横浜山手洋館ノスタルジックツアー ---プレイバックPart1

横浜(Yokohama)
山手洋館-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/50s(絞り優先)



 初めての横浜観光で山手地区の洋館巡りをするかどうかは迷うところだ。ここまでコースに組み込んでしまうと、一日で回るにはスケジュールがかなりタイトになる。でも省略するとどこか物足りなさが残る。入れるべきか外すべきか迷った末、私たちは半分だけ回ることにした。最後は時間がなくなって駆け足になってしまったけど、やっぱり行っておいてよかった。もしここを抜いていたら横浜巡りの印象は少し弱いものになっていただろう。
 出発点は二つある。港の見える丘公園から行くコースと、石川町方面からと。電車で直接行くなら石川町駅からの方が近い。一般的な横浜観光コースとしては、やはり元町から行くことになるだろう。山下公園の前から100円の「あかいくつ」バスが港の見える丘公園まで行っているから、これに乗るのが便利だ。距離は大したことなくても丘の上の坂道なので歩くのはけっこうしんどい。その前にさんざん歩き回ったあとだったし、山手の歩きを考えてもここは体力を温存したいところだ。

 山手地区は幕末の頃から外国人居留地だった場所で、異国情緒溢れる横浜の中でもひときわ外国色の濃い地区といえる。明治になると更にたくさんの外国人が移り住んできて、多くの洋館が建てられた。しかし、第二次大戦と関東大震災でそれらの大部分は倒壊してしまった。明治時代の建物はほとんど残っていない。現在残っている洋館もほぼすべてが昭和初期に建て直されたものだ。よそにあったものを移築したものもある。
 山手地区には約50の洋館が建っていて、その中の7軒を横浜市が保存、公開している。イギリス館、山手111番館、山手234番館、エリスマン邸、ベイリック・ホール、ブラフ18番館、外交官の家。これ以外にも魅力的な建物があるので見どころは多い。基本的にどこも無料で内部も見せてくれるのが嬉しい。維持費も大変だろうに。

 今回巡ってきた洋館をなるべく見た順番に紹介していこう。
 まずは港の見える丘公園の隣というか公園の中にあるイギリス館から。上の写真は裏手のローズガーデンの方で、表に回ると玄関から中に入ることができる(平成14年より)。
 英国総領事公邸として昭和12年に建てられた家で、当時の英国を代表するコロニアルスタイルとなっている。質実さと優美さが同居した、イギリスらしい洋館だ。アメリカ的でもないし、フランス的でもない。イギリス庭園にはバラがよく似合う。
 設計は当時の英国総領事館(現・横浜開港資料館旧館)と同じく英国工務省が担当した。だからあまり遊び心のようなものはない。
 内部は当時の調度品などを再現しているというけど、生活感はまったくないから、どうしても作りものめいている。サンルームはポカポカして気持ちよかった。

山手洋館-3

 ほぼ横並びのように位置している111番館。111番というのはかつての番地代わりの番号で、そのまま洋館名として残っているところもある。ただし、整然と番号通りに家が並んでいるわけではないので、洋館の場所を示す位置としては当てにはならない。
 こちらはイギリス館とはガラリと趣の違うスパニッシュスタイルとなっている。ちょっと南国風だ。でも、かつてのこの家の持ち主は、両替商をしていたラフィンという名のイギリス人だった。
 設計は、このあと登場する横浜山手聖公会やベーリックホールの設計者でもあるアメリカ人建築家J.H.モ-ガン。1920年(大正9年)に来日して、横浜を始め、東京、仙台、神戸などにも作品を残している。
 111番館は1926年(大正15年)に建てられ、1999年(平成11年)に「ローズガーデン」が開園した際に一般公開が始まった。
 門からアプローチを進むと、三つのアーチの先に玄関ポーチがある。白い壁と赤い屋根とバックの青空。ここだけ切り取るとリゾート地の別荘みたいだ。

山手洋館-2

 お金持ちの家にあって自分の家には決してないシャンデリア。私の子供時代のお金持ちのイメージは家にシャンデリアがあることだった。別にサラリーマン家庭でもシャンデリアくらい買えなくもないのだけど、そういうことではない。
 洋館の中というのは、見学する分にはほぉーとか、おおーとか、へぇーとかいろいろ驚きや感動があるのだけど、自分が住みたいとは思わない。天井が高すぎたり、家具が少なすぎたり、床が木だったり、どう考えても落ち着かない。私はもっと低くて物がたくさんあふれた狭い部屋で暮らしたい。屋根裏部屋なら落ち着くかもしれないけど。

