
阿久津直記著『練習しないで、字がうまくなる! 』は面白い。笑える。
ペン字本で笑える本を初めて読んだ。他にはないかもしれない。
たとえば、
お手本のような字を目指して練習することはやめてください。
なぜなら、お手本のような字はいくら練習しても書けるようにならないからです。
残念ですが、それが現実です。
思わず、おおおっとうなってしまう。
これはまだ軽いジャブ程度で、油断して読み進めていると、思いがけないところからフックが飛んできてきれいにノックダウンを取られてしまう。
字のうまい人ほど丁寧に書きます。
気持ちを込めて書けばいい、というのはナンセンス。気持ちで字がうまくなれば、本書も先生も要りません。
うまい人が丁寧に書いているのだから、下手な人はもっと意識して丁寧に書かなければ字がきれいになるはずがないのです。
確かにその通り。けど、こんなことはペン字を教えている誰も言わない。本当のことすぎて面と向かって言ってはいけないと思っているのかもしれない。
更にきつめのパンチは続く。
字がうまい人ほどゆっくり書くということは意外と知られていません。
うまい人でさえゆっくり書くのに、みなさんが速く書いてきれいに書けるわけがない。
これは確かに盲点だと思う。上手い人はさらさら書いているように思いがちだけど、そういえば昔の同級生で字がうまかったやつはノートをやけにゆっくり書いていた。遅すぎるだろうと言うと、これ以上速く書けないんだと言っていた。
阿久津先生は秒速1センチメートルで書けとのたわまっている。
桜が散るスピードが秒速5センチメートルというから(新海誠)、桜が散る速度よりゆっくり書かなければいけないということだ。
そもそもペン字練習がどうして役に立たないかといえば、圧倒的に練習量が足りないからだと阿久津氏は言う。
通信講座で一日20分を一年間続けたとすると、合計時間は120時間。これを日に直すと5日間でしかない。
丸五日間練習をした程度で達筆になれるのなら、誰も苦労しません。
手本の字をいくらまねして書けるようになったとしても、縦書きでその大きさの字を書くという状況は日常的にはほとんどなく、応用が利かないというのもその通りだろう。
まとまった文章を手書きするとしたら、ノートや書類などに横書きすることがほとんどで、縦書きすることなどめったにない。年賀状の宛名を書くときくらいだ。
阿久津氏はこうも問いかける。
なぜ下敷きを使わないのか?
これは考えたこともなかった。
小学校の時は誰もが下敷きを使って字を書いたのに、いつの間にか下敷きを使わなくなっていた。
下敷きは固いものではなく柔らかいものがいいそうで、下敷きのあるなしでプロでもかなり違う結果になる例が提示されていて説得力がある。
机で書く場合はデスクマットが最適だそうだ。
一番笑えたのがここ。
のし袋などに書くときに、どうしてえんぴつで補助線を引かないのかという疑問を呈す。
たとえ罫線が引いてあっても曲がってしまうことがあるのに、補助線も引かず真っ直ぐに書こうなんて、無謀だと思いませんか?
みなさん、自分の力量を見誤っています。
ここまで読めば、字が下手な人間(こういった本を読んでいるということは当然私もその自覚がある)がどうして字が下手なのかが理解できる。
では、どうしたら字がうまくなるのか?
阿久津氏は本書で繰り返し書いているのだけど、要するに毛筆で書いたような字がきれいでうまく見えるということだ。
ボールペンで普通に書くと字はメリハリのない線で構成されてしまう。そこに筆書きのような味付けを施すことで字が見違えるようにうまく見えるという。ほとんど目の錯覚じゃないかと思うのだけど、実際に例を見るとその通りなのだ。
同じ人が同じ字体で書いても毛筆風とそうでないのとでは明らかに印象が違っている。
具体的には、起筆、トメ、ハネ、ハライを施すということだ。
毛筆では筆の性質上、自然にできることもボールペンではそうはいかないので意識的に加える必要がある。
まず起筆で穂先を付け、とめるところはしっかりとめ、はらうところははらい、はねるところはきちんとはねる。それだけでも字はかなり変わってくる。
そのあたりは文章だけは伝えづらいので本を見てもらうしかないのだけど、ひとつ注意として、下手な人間は筆ペンを使うなというのが阿久津氏の主張だ。
筆ペンを下手な人間が使うと下手さが強調されてしまうのでやめた方がいいと。
確かに筆ペンは大きめの文字を書くには適していても、小さな文字を書こうとするとかなり難しい。細かい部分は線が潰れてしまいがちだ。
下手な人間ほどペンにはこだわれとも書いている。
結論からいうと、水性ゲルインクのボールペンが一番きれいな字が書けるという。
ゼブラのサラサクリップや三菱鉛筆のユニボールシグマGPなどがそれに当たる。
このへんは個人の好みもあるので一概には言えないのだけど、個人的にはぺんてるのトラディオ・プラマンをちょっとオススメしたい。
300円台だから100円程度のボールペンに比べると少し割高なのだけど、交換用のカートリッジが150円ほどなので、気に入れば長く使うことができる。
プラマンはプラスチック万年筆を略した造語で、プラスチックの軸先で万年筆のような書き味を再現しようという試みの商品だ。書き味は万年筆とはまったく違うのだけど、線の強弱をつけられるのでうまい風の字が書ける。ペン先が滑りすぎるボールペンと比べて適度な引っかかりがあるので、ひらがなの曲線をうまく書けるのも気に入っている理由のひとつだ。
ちなみに、こういった小物を単品で買う場合は、全品送料無料のヨドバシカメラがオススメだ。
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ポイントを割り引きと考えるとAmazonなどよりも安い。
「練習しないで、字がうまくなる!」というタイトルは嘘ではなかった。
本の内容が薄いという指摘もあるのだけど、どうして字が下手なのかということを説明してくれるペン字本は他にはないことを思うと、一読に値するといっていい。
お手本をいくらまねてもうまくならないというのは、私も実体験から感じていた。練習している間は多少ましになっても、練習をやめてしばらくするとまた元の自分の字に戻ってしまう。
きれいな字を書きたいと思っている人も、書家のような達筆になりたいと願っているわけではないだろう。字がキレイだねと言われる程度の字が書けるようになりたいと思っている人がほとんどじゃないだろうか。
実際のところ、完璧に整った字を書く必要はなくて、きれいに見えさえすればそれでいいのだ。子供っぽい字じゃなければそれで充分とも言える。
気をつけるべき点さえ意識しすれば、きれいに見える字は書ける。これは断言してもいい。
この本を読む前と読んだ後とでは字を書くときの意識がまったく違うものとなるから、それだけで字がかなり変わるのは間違いない。
私たちはもう何十年も生きて、すでにたくさんの字を書いてきた。書家を目指すのでもなければもうこれ以上の練習はいらない。
あとは、うまく見える字を書くにはどこに注意すればいいのかを知るだけでよかったのだ。それを教えてくれる人がいなかったからうまく書けなかっただけだ。
この本の発行は2011年だから、私もずいぶん気づくのが遅れてしまったようだ。
きれいな字を書けるようになれば人前で書くことも恥ずかしくないし、むしろ人前で書きたいとさえ思うかもしれない。
その上で、もっとうまくなりたいと思って練習するのであれば、その練習は無駄ではない。