不自由な自由

言葉(words)
セリカGT

 車を手放してからもう10年になる。
 車は大好きだった。運転することも、車内の空間も、車という存在そのものが好きだったともいえる。
 最後に乗っていたのはホンダのインテグラだった。TypeRのひとつ前の4つ目でDC2というタイプの黒だ。
 マフラーを交換して、無限の大きな羽をつけ、シートをスポーツタイプのものと交換して4点式シートベルトを取り付けて、街中をゆっくり安全運転で走っていた。ときどき、ヒール&トゥでサイドブレーキを引いてドリフトしながら右折したりもしていた。ときどきだ。
 手放した一番大きな理由は、車検のたびに交換しなければいけない部品が増えていってしんどくなったからだった。最後の車検は新車から15年目だった。
 車を所有するということはけっこう大変なことで、日常的なガソリン代や月極の駐車場代、保険や税金、2年に一度の車検、出かけるときの高速代や現地での駐車場代金などなど、負担は小さくない。汚れたら洗車もしないといけないし、買わなければいけないカー用品もバカにならない。
 車を手放しさえすれば、それらから一気に解放されると思ったら、突然そちらに気持ちが傾いてしまった。大学2年のときに中古のホンダ・シビックを買って以来、車のない生活など考えられなかったら、車を手放すという選択肢はないものと思い込んでいた。
 いざ車のない生活になってみると、不自由さは思ったほどでもなかった。バスも鉄道もあるし、ほどなく自転車を買って自転車生活を始めたらこれがけっこう快適だった。自転車なら日常的にはほとんどお金はかからないし、出先で駐車場問題に頭を悩ます必要もない。自転車の方がむしろ行動範囲が広がったくらいだ。
 考えていた以上に自由になれたのが嬉しくて、そのまま10年経ってしまった。今のところ車生活に戻るつもりはない。必要に迫られたら買わざるを得ないのだろうけど、それまでは車なしでいい。
 それにしても、いつから車は魅力を失ってしまったのだろう。それは私だけのことではなくて多くの人が感じていることではないだろうか。
 かつての車はもっと魅力的で夢があったし、所有する喜びもあった。憧れの車を買うことが大げさにいえば人生の目標のひとつにもなっていた。
 必要だから買うのではなく、乗りたいから買う車の登場を待っている。そのときはまた、不自由覚悟で車生活に戻りたい。
 インテグラは魅力的でいい車だった。DC2どころかDC5さえ街で見かけることはなくなったけど、日本のどこかではまだ走っているのだろう。
 あの車はもう一度運転してみたいと少しだけ思う。
 
 
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