCDを買うなり借りるなりして聴くという以外の選択肢が増えて、間違いなく私たちの音楽世界は広がった。自分たちの世代よりも古い世代の音楽に触れることもたやすくなったことで若い世代が過去の名曲を知る機会がぐっと増えたというのもある。
逆に、古い世代が新しい音楽と出会う機会も増えたということだ。
路上ミュージシャンの映像に関しては、20年以上前のものはとても貴重で数が少ない。今は誰もがすぐにスマホで動画を撮れるけど昔はそうではなかった。携帯電話に動画を撮影する機能はなく、たまたまビデオカメラを持ち合わせていることなんてめったにない。
路上で歌っているアマチュアが数年後に人気者になるかどうかなんて分からない。たまたま撮ったとしても、それを3年後、5年後まで残しておくかというとそれもおぼつかない。
今はネットで発表できるから路上ミュージシャンは以前より少なくなっているのだろうけど、それでも一定数はいて、路上でしかできない表現というのもあるのだろう。少人数でも対面で歌うことは無意味なことではないし、直接知ることができる反応はネットでは得られないものだ。
近年は規制が厳しくなって大変なようだけど、路上ライブをひとつの文化として若い世代に受け継いでいってほしいと思う。
そこからメジャーデビューして売れるというのは、やっぱり夢がある。
幾田りら14歳。
この5年後、YOASOBIのikuraとして紅白に出場すると誰が想像できただろう。
この頃すでに歌唱力としてはずば抜けたものがあったことが分かる。
14歳で見知らぬ人たちの前でギターの弾き語りで歌える度胸もたいしたものだ。
あるインタビューの中で、誰かに見つけてもらうのを待っていたら年だけ取ってしまう。夢を実現させるためには自分から動かなければいけないと思った、と語っていた。
それにしてもこの周りの騒がしい音は何なんだ。工事中なんだろうけど、おそろしくうるさい中でもマイクを通さず生声でここまで響かせることができるのはすごい。
YouTubeのコメントの中の”戦場で平和を求めて歌う少女感”というのが秀逸。
紅白のときの歌声がこちら。
ど緊張で前半は珍しく歌声がよろめいている(逆に貴重)。
しかし、ほどなく立て直して中盤以降はいつもの調子を取り戻して楽しそうだ。
ゆず路上ライブ 『からっぽ』
ゆずが他の路上ミュージシャンたちと大きく違ったのは、ほぼ最初の段階からオリジナル曲を歌っていたという点だ。
これも非常に難易度が高いことで、知っている歌なら耳を傾けても、まったく知らない歌を聴こうという気はなかなか起きない。
しかし、ゆずの場合は一年も経たないうちにクチコミで広がってよく知られる存在となり、最後は現地に行っても人だかりでふたりの姿さえ見えないほどだったという。
それはもう伝説と呼んでいいレベルの話だ。
コブクロ 路上ライブ
東の伝説がゆずなら、西の伝説はコブクロだろう。
もともと別々に路上ライブをしていたふたりがよく顔を合わせるようになって、結成されたユニットだ。
セールスマンをしながら土曜日だけ路上ライブをしていた小渕はともかく、”自称ニートの走り”だった黒田も、おひねりだけでバイトもせずに楽に暮らしていけたというから相当人気があったのだろう。
あの実力があればそれも当然といえば当然ではあるけど、時代を考えるとやはり図抜けていたとしか言えない。
コブクロ デビュー前のお披露目ライブ
『ドライフラワー』で人気アーティストの仲間入りを果たした優里も路上出身ミュージシャンのひとりだ。というより、今も路上ミュージシャンを名乗っているから、自分のメインの舞台は路上と考えているのかもしれない。
優里 - ドライフラワー / THE FIRST TAKE
この動画を見たとき、尾崎豊の古い動画が残ってたんだと思った。
いや、違う。これは今の映像だ。
それが分かったときは、非常に強い衝撃を受けた。尾崎豊が戻ってきたとさえ思った。
尾崎豊好きはたいていそうだと思うのだけど、他人が尾崎豊の歌うことをよしとしないところがある。たとえそれが自分の好きなアーティストであったとしてもだ。
しかし、この動画の中で歌っている青年の尾崎豊は本物だと思えた。実際に尾崎豊本人が乗り移って歌っているんじゃないかと思えるほどに。
似てるとか似てないとか、モノマネだとかそういうレベルの話ではない。尾崎豊好きなら私が言わんとしていることを分かってくれるんじゃないだろうか。
井坂海音という19歳(この当時)の青年らしい。
尾崎豊 16歳のオーディション風景
この映像を初めて見たのは数年前なのだけど、あらためて超天才だったな思う。
尾崎豊の前に尾崎豊なし、尾崎豊の後に尾崎豊なし。
16歳にしてこの完成度の高さ。歌だけでなく大人達の前で堂々と話をする態度もただ者ではない。
動画の中で本人も語っているのだけど、このオーディションを一度すっぽかしていて(その理由がまたなかなかイカれている)、翌日もう一度設定してもらったものだ。にもかかわらず、ヨレヨレの白いシャツに穴だらけのジーンズ、裸足にサンダル履きでギター1本抱えてたいして悪びれるでもなく現れた16歳の少年を見たとき、CBSソニーの人たちは内心ひっくり返ったんじゃないだろうか。そしてこの美少年ぶりと歌声に二度驚いたはずだ。
この場に居合わせた何人かは、一瞬にして新たなスターの誕生を確信したに違いない。
実は、尾崎豊はビクター主催のオーディションには落ちている。落選理由は曲が長すぎるからというものだった。
その後、二人で組んでやっていくことになるプロデューサーの須藤晃は、尾崎豊を希有の天才と評していた。
当初は浜田省吾や佐野元春の後継者といった位置づけで考えていたようだけど、そんな枠で収まるようなアーティストではなかった。
このときから10年間、尾崎豊は全速力で走り続け、ある日突然、僕たちの前から姿を消してしまった。
そして、彼の歌だけが残った。