多治見の永保寺へ行って室町時代の勉強をするの巻

神社仏閣(Shrines and temples)
永保寺-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/30s(絞り優先)



 岐阜県多治見市と聞いて何か具体的なイメージを持っている人はあまり多くないと思う。日本地図を見て正確な場所を指し示すことができるのは、日本人の中でも1パーセントいないかもしれない。美濃焼の産地として認識している人がある程度はいるだろうか。岐阜県の南、愛知県の北東部と接していて、名古屋のベッドダウン的な街でもある。
 そんな地味な多治見にも自慢できるものが二つある。多治見修道院と永保寺だ。この二つを誰に自慢すればいいのかはやや頭を悩ませるところだけど、その筋の人にはどうだすごいだろうと威張ってみると、まあ確かにちょっとすごいかもしれないねと答えてくれるに違いない。少なくとも私は、この二つがなければ多治見という街を一生意識することなく終わったと思う。
 今回はツレを案内するために二つ一緒に回ってきた。どうだすごいだろうと自慢したりはしなかったけど、けっこう喜んでくれていたような気がする。気のせいじゃないといいな。
 永保寺も修道院も、このブログで一度紹介している。そのときに書くべきことはだいたい書いてしまったから、今日は少し角度を変えて室町時代について書いてみたいと思う。いきなり室町時代ってどこから出てきたんだと思うかもしれないけど、ただのこじつけだ。単に私が室町時代についてよく分かってなかったから勉強してみたくなって、それを書いてまとめることで頭の中を整理したかっただけだ。できるだけ簡潔にかみ砕いて書くので、ちょっとだけおつき合いください。

永保寺-3

 永保寺にある二つの国宝のうちの一つ、開山堂。夢窓国師を弔うために室町幕府初代将軍、足利尊氏が寄進して建てたものだ。そう、ここで室町時代と話がつながる。
 足利尊氏は師匠でありお友達でもある夢窓疎石とコンビを組んで、全国にたくさんのお寺を建てた。後醍醐天皇を弔うために建てた京都の天龍寺は有名だし、夢窓疎石を開山として建立した等持院は足利家の菩提寺となっている。その他、全国66国2島に安国寺利生塔を建てるという計画を立てて、かなり実現させた。室町幕府滅亡後は衰退して姿を消したものもあるものの、今でも全国に多くの安国寺が残っている。
 そんな尊氏が寄進した開山堂は、のちの神社建築(権現造)の原型になったものとされて国宝に指定されている。中には夢窓国師(開祖)と仏徳禅師(開山)の像が安置されているそうだ。年に一度(3月15日?)一般公開されるらしい。普段は柵の外から離れて見るしかない。

 さて、足利尊氏と室町時代だ。この時代は個人的に興味がなくて、学校の勉強も聞き流していたし、本も読んでない。テレビの時代劇の素材になることも少ないから、私同様あまりよく分かってない人も多いんじゃないだろうか。鎌倉時代と戦国時代のはざかい期のような感じで、時代としても地味だし、室町時代には日本人なら誰もが知っているようなヒーローもいない。戦国時代を別とすれば。一休さんはいるけど、あれはアニメの作り話だ。
 けど、何もない平和な時代だったわけでは決してなく、いろんなことが起こっている。なにしろなんだかんだで230年も続いているのだ、何もなかったはずがない。
 室町時代が決定的に分かりづらいのは、政治的にというか体制的にというか、いろんなところで二重構造になっている点だ。前期は南北朝時代があって、後期は戦国時代とだぶっていたりする。南北朝時代と区別するために足利時代といったり、後期は安土桃山時代といったりするのでますます混乱してしまう。どこからどこまでが室町時代なのかというのも人によって意見が分かれていてはっきりしないのだ。こんなにややこしいことになっている時代は日本史の中でここしかない。なのにあまり面白みがないのでみんな興味を持てなくて、曖昧なまま大人になってそのままになってしまうのだろう。
 というわけで、ここはひとつ、大まかな流れをもう一度おさらいして整理しておく必要がある。学生時代は分からなくても大人になれば理解できるようになることもある。歴史なども昔は暗記科目と思っていたけど、そうじゃなかった。歴史は連続する時間の上で展開される人間ドラマだ。栄華盛衰の流れを掴めば理解は難しくない。もう年代なんて覚えなくてもいいのだから気楽なものだ。

