運命なんていらない

言葉(words)
落ちツツジ

 私が運命論を今ひとつ信じられないのは、普通に考えて無理があるだろうと思うからだ。
 個人の事情や思惑など大きな出来事によって簡単に飲み込まれてしまう。大災害や戦争といったものが典型的な例だ。今回のコロナ騒動もそれに当たる。
 外的、内的のあらゆる要素をあらかじめ計算して個人の人生すべてをプログラミングするようなことが果たしてできるだろうか。
 天のスーパーコンピューターならできると言われれば、へえ、そうなんだすごいですね(棒読み)と言うしかないけど、それにしてもすべての辻褄を合わせるのはやっぱり無理な気がする。
 もし、運命というものがあるとすれば、それはとても個人的、あるいは主観的な視点からのみ成立するものかもしれない。
 ただ、その場合、個人と個人の運命がぶつかって不規則性が生まれるのは避けられない。どうやっても計算が狂う。
 そういうことを考えても、運命をあらかじめプログラムしておくことは無意味な気がする。
 すべてを偶然に委ねてしまった方がむしろすっきりするし、上手く収まるに違いない。
 まあ、私としては、運命があろうがなかろうがこっちの勝手にやらせていただきますという姿勢に変わりはないのだけど。
 
 
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