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15年ぶりに食べたスガキヤのラーメンは青春の味がした。
ひとくちスープをすすって大学時代に戻り、麺で高校時代に帰り、チョコレートクリームで中学までタイムトリップをした。圭一と食べた清水屋は今どうなっているだろう。マッチャとランチした大学近くの店はあのときのままなんだろうか。みんなも、もう、スガキヤは行ってないだろうな。
名古屋人の心の故郷の食べ物は、味噌カツでも、味噌煮込みでも、きしめんでも、ひつまぶしでもなく、スガキヤのラーメンかもしれない。東海地方の中高生たちはみんな、学校帰りにスガキヤのラーメンとソフトを食べて育った。不良もマジメっ子も、男子も女子も。それは美味しかったからというよりも安かったからに他ならない。ラーメン一杯が200円そこそこで、ソフトクリームを食べても300円かそこらで済んだのは、お小遣いの少ない学生にはとてもありがたい存在だった。
やがてみんな学校を卒業して、大人になると、スガキヤから離れていった。会社の昼休みに食べるようなものではないし、休日にひとりで訪れるにはなんとなくわびしさが伴う。戻っていったのは、主婦の人たちくらいだろう。小さな子供を連れて行くにはスガキヤはまた良いところだから。
スガキヤのラーメンは美味しいか美味しくないかといえば、名古屋人の多くは美味しいと答えるだろう。じゃあ、他県の人にも自信を持って紹介できるかといえば、それはできない。これはそういうたぐいのものではないから。スガキヤのラーメンに自信と誇りを持っているとかそういうことではない。たとえるならそれは、舌を慣らされたお袋の料理に近いかもしれない。あれだけ食べれば好きも嫌いもなくて、よそ様に自慢できるようなものではないというのに似ている。だから、観光客向けのガイドブックには、スガキヤが大きく取り上げられることはない。名古屋人の心にこれほど深く染み込んでいるにもかかわらず。それでも、名古屋の人間は美味しいと思って食べているのだから、名古屋人の精神はどこか屈折している。
部活の帰りにおなかを空かして食べたスガキヤは旨かった。みんな必ずラーメンのあとにソフトを食べた。よくおなかを壊さなかったものだ。でも、スガキヤは何故かラーメンとソフトの両方でワンセットのような思い込みがあって、それを何の不思議とも思っていなかった。岐阜出身のマラソンの高橋尚子もスガキヤが大好きだった。スガキヤを忘れた大人の名古屋人たちよ、今こそスガキヤに帰ろうではないか。ひとくち食べればたちまち心は19のままさ。今もあの娘長い髪のままかな。僕はほらネクタイしめて僕が僕じゃないみたい。それは、スガキヤを忘れたからだ。

15年ぶりということで、おっかなびっくり店の入り口に近づく。もしかして激変していたらどうしようという不安が心をよぎる。前注文システムはあの頃のままだろうか。それとも今は注文方式が変わってしまったのだろうか。食券を自販機で買ったりするのか。などなど、あれこれ考えつつ、店先のメニューを見てみると、うほー、ラーメンがいまだに280円じゃん。安っ! 15年前、20年前でも200円だったか180円だったかで安かったけど、21世紀の280円はいかにも安い。ソフトクリームもまだ140円だ。
けど、なにやら見慣れない小洒落たものが載っている。温野菜ラーメン(390円)やタンタンメン(390円)だって!? 和風つけ麺なんて、そんなハイカラなものがスガキヤに登場していたのか。豚塩カルビ丼(290円)なんてものまである。ラーメンじゃないじゃないし。サラダセット、デザートセット、お子様セットなんてのはいつからあるんだろう。このあたりではさすがに時代の流れを感じずにはいられなかった。私が訪れなかった15年という月日は、やはり短くなかったようだ。歳月人を待たず。
