一隅を照らしている場合ではない

言葉(words)
光と影

「一隅を照らす」という最澄の教えは、扱い方を間違えると危険思想になるから気をつけた方がいい。
 この後に続く言葉は「これ則ち国宝なり」で、人それぞれが自分の置かれた場所で最善を尽くせば国の宝になるといった解釈をされているのだけど、それは最澄の本意ではないように思う。
 この言葉は耳障りがよくて自分を慰めるのに都合がいい論理なので人に受け入れられやすい。自分は何者でもなく無名だけどこの世界の片隅くらいは照らしているんだと思うことで自己満足が得られるからだ。
 しかし、こんな論理は功成り名を遂げた人間が晩年に到る境地であって、少なくとも未来ある若者が掲げるべき目標ではない。
 そんな半端に悟ったようなことを考えるよりも、世間に認められていい暮らしがしたいと思った方がよほど健全だ。欲望こそが努力をするための原動力になる。
 暗闇を僅かに照らすロウソクなどではなく、人々を照らす太陽になることを目標にすべきだ。一隅を照らしていればそれでいいなどという安易な考えに逃げてはいけない。
 最澄の教えがいけないのではない。その一部を切り取って知った風なことを言っている人間を信用してはいけないということだ。
 
 
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