山手洋館-5

 2階は生活スペースということで、暖かみのある感じだった。家具類もレトロモダンな感じで嫌味がない。こんな家にお呼ばれしたら、いい家ですねとお世辞じゃなく素直に誉め言葉が口をついて出る。
 裏手はテラスとガーデンになっていて、窓から見下ろす景色は、昔の歪んだガラスを通しているせいもあるのか、現実であって現実の光景じゃないような不思議な感じがした。自分がラフィンの亡霊になって現代の光景を目にしてるような気持ちになってくる。

山手洋館-4

 111番館の裏手一階は、ローズガーデン「えの木てい」というカフェになっている。もうひとつある本家 「えの木てい」の姉妹店らしい。私たちはここで名物バラソフトクリームを買って食べた。予想外に売れたようで、コーン売り切れという事態に陥り、代わりに紙コップ入りのソフトとなった。バラのエッセンスが濃厚な不思議な美味しさで気に入った。ストロベリーに近いようで遠い。なんとなくバラっぽい。

山手洋館-6

 明治に建てられた木造の洋館としては横浜で唯一残っているのがこの山手資料館(旧園田邸)だ。明治42年、本牧に日本人大工によって建てられたものを、この地に移築して保存している。
 現在は資料館として浮世絵やポンチ絵、古地図など、明治の頃の貴重なものが展示されている。ここは有料で200円。私たちが行ったときはすでに閉まっていた。開いていても入らなかったと思うけど。
 この隣には、人気のカフェ&レストラン「山手十番館」がある。明治100年祭を記念して作られた山手で最初の西洋レストランだそうだ。呼び物は「開化ステーキ」。当時はびっくりしたことだろう。なんて野蛮なと思ったかもしれない。
 ここの道を挟んだ向かい側に外国人墓地がある。入れるのは12時から16時まで。私たちは隣の資料館で座って一休みした。

山手洋館-7

 横浜山手聖公会。開国後、日本で3番目に建てられたという古い教会だ。横浜に駐屯していたイギリス軍人関係者が礼拝をするために建てられた。
 前身となったのは、山下町に1863年に建てられた日本初のプロテスタント教会「クライスト・チャーチ」だった。それはJ.コンドル設計による赤レンガの教会だったそうだ。しかし、関東大震災で壊れてしまった。今のものは、上にも出てきたJ.H.モーガンの設計で、1931年に再建されたものだ。それも第二次大戦の空襲でやられて、1947年に修復されて現在に至っている。
 戦後になって、外国人のためのクライスト・チャーチと日本人の横浜山手聖公会が合体する形で横浜山手聖公会になった。

山手洋館-8

 光と影と洋館と。ふと、かつて一世を風靡した、わたせせいぞうのイラストを思い出した。あの中に出てくるさわやかカップルがこの光景にはよく似合う。
 山手234番館は、昭和2年に外国人向けのアパートとして建てられたものだ。一軒家に見えて実は4つの世帯が住めるアパートとなっていた。今は改造されて普通っぽい洋館になっている。
 中にはいると少しだけ共同住宅だった面影が残っていた。今は資料の展示やギャラリーなどに使われている。
 これも平成11年から一般公開が始まったということで、横浜の山手地区もここ7、8年でけっこう様変わりしているようだ。10年ぶりくらいに訪れる人はその変貌ぶりに驚くのかもしれない。

山手洋館-9

 234番館の隣が、えの木ていの本館だ。1927年(昭和2年)に建てられた木造洋館の一階リビングルームがカフェになっている。家具類はイギリスのアンティークでまとめられているそうだ。時間があればここで紅茶を飲みながら優雅なひとときを過ごしたかった。けど、私たちに残された時間はあと15分。ほとんどの洋館は夕方の5時に閉まってしまうのだ。残りふたつ、大慌てで回らなければ。
 ということで、山手洋館巡りはプレイバックパート2に続くのであった。
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コメント
  • 2007/06/02 09:47
    やはり、写真、うまいなぁ~
  • 光があれば
    2007/06/02 23:19
    ★ただときさん

     こんにちは。
     この日のこの時間帯は、好条件に恵まれました。光がちょうどいい感じに演出してくれて。
     光のあるときとないときって、写真が全然違ってきますよね。やっぱり光って偉大だなぁといつも思うのです。
     写真、もっと上手くなりたいなぁ。
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