もしかしたら味も変わってしまっているかもしれない。それに、自分は果たしてスガキヤの味をしっかり覚えているだろうかという心配もあった。ただ、システムに関しては、店先で店員に口頭で注文をして、代金先払いで番号札を渡されるという昔ながらの古典的なシステムでちょっとホッとした。スガキヤはやっぱりこうでなくちゃと思う。
私は肉入りラーメン(350円)と、チョコクリーム(190円)を、ツレは温野菜ラーメン(390円)を注文した。ちょっと待て、それは昔ながらのメニューじゃないから邪道だぞ、なんてことは言わない。ツレは名古屋人じゃないから、何を注文してもいいのだ。

厨房の中は昔に比べたら多少きれいになったかなという印象はあった。もともと清潔さに定評のあるところではなく、若い私たちもそんなものを気にするような上品な学生ではなかった。安くてそれなりに美味しければ文句は言いっこなしというような暗黙の了解みたいなものがあった。たとえ、ラーメンの器を持つおばちゃんの指がスープに入っていたとしても、おばちゃん、指入ってる! と怒ると、おばちゃんのダシ入りだがねなんて返しがあって、それで終わりだった。昔はよかったなと思うこともある。
このときは奥でラーメンを作る係のおばちゃんと、注文取り兼ソフト係の男子学生の二人体勢だった。日曜の夜ということで客の入りはまずまずで、割と待たされた。昔はほとんど待ち時間はなかった気がしたけど、こればっかりはパートのおばちゃんの技量次第なので、一概には言えない。ここでのおばちゃんはあくまでもマイペースの人のようで、たくさん注文が入っていたにもかかわらず、あまり慌てた様子もなく、何度も伝票を確認しにカウンターへやって来ては、また奥にすっこんでいくというのを繰り返していた。それを見かねた学生がヘルプにいっていて、カウンターはがら空き状態。レジも無防備に晒されているけど、そんなことは全然平気なのだ。スガキヤ好きに悪い人はいない。スガキヤ性善説。
ラーメンを待つ間、スガキヤについてちょっと勉強しておこう。
2006年の去年、スガキヤは60周年記念ということで半額セールをやっていたらしい。もちろん、私は全然知らなかった。60周年ということだから、1946年、戦後まもなくスガキヤは創業したことになる。
名古屋の栄に甘味処とラーメンの「寿がきや」をオープンしたのが始まりだった。当時はラーメンが40円だったそうだ。
スガキヤの名前は、創業者の名前が菅木周一(すがきしゅういち)だったからだ。知ってしまえば、なーんだ、となる。
1963年(昭和36年)に、日本で初めて粉末の即席ラーメンを作ったのもスガキヤだった。その際に、寿がきや食品株式会社を設立している。
現在もカップ麺やインスタント麺の「寿がきや」があって、やや混乱するのだけど、インスタント麺関係は一応別会社になっているようだ。とはいえ、元は同じなので、カップ麺のスガキヤ再現度はかなり高い。
本格的に店舗数を増やしていったのは、昭和40年代半ばから50年代にかけてだった。郊外の大型スーパーなどのテナントとして入ってることが多いスガキヤのスタイルはこのとき確立されていった。地方では百貨店の中によく入っている。独立した店舗のところは少ない。昭和50年代というと、ちょうど私たちの少年時代と重なる。
昭和60年代からは行き詰まりを感じたのか、新たな可能性に挑戦したかったのか、思い切った全国展開へと打って出る。大阪を中心とした関西で一応の成功をおさめ、満を持して出て行った東京で完敗を喫す。夢破れて名古屋あり。おい、水島、一緒に名古屋へ帰ろう。打ちのめされたスガキヤは静岡までいったん前線を引いて、時を待つことになった。
時は流れて2005年。もう一度だけ東京で挑戦させてくれと父親を説得して、新宿高田馬場店を開いた。今度こそ勝ってみせる、これがラストチャンス、そんな熱い思いがあったに違いない。しかし、東京人のスガキヤに対する仕打ちは冷たかった。学生の多い好立地条件も活かせず、2006年、スガキヤは東京から勇気ある撤退となった。何かが違う、何かが……。そんなつぶやきが聞こえてきそうだ。おそらく、スガキヤからアイ・シャル・リターンの言葉は聞かれることはなかっただろう。