 鎌倉時代については、以前の鎌倉紀行のところである程度書いた。源頼朝が平家を破って、史上初めて武士による政権を樹立したことで日本の歴史は大きく流れを変えることになった。ただし、ここでも京都の朝廷と鎌倉の幕府という二元構造という無理のある政権構造となったため、鎌倉幕府は最初から大きな問題を抱えていた。結局はそのことで鎌倉幕府は倒されることになる。
 時は流れて鎌倉幕府は徐々に力を失っていき、地方でも不満が大きくなっていった。そこに目をつけたのが後醍醐天皇だ。今なら幕府を倒して再び天皇中心の世の中に戻せると踏んで、各地の武士に呼びかけて武力で幕府を倒しにかかった。それに応えたのが楠木正成であり、足利尊氏であり、新田義貞たちだった。1333年、鎌倉幕府は終わった。
 後醍醐天皇は狙い通りに事が運んで大満足。年号を建武と改めて天皇中心の政治を始める。いわゆる建武の新政というやつだ。しかし、この政治は駄目だった。政策は失敗に継ぐ失敗を繰り返して、世の中はますます混乱して、前より悪くなったしまった。恩賞を充分にもらえなかった武士たちの不満もますます高まる。
 ここで挙兵したのが足利尊氏だ。後醍醐天皇を追い払って、京都で新しい天皇として光明天皇を立てて、自分は征夷大将軍となって将軍様となった。こんないきさつがあったから、のちの時代では長く逆賊とされてきた。明治から第二次大戦後までは尊氏は悪者扱いだった。
 後醍醐天皇が見た夢はわずか2年。それでも奈良の吉野に逃げ込んで、そこで自分こそ正当な朝廷だと言い張った。こうして北の京都による北朝と、南の奈良による南朝の二つの政府がある南北朝時代というのが始まることになる。日本の歴史の上では、北朝の足利尊氏がニセモノで、南朝の後醍醐天皇の方を正当として、割と最近まで足利家三代将軍までを正式の将軍とは認めていなかった。私たちの世代が学校で習ったのとはずいぶん違っている。
 結局南北朝時代は約60年に渡って小競り合いをしながら続いて、ようやく南北が統一されたのが三代将軍足利義満のときだった。金閣寺を建てたあの将軍だ。この時代が室町時代で一番の全盛期だった。将軍家に権力があり威光があり金もあった。義満は政治家としては非常に実力のある人物だった。その黒い人間性は決して尊敬できるものではないけれど。自分に逆らうものは徹底的につぶし、陰謀を巡らせ、家来の奥さんや娘は手当たり次第に差し出させ、しまいには天皇にさえなろうとした。あまりにも好き放題したから最後は暗殺されたという噂もある。
 強いリーダーのあとは反動も出るわけで、4代将軍の義持は父親の無茶を改めて保守的な政治をしてなんとか保っていたものの、次からがいけなかった。将軍職をゆずった息子の5代義量は早死にしてしまい、義持自身も後継者を決めないまま死んでしまった。次の将軍は誰にするんだとなって、あろうことかくじ引きになってしまったのだ。そんなアホなと思うけど、これが大真面目な話で、石清水八幡宮で行われたくじ引きの結果、3代将軍義満の3男の義教が選ばれた。義教は気の毒にも「籤引き将軍」呼ばわりされることになる。

