
名古屋市の北東に隣接する尾張旭市。高校時代の友人が住んでいたのがきっかけで、今でも用事もないのによく出向いていっている。田んぼの農道に車をとめてしばらく佇んだり、城山レストランとスカイワードあさひの写真を撮ったり、瀬戸電を眺めたりしてしばらく時間を過ごす。ここにはまだ、昭和の古き良き郊外の面影が残っていて、なんとなく心が落ち着くのだ。
そんなお気に入りの尾張旭なのに、市内の神社仏閣に一度も足を踏み入れてないことにふと気づいた。尾張旭の神社というのはあまりイメージがない。数としても少ないような気がするけどどうだろう。
地図を見て探したところ、神社だけで10個近く見つかった。普通の人ならそれはすごく多いように感じるかもしれないけど、やはり密度としては低いと思う。名古屋市内の方がもっと数はある。普段気にとめていないだけで、神社というのは街中にも驚くほどたくさんあるものなのだ。
10くらいなら楽勝で全部回れるではないか。よし、今日からさっそく始めよう。ということで、私の尾張旭の神社全制覇の旅は前触れもなく始まった。
制覇したとしても誰にも自慢できないし誰も誉めてくれないけど、それでもいい。私は尾張旭中の神様と仲良くなるのだ。余裕があればお寺さんも回っていこう。なんだか、早くもいいことがありそうな気がしてきた。
尾張旭市は、名古屋の東部、愛知県では北西部に位置する名古屋のベッドタウンという性格の濃い街だ。東には瀬戸市、北には春日井市、南には長久手市がある。名古屋と瀬戸の中間でやや影が薄い。
これといった観光資源を持たないので、よそから人がやって来ない分、住むには静かな街だ。大きな事件も少ない。一番の見どころとしては森林公園がある。これが市の面積の15パーセントを占めている。他にも城山公園、小幡緑地東園などがあり、「ともにつくる元気あふれる公園都市」というのがキャッチフレーズとなっている。
尾張旭市はお金持ちなのかどうか知らないけど、けっこう公共の施設が充実している。昔はテニスコートの1時間1面を借りるのが300円くらいだった。スカイワードあさひは夜まで開いているのに、登るのは無料だ。住民が裕福で税収が多いのだろうか。
いざ住むとなるとどうだろう。車で名古屋駅までは1時間から1時間半近くかかるし、公共交通機関は瀬戸電が頼りなので、やや不便かもしれない。名鉄バスの路線が一本あるものの、ここはバス路線があまり発達しなかった。
歴史的に見ると、弥生時代の住居跡が見つかってることからも、古くから人が住んでいた土地だったことが分かっている。今日紹介する渋川神社は、927年にまとめられた「延喜式神名帳」(当時「官社」とされていた全国の神社の一覧名簿)にも載っている歴史のある神社だし、古くからある程度の集落があったことは間違いなさそうだ。東谷山の尾張戸神社もそう遠くないから、尾張氏の勢力内だったのかもしれない。
南北朝時代からいくつかの城があったことも分かっている。井田城や新居城など7つの城跡が確認されていて、この地でも小規模な戦闘があったようだ。
城山公園からは、東海地方で一番古い窯址が見つかっており、この地が東海地方の窯業発祥の地とされている。
明治にいったん名古屋県に取り込まれた後、昭和45年に尾張旭市となって今に至っている。人口は8万人弱。

なるほどここが渋川神社かと一歩足を踏み入れてびっくり。大規模な工事が行われていて、境内は仮住まいの佇まいを見せている。一体、何事? こんなに工事真っ最中の神社というものを初めて見た。しばし呆然と立ち尽くす。事情がさっぱり分からない。
帰ってきてから調べて謎が解けた。平成14年(2002年)の5月に、社殿から出火して、本殿と拝殿が焼け落ちてしまったそうだ。そういえばそんなニュースをちらりと耳にしたようなかすかな記憶がある。けど、5年前の私は神社仏閣になどまったく興味がなかった頃だから、そんなニュースも耳を素通りしていた。今ならもっと心を痛めていた。
焼ける前の本殿は、1663年に再建されたものだったというから、一度は見ておきたかった。江戸時代初期の建物といえば、このあたりではかなり貴重だ。
現在は、写真にある仮本殿が建てられて、奥では大がかりな本殿建築が進んでいた。工事は平成17年から始まって、平成20年に完成予定だそうだ。ただ、すべての工事が終わるのが平成22年というから、まだだいぶ先になる。神様も避難所生活のような落ち着かない日々が当分続きそうだ。

完成予定図を見ると、なんだかすごく立派な神社になりそうだ。前からこんなふうだったとは思えない。写真で見る本殿はもっとこじんまりしている。場所も少し移動するようだ。
境内の敷地はけっこう広い。周りは樫の木や楠木、桧などの古木が鬱蒼と生い茂っていて雰囲気がある。来年の完成がちょっと楽しみになってきた。
再訪の様子は「超復活した渋川神社再訪で尾張旭神社シリーズは完結<第7弾>」で。
渋川神社は、景行天皇の時代に、高皇産霊大社を創始したことが始まりとされる。そのときはここより数百メートル西南にあったようだ。677年、天武天皇即位の大典にあわせて、この地へと移ってきた。
祭神は、大年大神、御食津大神、庭高日大神、河須波大神、波比伎大神、大宮売大神、八重事代主大神の7柱。
かつてこの地は、尾張国山田郡と呼ばれていて、山田郡の総社として広く信仰を集めていたといわれる。
旧瀬戸街道を行く人々がここに立ち寄り、わき水を飲んで馬や体を休めたそうだ。織田信長が神殿を改修し、尾張藩2代藩主の徳川光友が神殿を再建している。江戸時代は蘇父川天神と称していた。
昔はもっと大きな森に囲まれた広い敷地があったようだ。現在は宅地開発で規模がかなり縮小した。昭和34年の伊勢湾台風はこの地にまで被害を及ぼし、樹齢300年以上の檜の大樹など数十本をなぎ倒したという。
例大祭は10月15日に近い日曜日で、尾張旭の棒の手保存会の実演も境内で行われる。初詣客でも賑わうそうだ。
渋川神社で棒の手奉納
全国的には大阪の八尾市にある渋川神社が有名のようで、ネットで検索するとそちらがたくさん出てくる。こことの関係はあるのかないのか、よく分からなかった。
私の尾張旭神社仏閣巡りの旅はこうして始まった。その気になれば10やそこらは朝から回って一日で制覇できるのだろうけど、それではあまりにもあっけなくてつまらない。今年いっぱいくらいかけるつもりで、のんびりと巡っていこうと思っている。
【アクセス】
・名鉄瀬戸線「印場駅」から徒歩約8分。
・無料駐車場 あり(閉まっていることもある)
・拝観時間 終日
記事タイトルとURLをコピーする