
名鉄「苧ヶ瀬駅」もしくはJR高山本線の「各務原駅」方面から北上して村国神社(地図)を目指すと、その手前にもうひとつの小さな村国神社(地図)がある。最初、ここが本家の村国神社かと思って焦った。なんだ、この小ささは、と。
マピオンでは旧字の村國神社となっているのだけど、実際にそうやって区別しているのかどうかは分からない。
現在、こちらの村国神社は村国神社本社の御旅所ということになっている。鳥居の額にもそう書いてある。

『延喜式』神名帳(927年)には各務郡村国神社二座とあり、もう一社の村国神社はこの村国神社とされている。しかし、個人的には違うと思っている。以前のブログに書いたように、前山の八幡神社がもう一座の村国神社ではないだろうか。
各務山の前の八幡神社はもうひとつの村国神社か?
村国神社は村国氏が飛鳥時代に伊斯許理度売命(イシコリドメ)と天火明命(アメノホアカリ)を祀るために建てたとされる。ここ各務(かかみ)は鏡作部(かがみづくりべ)が住んだことが地名の由来とされ、イシコリドメとアメノホアカリを祀る神社を建てたということは、村国氏は尾張氏に関係する鏡作部の末裔と考えられ、神社の創祀は弥生時代か古墳時代まで遡る可能性がある。
村国男依(むらくにおより)が壬申の乱で大海人皇子の側について活躍して連の姓を賜り、一族から中央に中小の官吏を出したといった話は前回のブログ記事で書いた。
村国神社を訪ね、村上氏とは何者かを考える
ほどなくして村国氏は中央政権からは失脚したのだけど、地元では長らく勢力を保っていたはずで、村国神社がこうして現在まで発展してきたことを考えると、一方だけが没落したとは考えにくい。中世に八幡神が流行ったときに八幡社と称するようになった式内社は少なくない。名古屋では高牟神社や日置神社などがそうだ。
村国神社の御旅所は神社の体を為していない。鳥居こそあるものの、境内に建っている建物は拝殿でも本殿でもない、ただの小屋だ。いくら規模が縮小しても、千年以上の時を重ねてこんなしらけた空気感ということはあり得ないだろう。ここはどう考えても式内の村国神社ではない。

この場所は村国男依の墓所という言い伝えがある。
御神木となっているクスノキは各務原市の天然記念物に指定されている。
ただ、このクスノキはせいぜい百年程度だろうし、村国男依の墓所がここだったとしても関係はなさそうだ。
そもそも空気感からしてここが村国男依の墓所とは思えなかった。


村国神社前の道は旧街道の面影を残している。

ここからは村国神社のこぼれ写真を。





各務原市にある5つの古社を巡りましょうという案内。
村国神社、手力雄神社、加佐美神社、村國眞墨田神社、御井神社を金弊社と呼んでいる(岐阜県独自の社格のようなもの)。
この後、寄り道をしながら那珂の手力雄神社へ行った。そのときの話はまた近いうちに。
【アクセス】
・名鉄各務原線「苧ヶ瀬駅」から徒歩約38分
・岐阜バス各務原東部線「おがせ町5丁目」バス停下車、徒歩約7分
・駐車場 なし
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