お色直しされすぎた赤レンガは授業参観のばっちり化粧のお母さんのよう

横浜(Yokohama)
赤レンガ-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/20s(絞り優先)



 汽車道のレールに沿って歩いていくと、自然と赤レンガ倉庫にたどり着く。ごらん、おっかさん、あれが赤レンガだよ(ツレはおっかさんではありません)。赤い色のレンガに対してすごく思い入れがあるわけではないけれど、赤レンガという響きはどこか懐かしくて心惹かれるものがある。どうやらそれは日本人に共通した感覚らしい。私たちの世代はすでに子供の頃赤レンガの建物など残っていなかったにもかかわらず。
 何があるか知らないけど、横浜へ来たらとりあえず赤レンガは見ておけ的な存在なので、私たちも素直にそれに従った。それはもう、東山動物園に行ったらコアラを見て、上野動物園ではパンダを見るのと同じくらい既定路線となっている。あえてそれに逆らうほど我々は天の邪鬼ではない。

赤レンガ-2

 おお、これが赤レンガ倉庫か。すごく立派なものだなと感心しつつ、なんだこの真新しさはと少したじろぐ。赤レンガといえば重厚な歴史を今に伝える歴史的建造物というイメージがあるのに、ここ横浜のものは強烈なリニューアルがかかっていて新しすぎるくらい小綺麗になっている。お母さんが突然何を思ったのか整形手術を受けてきてしまったみたいではないか。こりゃ驚いた。もう少し演出として古めかしさを残してもよかったんじゃないか。ちょっと張り切りすぎた感がある。屋根なんかもピカピカだし。こんなにバッチリ化粧の赤レンガは想像してなかった。そういう意味では逆にちょっと拍子抜けした。

 横浜の赤レンガ倉庫は、明治の終わりから大正にかけて、大蔵省の税関施設として建設されたのが始まりだった。なので、正式名称は新港埠頭保税倉庫となる。その後国の倉庫として使われつつもだんだん活用されなくなり、平成元年(1989年)に閉鎖となった。
 倉庫は左右に2棟あって、2号館が明治44年(1911年)に、1号館が大正2年(1913年)にそれぞれ建てられた。設計は明治の三代巨匠の一人、妻木頼黄(つまきよりなか)。ジョサイア・コンドルの弟子で、東京府庁舎などを設計した建築家だ。
 レンガ造りの三階建てで、もともとは両方とも長さが150メートルだった。1号棟は関東大震災(大正12年)で3割ほど崩れて短くなってしまった。それでもその程度の被害で済んだのは、レンガとレンガの間に鉄を挟み込む補強をしていたからだ。ただ、もともと地震の多い日本にレンガ造りは向かない。
 戦後はアメリカ軍に取り上げられて壊れそうになるも、なんとか生き残って、今にその姿をとどめた。
 閉鎖後しばらく放置されていたものを横浜市が平成4年(1992年)に買い取って、1994年から8年をかけて補強改修工事をおこない、2002年に赤レンガ倉庫パークという商業施設としてオープンした。劇的ビフォー・アンド・アフター。巧のワザが冴えまくってボロボロ老朽倉庫から新品同様の商業倉庫に見事変身を果たしたのであった。
 1号館はホールや展示場、イベント会場として使われ、2号館にはショップやレストランなどが40店舗ほど入っている。現在は観光の新名所としてだけではなく、横浜市民の憩いの場としてもすっかり定着したようだ。服を着せた犬連れの人がやたら多かった。ロケ地としても格好のロケーションということで、最近では「僕の生きる道」や「喰いタン」などでも登場している。
 2006年には来場者が2,000万人を超えるなど好調が伝えられる一方で、古い建物ゆえに維持費が高くていまだに赤字続きなんだそうだ。訪れる人は多くても、ショップや飲食店でお金を使ってくれる客は一部で、見た目ほど儲かってないのだろう。自前の弁当を広げてる人たちも多かった。もう少しお金を使ってもらうための工夫が必要かもしれない。観光客など一見さんだから、もっとハマっ子にとって日常的に利用しやすい施設を目指した方がよさそうな気もする。

