
きれい事が通用する相手と通用しない相手がいる。
だからきれい事は無意味かといえばそうではない。
きれい事が通用する相手にきれい事で説得することには意味があるし、きれい事を共有できることは大事なことだ。
特に子供に対してはきれい事を言って聞かせることが大人の責任としてある。
成長する過程できれい事が必ずしも通用しないことは自ら学んでいけばいいことだ。
まずはきれい事ありきという前提に立ちたい。そうしないとこの世はよくならないからだ。
きれい事が間違っているのではない。きれい事を実現できない人間の側に問題があるだけだ。
きれい事の実現に向けて努力することを放棄してしまった人類にどんな未来があるというのか。