
守山区の小幡緑地西園の南西で見つかった牛牧遺跡(うしまきいせき/地図)は、名古屋を代表する縄文遺跡のひとつだ。
日本列島全体では約9万ヶ所の縄文遺跡が知られている。そのうち85パーセントは東日本にあり、愛知県では約1,100ヶ所が見つかっている。
牛牧遺跡があるのは、北の庄内川と南の矢田川に挟まれた台地上で、その台地の中央部に位置している。川からある程度離れたこの場所を選んだのは水害を避けてのことだっただろうか。近くに水源があったには違いない。
牛牧遺跡は縄文時代晩期から弥生時代を経て古墳時代に到る長い期間続いた集落だったことが分かっている。台地上には中型の前方後円墳などが築かれた。
遺跡は昭和33年(1958)に発見され、守山市教育委員会による調査を皮切りに、1691年には名古屋市教育委員会が、1998年から1999年にかけて愛知県埋蔵文化財センターが調査を行った。
出土品の多くが縄文時代晩期の土器で、弥生式土器や古墳時代の須恵器なども混じる。竪穴住居跡も見つかっている。
1989-1999年の県営守山住宅建て替えにともなう調査で、縄文時代晩期の土器棺墓が40基以上発見された。
見つかった土器や土偶に赤色の顔料が塗られていたのも牛牧遺跡の特徴のひとつとされている。
その他、古墳時代の装飾付器台が出土しており、古墳時代のこの地の勢力を知るための手がかりになる可能性がある。
戦国時代の山茶碗片や天目茶碗が出ていることから、戦国時代に到るまでこの地で人が暮らしていたことがうかがえる。
牛牧の地名の由来として、この場所に牛の牧場があったという説があるも、そういった痕跡は見つかっていない。いつ頃から牛牧の地名があったのかも分かっていない。
牛から離れて「ウシマキ」が由来だとすると、物部氏の祖とされるウマシマジ(宇摩志麻遅命)から来ている可能性が考えられる。
ただし、物部氏の本拠は庄内川を挟んだ北側の味鋺・味美エリアで、庄内川以南は一般的に尾張氏の支配地とされていることからすると、ウマシマジを語源とできるかどうかということになる。
庄内川の北に松河戸遺跡 町田遺跡が知られている。
庄内川南沿いの志段味から小幡、守山にかけての古墳群について、はっきりしたことは分かっていない。
現在も牛牧という地名は残っていて、小幡緑地西園の住所は牛牧だ。江戸時代までは牛牧村と呼ばれていた。小幡緑地本園までが村域だった。
小幡緑地西園を訪ねていっても、説明板が立っているだけで何も残されていない。
出土品は愛知県埋蔵文化財調査センター(web)が所蔵しているはずだけど、どの程度一般に公開しているのかは分からない。
【アクセス】
・名鉄瀬戸線「小幡駅」から徒歩約20分
・駐車場 あり(小幡緑地)
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