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名古屋人のくせに私という人間は、ちゃんとした店のひつまぶしをこれまで一度した食べたことがなかった。それも他県から遊びに来たゲストにつき合う形で一回行っただけというていたらく。それも5年くらい前のことになる。これでは名古屋人失格の烙印を押されても文句は言えまい。けど、いつも心の片隅にひつまぶしの存在はあった。いつかもう一度自分の意志でひつまぶしを食べなくちゃなという思いがくすぶり続けていた。
しかし、よほど私とひつまぶしは縁がないのか、行こうと決めて2度食べられずに終わることになる。一度は行こうとしたら閉店時間を過ぎていて、次は正月休みだった。なんてこった。まるでうなぎの呪いにでもかかったようにひつまぶしにありつけない私。もう駄目なのかと思った三回目、うなぎは私を見捨ててはいなかった。捨てるうなぎあれば拾ういなぎあり。ようやく私とツレは「しら河」ののれんをくぐることになった。
名古屋でひつまぶしといえば、「あつたの蓬莱軒(ほうらいけん)」と相場が決まっている。ひつまぶし発祥となった店であり、ひつまぶしという商標登録を持つ、江戸時代から続く老舗だ。私が前回食べたのがこの店で、値段は2,500円くらいだった(現在は2,520円らしい)。値段も名古屋で一番高い。
もう一軒、うちこそがひつまぶしを発案したのだと主張する店がある。中区錦3(いわゆるキンサン)にある、これまた古い「いば昇(いばしょう)」というところだ。
ひつまぶしの起源には二つの説がある。ひとつは「いば昇」で冬にうなぎの皮が固くなるからそれを小さく切ってご飯に混ぜて、まかない料理として食べていたのが始まりというものと、「蓬莱軒」でお座敷に出すとき大きな櫃(ひつ)からご飯を小分けしてうなぎを乗せて出したのが最初だというものと。
「いば昇」のひつまぶしは2,100円と、やや抑えられている。
今回我々が出向いた「しら河」は、お手頃価格で美味しいひつまぶしを食べさせると評判の店で、「蓬莱軒」よりこちらの方が好きだというファンも多い。私の舌は5年間のブランクがあるのでなんとも比較のしようがないのだけど、「蓬莱軒」はさすがの老舗の貫禄というオーラがあったのに対して、「しら河」の方は親しみが持てるものという違いは感じた。値段の差は約1,000円。うな丼の価格としては1,500円くらいが妥当な線なんじゃないかとは思う。
「しら河」のは、表面パリパリ、中ふんわりの仕上げになっているので、うなぎの皮のぬめっとした感じが苦手という人に向いている。うなぎ嫌いの人は、あきらめる前にここのものを試してみるといいかもしれない。
上ひつまぶしが1,470 円で、ミニひつまぶしが1,155 円。手前にあるのがミニの方で、奥が通常のサイズだ。中身は同じで、量だけが違う。私は少食なのでミニでも持て余すくらいだった。割高になるけど、普通の食欲の人では上ひつまぶしは多すぎる。茶碗4杯分のご飯って、体育会系の学生じゃないんだから。
ひつまぶしの基本的な食べ方の作法はこうだ。しゃもじでまず十文字に切り込みを入れて、4分の1を茶碗によそってそのまま食べる。まずはうなぎの味そのものを味わうわけだ。次に刻み海苔やネギなどの薬味を加えて4分の1を食べる。これだけでかなり味わいが変わるから不思議だ。個人的にはこの食べ方が一番美味しいと思う。三膳目はお茶漬けにして食べる。この場合のお茶は店によってもいろいろ特色があって、ただの日本茶ではない。ダシをベースにしたお茶で、これがうなぎと薬味によく合うようになっている。最後に残った4杯目は、自分の好きなようにして食べる。別に最初からうなぎを一気に混ぜてかき込んでもかまわないのけど、一応作法だけは知っておいて損はない。
櫃(ひつ)に入れて、うなぎを塗(まぶ)して食べるから、櫃塗し。でもこんな漢字ではみんな読めないから、ひらがなで表記するようになった。昔は、暇つぶしと思っていた人も多かったけど、最近はそういう人も少なくなった。いや、いまだにそう信じ込んでいる日本人が1万人やそこらはいるだろうけど。
どうしてうなぎ料理が名古屋名物になったかというと、実は愛知県の一色町(いっしきちょう)というところは日本のうなぎ生産高日本一で、愛知県は全国の全体の4分の1を占めるうなぎ王国だというのがある。浜名湖がうなぎの養殖では有名であるけど、静岡は4位でしかない。そのうなぎの多くは「うなぎパイ」に回ってしまうということもあるとかないとか。「あつた蓬莱軒」も、一色町のうなぎを使っているそうだ。
うなぎは、関東では背開き、関西では腹開きと言う。関東は背から開いて白焼きにして蒸してから焼くのに対して、関西は腹から裂いて蒸さずに金串に差して直接焼くという違いがある。名古屋は関西と同じく腹から開いて、頭と尾を落としてから焼く。たれを二度付けしたり、みりんをつけたりするというのも名古屋の特徴だ。
焼きはたいていどこでも備長炭を使っている。これによって香りも違ってくるので、店によってそれぞれこわだわりがあるのだろう。
日本でうなぎがいつ頃から食べられていたかははっきりしていない。縄文時代の遺跡から見つかっているというから、うなぎそのものは大昔から食べられていたようだ。
ある程度一般に食べられるようになったのは奈良や平安時代あたりからと言われている。「夏やせに 良しと言うものぞ うなぎ取り召せ」という大伴家持の句もある。
今のような形で庶民もうなぎを食べるようになったのは、江戸時代の中期、元禄以降のことだ。江戸時代もこの頃になるとすっかり平和を持て余していて、文化、芸能、芸術だけでなく食も多種多様になっていった。鮨や天ぷらなどもこの同じ時期に料理として確立していった。調味料としてのみりんが発明されたこともあって、うなぎもさかんに食べられるようになる。当時はうな丼ではなく蒲焼きが主流だった。
更にうなぎ人気が高まったのは江戸後期で、平賀源内の有名なキャッチコピー「土用の丑」の影響も大きかった。この本来根拠のない習慣が今になってもまだ続いているというのも面白い。
名古屋名物といえばすぐに赤味噌を思い浮かべる人も多いと思うけど、名古屋にはひつまぶしがあるということを覚えておいて欲しい。味噌カツ、味噌煮込み、味噌おでんなどは好みが分かれるところにしても、うなぎが嫌いじゃなければ、ひつまぶしにハズレはない。
名古屋に遊びに来て、最初で最後のつもりで食べるなら、やはり「あつた蓬莱軒」がいいと思う。格も値段も味も文句ない。一回きりなら2,500円も悔いなしとなるはずだ。「しら河」も安くて美味しいので、気軽に行ける店としておすすめしたい。浄心本店の他、今池ガスビル店、栄ガスビル店があり、JR名古屋タカシマヤにはお持ち帰り用ひつまぶし弁当がある。食べ比べるなら、この2軒と「いば昇」へ行けば、もう名古屋のひつまぶしはほぼ制覇したと言ってもいいだろう。
私はこれでまた5年くらい休みを取ろうと思う。次は5年後くらいに「いば昇」へ行く予定だ。ひつまぶしなんてのは日常的に食べるもんじゃないから。貧乏で5年間貯金をしなければ食べられないとかそういうことでは決してない。ただ、おごってくれるというのなら、明日にでも行きましょう。中川区にある「鰻の魚勇」がなかなか美味しいらしいから、そこへ案内しますよ。どうも、ゴチになります。