呼ばれたのか惹かれたのか根津神社は思いがけず立派で驚く - 現身日和 【うつせみびより】

呼ばれたのか惹かれたのか根津神社は思いがけず立派で驚く

根津神社-1

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.6, 1/250s(絞り優先)



 どうして根津神社へ行こうと思ったのか自分でもよく分からない。その存在はガイドブックか何かで見かけて知ったのだと思う。どんなゆかりのある神社なのかよく知りもせずなんとなく行きたいと思ったのは、根津神社が私を呼んだのか、はたまた私の中の何かが惹かれたのか。とにかく行こうと思った。
 連れと共に出向いた根津神社の前に立ったとき、思いがけず立派な神社で驚く。おおー、大きい。もっとこぢんまりとしたところを想像していたので意外だった。さっそく大鳥居をくぐって中に入ることにする。ちょっとお邪魔します。

 根津といえば甚八。かつて根津甚八もこのあたりに住んでいたというウワサがあるけど、本名が根津透なので芸名は根津神社からではない。真田十勇士の一人である根津甚八を舞台で演じたことから芸名にしたそうだ。
 根津神社の創建は古い。もともとは千駄木に日本武尊(やまとたけるのみこと)が須佐之男命(すさのおのみこと)を祀るために建てたのが始まりとされている。それが本当なら、創建から1,900年余りということになる。
 その後、太田道灌が社殿を建てた。ただ、今のように立派な神社となるのはもっと後の5代将軍綱吉のときだ。世継ぎの子供がいなかった綱吉は、亡き兄の息子綱豊(後の6代将軍家宣)を養子に迎えることになり、その生家であったこの地に根津神社を移して大造営をした。
 それは天下普請と呼ばれ、大変大かがりな工事だったという。現在よりも更に広かった2万2千坪の土地は湿地帯に近いような状態で、造営にはのべ80万人がかり出されたそうだ。
 建物は将軍の名に恥じない作りとなっていて、日光東照宮を模した権現作りの社殿をはじめ、唐門、楼門、透塀などが豪華に立ち並んでいる。それらはすべて国の重要文化財に指定されている(昭和6年にいったん国宝になったあと重文に)。
 以後徳川政府には手厚く保護されるとともに、庶民からも根津の権現様と呼ばれて親しまれてきた。明治維新の際には、明治天皇が国家安泰をこの神社に願ったそうだ。
 写真に写ってるのが、最初の鳥居をくぐった先にある楼門だ。これがもっとも印象的だった。力強くて迫力があり、美しかった。

根津神社-2

 楼門の次は唐門。門の左右は透塀(すきべい)で、これが周囲をぐるりと取り囲んでいる。時代劇の撮影などでよく使われるそうだから、透塀の向こうを走るシーンなんかが出てきたら、それは根津神社の可能性が高い。
 この右側にはやや地味で目立たない神楽殿がある。かつてはここで舞が披露されたのだろう。昨日登場したライオン丸猫はこの神楽殿を守るように陣取っていた。隣に大きなイチョウの木があったから、秋にはまた違った風情があって美しいに違いない。
 左側には、乙女稲荷神社がある。小さめの赤い鳥居が100以上立ち並んでいて、ミニ伏見稲荷といった風情となっている。こちらもよくテレビで登場するらしい。

根津神社-3

 拝殿の前で何やら人だかりができている。お詣りするわけでもなくなんとなく立ち尽くしてる感じで何事かと思って中を見てみると、ちょうど結婚式が行われているところだった。そういうことか。しかしこうなるとお詣りがしづらい。結婚式見物の人の前でお詣りをしないといけないから。しばらく待ってみたけど式は終わりそうにないので、控え目にお詣りしておいた。神さんも結婚式の最中で我々のお願い事など聞いちゃいられなかっただろうけど。
 重要文化財で執りおこなわれる結婚式はなかなか価値がある。儀式も一切簡略化せず本格的にやるようだから、神前の結婚式をするにはいいところだ。生田神社に負けるな。

