
嫌いなものを嫌いと言う権利が人にはある。好きなものを好きという権利があるように。
それは差別とは違う。区別だ。理屈などないし、言葉で説明できるものでもない。
差別がいけないのは正当な権利の侵害であって、差別そのものが罪というわけではない。
差別を否定するということは感情を否定するということで、そんな権利は誰にもない。
差別を無条件に非難する現代の風潮が私は嫌いだ。ヘイト反対とか叫んでいる人も嫌いだ。
私にはそういう人たちを嫌う自由がある。
もちろんあなたには私を嫌う権利がある。
ただし、ひと言付け加えると、相手を嫌えば相手からも嫌われることは当然覚悟しなければならない。