 ここからあとは幕府の力は衰える一方で、各地でのもめ事や争いもますます激しくなっていく。
 この頃の幕府体制は、基本的に鎌倉時代と変わらず、幕府から任命された各地の守護大名が自分の地方を治めるという形を取っていた。幕府の直属支配ではなく。それが幕府の勢力が弱まるにつれてだんだん力を強めて独自の支配力を持つようになっていった。締め付けられた農民や民衆はたまらず一揆を起こす。中には守護大名を打ち破って自らが大名に取って代わるものも現れた。いわゆる下克上というやつだ。これがのちの戦国大名となっていく。歴史はここにつながっていったのか。
 6代将軍義教の死後、有力守護大名の細川氏と山名氏がぶつかった。7代のあとの8代将軍を誰にするかでもめて、これが応仁の乱へと発展する。多くの守護大名を巻き込んで戦乱は11年も続くことになる。戦国時代の始まりだ。室町時代の後半100年は戦国の世の中だった。
 この先についてはみんなよく知っている時代になる。織田信長の台頭と天下統一の野望、豊臣秀吉による実質的な全国制覇と、徳川家康による江戸幕府と続いていく。

 室町時代はいつ始まっていつ終わったのかという問題が一つある。始まりは、足利尊氏が幕府の方針とした建武式目発表の1336年とするか、光明天皇によって征夷大将軍に任命された1338年とするか。
 終わりは、織田信長によって15代将軍足利義昭が京都から追放された1573年とするか、義昭自らが将軍職を辞任した1588年とするか。ちょっと不思議なのは、京都から追われた将軍義昭は信長にも秀吉にもそのまま放置されたという点だ。義昭は外野で信長に野次を飛ばしたり、反信長派の大名に信長追討を呼びかけたりしているのに、信長は何もしていない。無力だから捨て置いていたのか、将軍に対する一定の敬意を払っていたのか。秀吉も義昭を将軍として扱っている。当時は今が何時代という区分はなかったから不自然なことでもないのかもしれないけど、幕府はないのに将軍だけいるというのもちょっとおかしな話だとは思う。
 戦国時代から振り返ってみれば、後醍醐天皇の見た夢も、足利尊氏の目指したものも、遠い昔の出来事となった。思えば、江戸時代まで日本は一度も統一されたことがなかった。鎌倉幕府も室町幕府も、不完全な支配だった。朝廷と幕府の二元構造もとても不安定で無理がある。徳川家康という人物の偉大さとしたたかさをあらためて思い知る。

 室町時代のおさらいはどうだったでしょう。個人的にはなるほどそういう流れだったんだねと、今になってようやく理解できたのだった。鎌倉から戦国時代までが自分の中で空白に近かったものが、一本の線としてつながった。
 この調子で日本史をもう一度勉強し直してみたくなった。次は京都の平安時代と、奈良の奈良時代を総復習だ。聖徳太子までさかのぼることができたら、ほぼ日本史は掴んだことになる。近代としては大正時代が意外と分かってるようで分かってないから、そのあたりもいずれ調べて書いてみよう。
 歴史シリーズは長くなるから書くのも読むのも大変だけど、今後とも続いていく予定なので、よかったらさらっとでも流し読んでみてください。勉強って大人になってからするとけっこう楽しい。今の精神性なら学校の授業さえ楽しめそうだ。教科書なんて一週間もあれば読破できる。逆に言えば学生時代の自分ってバカだったなぁとしみじみ思うのだった。
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コメント
  • 2007/06/10 14:00
    > 気のせいじゃないといいな。

    気のせいじゃない方に一票ね。 ==ヽ(;^^)/
  • 巡り倒し
    2007/06/11 05:40
    ★mao_catさん

     こんにちは。
     人生って思いがけないことが起こるけど、まさかこんなにも神社仏閣へ行くことになるとは、去年までは思いもしなかったでしょうね(笑)。
     私だって3年前までは想像すら出来なかったからなぁ。
     何はともあれ、今後ともよろしくお願いします(笑)。
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