
尾張旭市庄中町1丁目の西部浄化センターに、かつて印場城(地図)があった。
城の規模は東西64メートル、南北60メートルほどで、西部浄化センターの北半分が城跡ということになる。
北を流れる天神川を利用しつつ、堀と土塁で囲んでいたとされる。
平成6年(1994年)に浄化センターを建築する際に調査が行われ、天目茶碗、漆器類、木製品などが見つかった。
築造時期は室町時代の15世紀後半と考えられている。
1699年(元禄12年)の「印場村庄屋彦助書上」には、城主は坂井弥兵衛と伝わっているが詳しいことは不明と書かれている。
周辺には渋川城、瀬戸川城、井田城などがあった。井田城主が浅井玄藩允、その弟の浅井源四郎が瀬戸川城の城主だったことくらいしか分かっていない。
尾張旭でいうと、新居城が一番大きかったと考えていいだろうか。現在の城山公園がその城跡だ。
新居村の開拓者でもあった水野良春が城主で、大森城の尾関氏と争っていた。
時代でいうと、南北朝時代なので、印場城は100年ほど後の築城ということになる。
水野良春については以前にも何度かこのブログに登場している。
又太郎良春さんはアマツヒコネがお好き? ---尾張旭神社巡り4弾
水野良春のお墓にも二、三度行っている。
初冬の尾張旭巡り
水野良春についてはいずれもう少し詳しく書きたいと思っている。

門は開いているけど部外者は立ち入り禁止だと思う。
たとえ入っていけたとしても遺構は何もない。
昔、ここに城があったんだなと思いを馳せるくらいだ。
城など必要ない世の中になったことを喜ぶべきだろう。
【アクセス】
・名鉄瀬戸線「印場駅」から徒歩約12分
・駐車場 なし