三重県鈴鹿市の加佐登神社とヤマトタケルのこと - 現身日和 【うつせみびより】

三重県鈴鹿市の加佐登神社とヤマトタケルのこと

加佐登神社

 三重県鈴鹿市加佐登町にある加佐登神社(かさどじんじゃ/地図)を訪ねた(2017年6月)。
 かつてこのあたりは能褒野(のぼの)と呼ばれた土地で、日本武尊(ヤマトタケル)終焉(しゅうえん)の地として知られている。加佐登神社は、そのヤマトタケルにまつわる神社だ。

 ヤマトタケルは父である景行天皇の命を受けて東征を行い、尾張に戻ってミヤズヒメと結婚し、草薙剣を置いたまま伊吹山の神と戦いに行って敗れ、故郷の大和へ戻る途中、鈴鹿の能褒野で力尽きて絶命したと『古事記』、『日本書紀』には書かれている。
 絶命したヤマトタケルは白鳥になって飛び立ち、故郷に帰っていったとする。そのため、ヤマトタケルの陵とされるものが各地にある。そのひとつがここ加佐登神社の奥にもある。

 加佐登神社の創建について詳しいことは伝わっていない。
 ヤマトタケルが最後まで所持していた笠と杖を御神体として祀ったのが神社の始まりと社伝では伝える。
 御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていたのが、のちに加佐登という表記になったという。それが明治6年(1873年)のことだ。
 式内社の倭文神社(しとりじんじゃ)をはじめ、近隣にあった16の神社を合祀したのは明治41年(1908年)で、これは国の神社合祀政策によるものだった。この時期に三重県内の神社は9割が消滅している。

 ヤマトタケルの笠と杖を御神体にしたというなら創建はかなり古いということになるのだけど、ここは延喜式内神名帳には載っていない。平安時代まで神社としての体裁が整っていなかったのか、それ以降に建てられた神社なのか。
 ただ、ヤマトタケルの陵とされる白鳥塚古墳や、着物を納めたと伝わる綺宮碕奉装塚・奉冠塚など、ヤマトタケルにまつわる旧蹟が多いことは確かだ。
 加佐登の地名は昭和17年に加佐登神社から名づけられたものなのだけど、古くからここは高津瀬村高宮という地名だった。これはヤマトタケルの父の景行天皇が伊勢に来たときに滞在した綺宮(かんはたのみや)の跡があったことから来ているとされる。

 ヤマトタケルがどうこうということは置いておくとして、実際この神社はどんな神社かというと、よく分からないというのが正直な感想だ。
 それなりに古さはありそうでいい神社なのだろうけど、特別ぐっとくるというほどでもなく、何か正体がぼんやりしていてはっきりしない。16も神社を合祀してしまったことで色が混ざってしまって明瞭さがなくなったという感じだろうか。
 境内に向かって登っていく階段の雰囲気はよくて、あそこは印象に残った。



加佐登神社木製鳥居と参道




加佐登神社階段の参道とアジサイ




加佐登神社石鳥居と額




加佐登神社拝殿前

 拝殿は新しく、歴史は感じさせない。
 この境内域の空気がちょっと抜けている感じ。空気に神気と呼べるような濃密感がない。



加佐登神社拝殿内




加佐登神社本殿

 本殿はなかなかいい感じだ。風格がある。



加佐登神社ヤマトタケル像

 ヤマトタケルは30歳で死んだことになっているのに、これではおじいちゃんだ。顔つきもタケルっぽくない。



加佐登神社稲荷社鳥居




加佐登神社古墳への道

 神社社殿の左手に古墳につながる道がある。
 雑木林の散策路を10分ほど歩く。



加佐登神社白鳥塚古墳石碑




加佐登神社白鳥塚古墳正面

 昔からヤマトタケルの陵ではないかとされてきた白鳥塚古墳。
 かつては円墳と考えられてきたのが平成に入ってからの調査で帆立貝式古墳ということが判明した。
 墳丘長は78m、円丘部の直径67m、高さ9mで、築造されたのは5世紀前半と考えられている。
 年代的に見てもヤマトタケルの陵とは考えられない。ヤマトタケル(小碓)が実在したとすれば、4世紀前半くらいだろうか。
 葺石で覆い、埴輪で周りを囲んでいたようだ。
 おそらく鈴鹿地方の有力豪族の首長クラスものだろう。
 前方後円墳ではなく帆立貝式ということを考えると、中央に近い豪族のものではなかったかもしれない。
 周辺でもいくつかの古墳が見つかっている。
 神社との関係はよく分からない。

 ヤマトタケルの命日とされる4月8日に大祭が行われている。
 4月8日というと旧暦でいうと釈迦の誕生日とされる日で、新暦でいうと聖徳太子の命日とされる日だ。

 ヤマトタケルは大和の人ではあるのだけど、尾張ともゆかりの深い人物なので親近感を持っている。熱田神宮もヤマトタケルと草薙剣の神社だ。
 能褒野の地は一度訪れてみたいとずっと以前から思っていて、今回実現できたことは感慨深いものがあった。能褒野神社と能褒野王塚古墳も訪れることができた。
 能褒野神社 ---ヤマトタケル終焉の地を訪ねる
 またどこかでヤマトタケル関係の場所を訪れる機会があると思う。それを楽しみにしたい。

【アクセス】
 ・JR関西本線「加佐登駅」から徒歩約23分
 ・駐車場 あり(無料)
 
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コメント
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個人的に懐かしい神社

オオタさん、こんにちは。

この加佐登神社は、学校を終えて最初に働いたところ(当時の国立療養所)のすぐ近くにあり、個人的に大変懐かしいところです。
職員レクレーションで花見に出かけたり、患者さんを連れて散歩に行ったりしました。

ただ、当時は(もう40年近く前)、神社そのものに興味はなく、今から思うと残念な気がしています。
拝殿は新しくなったような感じがしますが、境内に上っていく階段は当時の面影をかなり残していると思います。
全くの印象で書けば、40年近く前の方が、いかにも日本武尊に因む神社という感じを持ったように記憶しています。


2018-02-24 15:00 | from mamekihi | Edit

あの階段の風景

>mamekihiさん

 こんにちは。

 加佐登神社もご存じだったのですね。
 しかも、近くにお勤めでしたか。
 患者さんを連れてなら、あの階段はちょっと大変だったかもしれませんね。

 光がこぼれてくるあの感じはとても好きでした。
 境内域が、なんというか想像していたのとは違っていて、あれ? と思ったのでした。もっと古めかしい感じを思い描いていて。
 かつてはそういった古色蒼然とした空気感が残っていたでしょうか。

 ヤマトタケルの存在はわりと信じていて、熱田に残した足跡や、伊吹山から能褒野への行程もわりとリアリティーがあるように思うんですよね。
 能褒野という土地はきっと特別な場所なので、加佐登神社も何らかのつながりがある神社なんだと思ってます。

2018-02-25 00:15 | from オオタマサユキ | Edit

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