
OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f3.5, 1/200s(絞り優先)
東谷山フルーツパークは、しだれ桜が最も有名には違いないのだけど、フルーツパークの名前が示すように果物の楽園でもある。というよりも、本来はそれがメインのパークだ。なのでこの時期、主役以外にもたくさんの脇役花たちが、園内のあちこちで咲いている。今回はそんな助演花たちにスポットを当ててみようと思う。
まずはウコンザクラから。
通称「黄桜」(そんな名前の酒があったっけ)、漢字で書くと「鬱金桜」となる。憂鬱の鬱に金でウコンというのは、当て字としてはどうなんだろうとちょっと思う。サプリメントやカレーの原料となるいわゆるターメリックのウコンも鬱金と書く。ウコンの根で染めると淡黄緑色になり、これを鬱金色という。花の色がその色に似てるからということでウコンザクラと名づけられた。カレーが黄色いのもウコンによるものだ。
江戸時代に、オオシマザクラ系サトザクラから作り出された園芸種で、花は八重咲きをする。日本ではあまり馴染みがない桜だけど、欧米人には人気が高いらしい。
つぼみは淡い紅色で、開くと薄黄緑色になり、満開が近づくと中心がピンク色に染まってくる。そして、花は散らずにぼとりと落ちる。このへんの風情に欠ける感じも、日本では人気が出ない理由だろう。果実もならない。

これはキクモモ(菊桃)。姿は桃らしくないけど、色は確かに桃の色をしている。形が菊っぽいところからそう名づけられたのだろうけど、あまり似ていない。ベニバナトキワマンサクの方が似ている。
桃もいくつかの園芸品種があって、そういうハナモモの中の一種だ。これも江戸時代に作り出された。江戸時代の園芸家はホントに研究熱心というか暇というか、花の改良に情熱を傾けていた。特に樹木の花は江戸時代に品種改良されたものがとても多い。
木自体は多くが中国から渡ってきているから、日中合作という方が正確かもしれないけど。

このときもメモ撮りを忘れて、いくつかの花の名前が分からなかった。その場では覚えたつもりで、忘れたとしても帰ってからネットで調べれば分かるだろうと思うのだけど、やっぱり覚えてなくて、ネットでも調べがつかない。メモリーカードの容量を気にするよりも自分の記憶容量を疑った方いい。
これは山桜だったか、リンゴだったか、梨だったか。桜のような気はするんだけど、どの場所で、どういうシチュエーションで撮ったのかも思い出せない。ばあさん、朝ご飯はまだかいのぉ。

これは確かリンゴ畑の入口で撮ったから単純にリンゴの花だろうと思いきや、帰ってきて写真を見ると、なんとなく梨の花のようにも見えてきた。たぶん、梨の方だと思う。リンゴの花はもう少しピンクがかっているから。
ただ、梨もリンゴも、品種がいろいろあって、花もそれぞれ微妙に違っていたりするから油断ができない。このあたりの花は、どれも似たものが横並びにグラデーションのようになっていて、その境目が分からなくなる。桜と梅と桃とリンゴと梨と、他にもボケ、カリン、スモモ、アンズなどなど、紛らわしいものがたくさんある。中途半端に知識が増えて余計混乱してしまった。今となっては、梅と桜しか知らなかった頃が懐かしい。

これがどうしても分からなかった。撮った時は、へぇ、アレってこんな花が咲くんだぁと感心した記憶はあるのに、そのアレが何だったかが出てこない。完全なる老化現象。代名詞症候群。頭を叩いても振っても、砂の嵐状態になったテレビ画面のよう。そのうち、中でカラカラと乾いた音がしそうだ。壊れたトランジスタラジオみたいに。
これはそもそも花なのか。ここから何かの実がなるのだろうか。キミは一体、ダレですか?

花が終わった木は、早くも小さな実をつけ始めていた。人が桜の花に見とれている間にも季節は確実に進み、木々の気持ちはもう実りの夏に向かっている。彼らは花を咲かせるために生きているわけじゃなく、実をつけるために生きている。そこにひとつの大きな目標があって、花はそのための手段に過ぎない。
そういう意味では、実を付けないソメイヨシノが狂ったように花を咲かせる気持ちは分かる。ソメイヨシノにとっては花を咲かせることしか目標がないから。あれは結婚という幸せよりも仕事を取った女優魂のような咲き方だ。サクランボを付ける桜の木は、ソメイヨシノほど必死に花を咲かせていない。だから、人の心に訴えるものが弱いのだろう。
人々から注目されない脇役花も咲き誇り、咲き乱れる季節は春。上を向いても、下を向いても、花盛り。ミツバチは忙しく花粉を集めて回り、蝶は花から花へ、鳥たちは気まぐれに花をついばむ。人はただ無闇に写真を撮る。みんな冬眠から目覚めて、活発に動き始めた。
花を追いかけていると一番慌ただしくなるのが4月から6月にかけてだ。桜が終わっても、チューリップに藤にツツジ、カキツバタに花菖蒲にバラにアジサイまで、息つく暇もない。森や山にも野草が次々に咲いては後続に場所を譲り、湿地の花も忙しい。
自然界の花サイクルがこんなにもめまぐるしく動いていることを、ほんの3年前まで知らずにいた。地球がものすごい速さで自転しながら公転してるように、地球上でも命が猛スピードで駆け抜けている。人も毎日を無為に過ごしている場合じゃない。自然に負けないように早回しで生きていかなければ。
桜は終わった。今年もまた、夢のような2週間を過ごすことができた。葉桜になってしまえば、街並みも酔いから冷めて平常に戻る。桜など幻だったように。夢から覚めた人々は、また来年の春まで、おぼつかない足取りでよろめきながら進むしかない。
私たちはあと何回、生きて桜を見られるだろう。風に舞う桜の花びらを目で追いながら少し切ない4月の半ば。
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