赤レンガ-3

 赤レンガパークの海側には気持ちのいい空間が広がっていて、潮風に吹かれながらベンチや芝生でのんびりすることができる。ここはお金がかからなくていいところだ。
 赤い花はなんだろう。ハマナスかと思ったけど色もつぼみの形も違う。そのうち調べておこう。
 ここは海上保安庁の基地があるところで、「海猿」の舞台にもなったところだ。実際の訓練などもおこなわれている。向こうに見えている船は海上保安庁基地の船だろう。隣には海上保安庁資料館横浜館もあって、無料で見学することができる。海上保安庁の業務を学んだり、工作船が展示してあったりするそうだ。ちょっとマニア向け。いや、かなりか。

赤レンガ-4

 倉庫の方に戻ってきてみると、ものすごい人だかりになっていて驚く。なんだこの人たちは、どこからわき出してきたんだ。ワラワラワラワラと。
 実はこの日、ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2007という公道レースがあって、横浜赤レンガがゴール地点になっていたのだ。それを見に来た人が半分、観光のついでに集まってきたのが半分といったところだろうか。車が続々とゴールしてくるに従ってどこから聞きつけたのか、人がゾロゾロやって来てたちまち赤レンガ倉庫前の広場はクラシックカーと人で埋め尽くされてしまった。明らかにオールドカーに興味のなさそうな親子連れなども多数参加して、思いがけない盛り上がりに巻き込まれた私たちであった。

赤レンガ-5

 クラシックカーから最新のスーパーカーまで71台が、山中湖を出発して3日間で5県を走破してゴールの横浜赤レンガを目指したそうだ。古い車が多かったから途中で動かなくなる車もあってさぞかし大変だったことだろう。
 なんでも今年で4回目で、年々規模が大きくなっていっているんだとか。この日この場所を訪れなければ、そんな公道レースがあるなんてことを知らないままだった。私のインテグちゃんもクラシックカーになったら参加したい。丸目インテグラが日本で5台くらいになったら参加資格も得られるだろう。
 海外のクラシックカーが多かった中、国産のホンダやフェアレディーが嬉しかった。たまたま巡り合わせでいいものを見せてもらった。
 しかし、こういう車に乗っている人たちというのは、いかにもそれっぽくてちょっとおかしかった。古いイギリスのスポーツカーから降りてくる白いヒゲのおじさんとかもいて。

赤レンガ-6

 結局赤レンガでは、ランチに手作りケーキを食べて、バルコニーの鐘を鳴らして、クラシックカーを見て、それで終わってしまった。倉庫の中に入ったのはトイレを借りたくらいで。でも、なんだかおなかいっぱいになった。見たなって気がして。
 少し雲行きが怪しくなってきた。ここからは午後の時間帯に入る。一般的なコースとしては、新港橋を渡って大さん橋や山下公園方面へ歩いていくことになるのだろうけど、欲張りプランの私たちは古い建物群を見に向かった。ただ、全部を見て回るのは大変すぎるので、キング&クイーン&ジャックと呼ばれる3つの建物だけ押さえておくことにした。それはまた次回の話だ。

赤レンガ-7

 大さん橋から見た赤レンガ方面の夜景。右手前が赤レンガで、夜はライトアップされている。近くで見てもきれいだろう。
 こうして離れて眺めてみると、横浜の街が港町ということがよく分かる。観光施設のメインどころは港沿いの狭い地区にギュッと凝縮している。今となっては、20年前までここがただのさびれた倉庫街だったとは信じられないくらいだ。ランドマークタワーもまた建っておらず、周りの高層ビルも観覧車もなく、赤レンガ倉庫は半分眠るような余生を送っていた。赤レンガ自身もまさかもう一度たたき起こされて賑わいの中心に置かれることになるとは思ってもみなかっただろう。でも、せっかく生まれ変わって第二の人生が始まったのだ。もう一度ボロボロになるまで赤レンガには頑張ってもらおう。1911年生まれということはまだ100歳にもなってない。まだまだ老け込む歳ではない。
 月日が流れて私がヨボヨボになった頃には、インテグちゃんもガタガタになって、赤レンガもまた昔のオンボロさを取り戻してるだろう。そのときを楽しみに私も長生きしようと思う。
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