現在は東海地方を中心に300店舗ほどに落ち着いている。
スガキヤといえば、大昔からヘビからダシを取っているという噂が絶えなかった。しかし、どう考えてもヘビの方が高くつく。大量のヘビを養殖までしてスープを作るメリットはどこにもない。マクドナルドのミミズ疑惑と同じような都市伝説だ。しかし、この話、初代の社長が話題作りのために流したという噂もある。本当だろうか。
白湯のスープは一見トンコツに見えるけど、普通のトンコツとはまったく違った独特のものだ。トンコツをベースにした、昆布や鰹などの魚系の和風トンコツと言えばいいだろうか。見た目よりもあっさりしている。基本的にスガキヤのラーメンはこのスープ一本勝負だ。これが苦手だと、他に食べるものがない。
スープも麺も具材も、すべて工場で作って配送しているので、店舗によるバラツキはないとのことだ。確かに、どこの店で食べても味は変わらなかった。
「7番の方~。お待たせしました~。」
おっ、呼んでるぞ。どうやらできたようだ。取りに行かなくちゃ。水ももちろんセルフで、ラーメンはお盆に載っている。コショウもその場でかける。ラーメンフォークで食べない人は、割り箸もカウンターに置いてあるものを取ってくる。このあたりも昔と全然変わらない。食べ終わったらお盆は返却用のカウンターに返しに行く。

ラーメンの器は変わった。前は赤色を基調にしたものだったと思う。でも、ラーメン自体の見た目は当時のままだ。変わってない。
チョコレートクリームも一緒に来てしまうのがつらいところ。後からなんて気の利いたことはしてくれない。ラーメン後にソフトを食べたければ、食べてから食券を買いに行く必要がある。もしくは、素早くラーメンを食べきって、溶ける前にソフトにかかれ。
スープを飲んで、麺を食べる。ああ、そうだ、これだ。一瞬にして味の記憶が甦った。変わってない。あの頃のままだ。でも、これはいくらなんでも変わってなさすぎるんじゃないか。15年、20年も経っているのに、まったく一緒ってどういうことだ。すごいといえばすごいけど、ここまで味が停滞してるのは笑えた。それとも、私が気づかないだけで、微妙なマイナーチェンジはほどこされているのだろうか。いやぁ、でも、やっぱり同じだ。食べれば食べるほどに昔の感覚が甦る。味の記憶って消えないものなんだ。それだけ、昔たくさん食べたってことか。
初めて食べたツレは、意外と美味しいと喜んでいた。B級ラーメンとしては上出来だと。ラーメン通からすれば、これは許されるようなシロモノではないのかもしれないけど、名古屋人の心のラーメンとしては、これはこれでいいのだ。たとえ麺の水切りがなってなくても、麺は伸び気味で腰が存在しなくても、焼き豚が薄くても、福岡の屋台では通用しない味でも、名古屋人はスガキヤが好きという現実だけで、スガキヤのラーメンには存在価値がある。
気持ちが学生時代に戻ってしまったのか、大急ぎで食べ終わってしまった。食べるのが遅い私らしくもなく。いや、満足した。ごちそうさまでした。あの頃は何も考えずにかき込んでいたけど、久しぶりのスガキヤは感慨深いものがあった。昔の自分の感覚も一時的に戻ったのも嬉しいことだった。
チョコレートクリームもあの頃のままだ。これも安くて美味しい。スガキヤのラーメンとの相性も抜群だ。今でもこれだけ美味しいと思えるなら、これからもちょくちょくスガキヤで食べようかと一瞬思ってやめた。やっぱりスガキヤは青春の味のまま記憶をとどめておいた方がいい。次はまた10年後でいい。きっとその頃も味は変わってないのだろう。
それぞれの土地に、それぞれの故郷の味や思い出の食べ物があるのだと思う。時間が経ってそれを食べたらたちまち時が戻るようなものが。名古屋にはスガキヤがある。そのことを幸せに思いながら、ありがとうスガキヤ、また会う日までしばしの別れだ。10年したらまた食べに行くから、そのときまで変わらないでいてな。