
三重県三重郡朝日町を訪れる機会があり、少し時間があったので朝日町の神社を訪ねることにした。
最初に訪れたのは、JR関西本線の朝日駅からほど近い井後神社(地図)だった。
朝日町は旧東海道の桑名宿と四日市宿の間に位置している。朝日駅の少し南の細い通りが旧東海道で、かつては旅人のための茶屋などもあったそうだ。今も往事の面影をわずかながらとどめている。
井後神社は『延喜式』神名帳の伊勢国朝明郡井後神社に比定されている神社だ。
現在は「いじり-じんじゃ」と読ませているのだけど、かつては「ヰシリノ」と呼んでいたようだ。
旧東海道から少し西北に入った標高20メートルほどの山の上にある。かつては平地の田んぼの中に鎮座していたという。住所でいうと柿村字元田1093番地というのだけど、土地勘がなくて正確な位置が分からない。
江戸時代までは貴船大明神と称して高龗神(たかおかみのかみ)を祀っていたという。
京都の貴船神社(web)は玉依姫命が水神を祀ったのが始まりとされる古い神社で、現在の祭神は高龗神となっている。
井後神社がもともとどんな神を祀っていたのかは分からない。
近くの城ノ広遺跡に40メートルほどの前方後円墳があり、それ以外にも方形周溝墓が見つかっていることから、弥生時代にはこのあたりに人が暮らしていたと考えられる。古墳は6世紀中頃のものとされ、豪族の館跡らしきものも発見されている。
それらを考え合わせると、この地を本拠とした豪族が祀ったのが始まりだろうか。
明治以降の経緯が少しややこしいので整理しておきたい。
もともとは今村の井戸後と呼ばれる場所に鎮座しており、安政年間(1772-1781年)に今村が柿村に併合されて柿村の産土神となった。
明治末の神社合祀令を受けて、埋縄にあった式内の移田神社を合祀して現在の高台に移し、そのとき社名を井後神社とした。
この場所にはそれまで山神社があり、山神社も合祀された。
祭神が高龗神と建速須佐之男命、大山祇神となっているのはそのためだ。
戦後の昭和27年、移田神社は再び分離独立して旧地に戻され、祭神の建速須佐之男命だけは残された。
以上の流れを踏まえると、この神社が式内の井後神社で間違いないとは言い切れない。ただ、このあたりにそれほど古い神社が何社もあったとは思えないので、やはりこの神社がそうだったとするのが妥当だろうか。
それでも元地が低湿地だったというのに、雨乞いの神とされる高龗神を祀るとするのは不自然に思える。貴船明神と称するようになったのは中世以降のことではないだろうか。
地元では延命の神とされているというから、そうなると高龗神とは属性が違う。本来の祭神が何だったのかを予測するのは難しい。
(追記)
あさひタウンガイド(web)に井後神社の旧地に関する情報があるということを教えていただいた(ありがとうございます)。
これで旧地の場所が分かった。JR朝日駅の300メートルほど東南、コーポラス貴船の北東だったようだ(地図)。
今昔マップの1888-1898年でも確認したら、しっかりその場所に鳥居マークが描かれている。田んぼに囲まれた場所にあったことも分かった。
コーポラス貴船という名前にも名残があり、駐車場の角に旧地を示す石碑も建っているようだ。
(追記)2020.12.12
いつもコメントをいただいているmamekichiさんが旧地に建つ碑の写真をブログで紹介されてます。
20201211勝手にJRさわやかウォーキング三重・朝日町へ……朝日町歴史博物館の「古文書から歴史をよみとく-江戸時代の朝日-」を見て、井後神社、善照寺、移田神社、井後神社旧址へ
周辺の寺社についての詳しいレポートになっているのでご覧いただければと思います。
mamekichiさん、ありがとうございます。



階段の途中に山城門という門があり、左右に随身(ずいじん/ずいしん)が控えている。
随身門を持つ神社はなかなかない。名古屋市内には一社もないし、愛知県内でもないんじゃないかと思う。個人的には日光東照宮(web)と東京早稲田の穴八幡宮でしか見たことがない。







【アクセス】
・JR関西本線「朝日駅」から徒歩約3分
・駐車場 あり
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