村国神社を訪ね、村上氏とは何者かを考える

神社仏閣(Shrines and temples)
村国神社

 岐阜県各務原市の神社巡り。
 苧ヶ瀬池を後にして次に訪れたのは村国神社だった。

 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<1>
 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<2> ---神明神社編 
 雨の苧ヶ瀬池を訪ねる<3> ---八大龍王編

 各務原市は難読地名で、「かかみがはら」と読む。江戸時代までは各務郡(かかみぐん)だった。
 古代、この地に銅鏡などを作る技能集団の鏡作部(かがみつくりべ)が置かれたことが地名の由来とされる。「かかみ」は鏡(かがみ)から転じたというのだ。
 作鏡連(かがみづくりのむらじ)らが祖とした伊斯許理度売命(イシコリドメ)と尾張氏の祖とされる天火明命(アメノホアカリ)を祀るため村国氏が建てたのが村国神社という。社伝ではそれを飛鳥時代といっている。
 しかし、それは本当だろうか?

 そもそもどうしてこの地に鏡作部が置かれたのかがよく分からない。
 古代の鏡は銅を鋳造して作る青銅鏡だ。弥生時代に中国からもたらされたと考えられているものの、はっきりしない部分が多い。早い段階で国内でも作られたかもしれない。
『古事記』、『日本書紀』には天照大神が須佐之男の乱暴にたまりかねて天の岩屋に閉じこもってしまい、そこから出てもらうために神々がそれぞれ知恵を絞って役割を果たす有名な天岩戸隠れの話が書かれている。伊斯許理度売命(石凝姥命/石凝戸邊命)は八咫鏡(やたのかがみ)を作ったという。それに先立ち、日像鏡(ひがたのかがみ)・日矛鏡(ひぼこのかがみ)も作ったとされる。
 邇邇芸命(ニニギ)が天孫降臨する際に、天児屋命(アメノコヤネ)・太玉命(フトダマ)、天宇受売命(アメノウズメ)、玉祖命(タマノオヤ)と共に五伴緒のひとりとして付き従ったと日本神話はいう。
 銅鏡が盛んに作られたのは弥生時代から古墳時代にかけてのことだ。古墳の副葬品として主に出土する。
 銅鏡作りを専門とする技能集団が実際に各務原にいたかどうかは何とも言えないのだけど、何もないところにそういう伝承が生まれるとも思えず、やはりそういった一族がいたことはいたのだろう。
 ただ、どうしてこの場所だったのかの合点がいかない。まず、肝心の銅とどこから入手したのか。各務原に銅山があったという話は聞かない。青銅を作るには錫(すず)も必要だ。銅だけだと1083度まで熱しないと溶けないのだけど、錫を加えると875度で溶ける。砂岩などに彫った鋳型に溶けた銅を流し込んで鏡を作り、更にそれを磨き込んでピカピカにしたのが古代の青銅鏡だ。
 鏡作りの集団は渡来人なのか、日本人なのか。その技術はどこから導入したのか。この場所であることの必然性が見えてこない。

 村国神社は村国氏が飛鳥時代に建てたという社伝を信じていいのかどうか。
 飛鳥時代は592年に推古天皇が即位して、710年に元明天皇が都を奈良に移すまでの間だ。これは古墳時代の後期から終末期に当たる。
 この間の大きな出来事として、672年の壬申の乱がある。この地の豪族だった村国男依(むらくにおより)は大海人皇子の側について活躍し、勝利の後、連の姓を賜った。村国男依は後に村国志我麻呂によって村国神社に祀られることになる。
 村国神社を建てたのは村国男依とされていないので、672年以前ということになる。村国氏とはどういう一族だったのか。何故、祭神として伊斯許理度売と天火明を祀ったのか。
『和名類聚抄』(931-938年)には、美濃国各務郡の他に、尾張国葉栗郡、大和国添下郡に村国郷が載っている。これらは村国氏が支配した土地と考えていいだろう。
『延喜式』神名帳(927年)には各務郡に村国神社が二座と村国真墨田神社が載っており、神名帳には載っていないものの葉栗郡にも村国神社がある。
 飛鳥時代(古墳時代)から平安時代にかけて、各務一帯で村国氏が勢力を持っていたのは間違いない。本拠地がどこでどういう一族から派生したのかなど、詳しいことは分からない。天火明を祀るからといって尾張氏一族と決めつけるのは短絡的だ。
 美濃地方の縄文・弥生遺跡についての知識がないので何とも言えないのだけど、このあたりに縄文・弥生の遺跡があれば、村国を名乗る以前からの土着の一族とも考えられる。村国の名の由来については思いつくものがない。
 村国氏はその後、男依の孫の島主が藤原仲麻呂に仕えて一族が繁栄したものの、764年に藤原仲麻呂の乱が失敗したことを受けて中央政界から失脚したようだ。平安時代中期以降は中央で村国氏の名前が見られなくなる。地元の各務でも力を失ったのか、平安時代以降は各務氏がこの地で勢力を持つことになった。



村国神社

 ここはいい神社だ。立派で端正でキリッとしている。イシコリドメは女神とされることもあるのだけど、この神社はとても男らしい神社だと感じた。
 一地方の村人が祀れるような神社ではない。官社と呼ぶにふさわしい。
 前山の八幡神社もいい神社だけど、あそことはまたまったく別の意味でここはいい神社だ。
 各務山の前の八幡神社はもうひとつの村国神社か?



村国神社二の鳥居前

 二の鳥居を越えたところに木像の橋が架かっていて、新境川が流れている。この少し手前で太田川と合流し、少し先で丁田川と合流する。
 神社から見て木曽川は5キロほど南を流れている。



村国神社橋から拝殿

 それほど古いものではないのだろうけど、木像の橋で風情がある。



村国神社拝殿

 瓦屋根の立派な拝殿だ。石灯篭も大きい。
 各務原の神社の特徴なのか、美濃地方の特徴なのか、拝殿前に二本の石柱が建っている。一方は「国家安泰」で、もう一方には「寶祚無窮」とある。前山の八幡神社は、「国家安泰」と「武運長久」だった。



村国神社拝殿に架かっているもの

 拝殿の上に何かが架かっている。船の櫂のようだけど違うだろうか。



村国神社拝殿

 拝殿裏手の階段を登った上に奥宮がある。
 拝殿内に本社があるのか、奥宮が本社に当たるのか。



村国神社奥宮前

 奥宮も雰囲気がある。



村国神社奥宮社殿

 奥宮の社殿。

 つづく。


【アクセス】
 ・名鉄各務原線「苧ヶ瀬駅」から徒歩約43分
 ・岐阜バス各務原東部線「おがせ町5丁目」バス停下車、徒歩約12分
 ・駐車場 あり
 
 
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