
人々は勧善懲悪を求めずにはいられないらしい。
本人が自覚している以上にそれは強く、ほとんど渇望しているといっていいくらいだ。
ずっと昔からそうだった。
古くは神の審判という概念を発明した。
少し前までは小説や映画などがその代用になっていた。
その後、テレビゲームが一歩進めて、正義の味方の疑似体験ができるようになった。
更にネットが発達した今、人々は発言する場を得て自らが悪を懲らしめる手段を獲得した。
これを振るわないでいられるはずがない。
正義の味方症候群とでも呼ぶべき流行ではあるのだけど、それだけではない。人間は本質的に勧善懲悪が好きなのだ。
それはきっと未来でも変わらない。ただ、勧善懲悪の形が変わるだけだ。
見方を変えれば、だからこそこの世から悪がなくなることはないという論理が成立する。悪人がいなくなれば正義の味方は正義の味方ではなくなってしまう。
勧善懲悪は少々疲れる。でもそれを否定することは難しい。