根津神社-4

 拝殿の左右には紅白の梅が一本ずつ植えられていて、おお、なるほど、これはいいと思う。
 それにしても根津神社がこんなにも立派で由緒のある神社だとは思ってもみなかった。東京人の間では知らない人がいないほど有名なんだろうか。今残っている江戸時代の神社建築としては最大の規模だそうで、東京十社のひとつでもあるから、やはり格式のある神社ということなのだろう(神田明神、芝大神宮、日枝神社、亀戸天神社、白山神社、品川神社、富岡八幡宮、王子神社、氷川神社)。
 一般的には、つつじ祭りと例大祭で有名なようだ。丸い植え込みがたくさんあってきれいだと思ったらあれはつつじだったのか。4月下旬には約50種類3,000株のつつじが咲き誇るそうだ。珍しいつつじもあるというから見てみたい気もするけど、相当な人出らしいので行くなら覚悟が必要だ。
 例大祭は毎年9月中旬の土、日で、6代将軍家宣が始めたものだ。現存する3基の大神輿も家宣が奉納したもので、当時は江戸中から山車を集めてきたという。この天下祭は、山王祭、神田祭とあわせて江戸の三大祭と呼ばれている。
 2006年の去年はこの地に移って300年ということで、御遷座300年大祭が大規模に行われたそうだ。
 拝殿にはどういうわけか、これでもかってほどに「卍」のマークが入っていたのが不思議だった。普通卍は仏教関連のもので、神社にはないはずだ。神仏習合の名残というには前面に押し出している感じがあってそれは違う気もする。家康が日光東照宮で祀られるとき東照大権現となったことから、その流れで卍が使われているのではないかというのがあったけど、実際のところはよく分からない。

 根津といえば、夏目漱石ゆかりの地でもある。イギリス留学から帰ってきた漱石は、しばらくの間、根津にあった友人の斎藤阿具博士宅を借りて住んでいた。その頃書かれたのが『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』などだ。
 当時38歳だった漱石は、神経衰弱を和らげるために小説でも書きたまえという友達の高浜虚子のすすめで嫌々『猫』を書き始めることになる。奥さんが書斎をのぞくと、苦虫をかみつぶしたような顔で原稿用紙に向かっていたそうだ。
 このときの家は、犬山の「明治村」にそっくり移築展示されている。
 森鴎外の『青年』の中にも根津神社は登場しているから、鴎外もこのあたりをよく散歩したんじゃないだろうか。
 司馬遼太郎も根津神社がとても好きだったそうだ。

 どういういきさつで訪れることになったにせよ、行ってよかった根津神社。ライオン丸猫にも出会えたし、結婚式も見ることができた。予想を裏切る立派さで感動もあった。これからは根津といえば甚八ではなく神社だ。
 再び訪れる機会があるかどうか分からないけど、しっかり記憶に刻んでおこう。まだ行ったことがない人はおすすめします。
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コメント
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ふーむ。私のような田舎者は根津神社の事は全く知りませんでした・・
しかし素晴らしい造形ですね。また紅白の梅の木がいい。
やはり人というものはこういった「神聖なもの」に魅かれる何かがあるのでしょうかね。

ここは猫神様もいるし、結婚式もできるし。
しかし行くなら早くしないと猫神様がどっかに行っちゃいそうですね。

2007-03-02 17:12 | from ビアンキ

根津神社にライオン丸あり

★ビアンキさん

 神社仏閣も、帰ってきてから由緒や歴史を知って、こんなことならもっとありがたがっておけばよかったと思うのがいつものパターンです。
 逆に言えば、ただし書きを知らなければそんなにありがたいもんでもないってのが実際のところなんでしょうね(笑)。
 境内に入ったときの空気感が明らかに違う場所は感じることができるのだけど。

 根津神社はライオン丸猫とあわせてオススメです。
 毎日あそこにいるのかな。
 他の人のサイトにもちょくちょく登場してるから、たぶん常駐してると思うんだけど。

2007-03-02 23:00 | from オオタ | Edit

根津神社

権現(ごんげん)は、日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想によります。
東照大権現とは神となった徳川家康のことです。根津権現の権現の一つはスサノオ
神仏習合の表れで、根津神社の卍紋もそのせいです。
根津権現は甲府徳川35万石の屋敷跡で、生まれ育った家宣の産土神社とされました。
それゆえ根津神社楼門の随臣は、叔父である五代将軍綱吉と、父親代わりの後見役であった徳川光圀(水戸黄門)がモデルとされています。

2014-11-13 17:44 | from かのこ | Edit

懐かしの根津神社

>かのこさん

 こんにちは。
 根津神社、懐かしいです。
 もう7年も前になりますか。また行きたいと思いつつ、再訪は実現してません。
 詳しいいきさつを教えていただきありがとうございます。
 東照宮はなんとなく縁があるのか、あちこち行ってます。
 日光、久能山、上野、名古屋、日吉、鳳来山、松平。
 世良田東照宮も行ってみたいですが、いつになることか。

2014-11-13 21:32 | from オオタ | Edit

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