
三重県鈴鹿市にある伊勢国の一宮の椿大神社(つばきおおかみやしろ)を訪ねた(地図)。
友人の車に乗せてもらっていったのだけど、神社に近づいたところで突然、全身が総毛立つようなおかしなことになり、感極まってついには泣くという、通常あり得ない反応を示した自分自身に戸惑った。
それは歓喜とか畏れとかそういったものではなく、なんだか正体不明の変な感覚だった。駐車場に着いて思ったのが、「行きたくない」だった。
一の鳥居をくぐって参道を歩きながら感じた第一印象は、「なんかうるさいな」というものだった。
その頃には体調の異変はおさまっていたのだけど、この神社と波長を合わせるのに少し時間がかかった。
うるさいと感じたのは、ここの波動がすごく強いからだ。それはなんというか、縦ノリの音楽がガンガンかかっているくらい波動が騒々しい。アメノウズメとサルタヒコが宴会で歌い踊ってるのかというくらいな感じだった。
この神社をどう感じるかは人それぞれだろうけど、個人的にはすごく強い動的なエネルギーを感じた。それが波を打って境内に響き渡っている。全然鎮まっていないし、神々しい感じとも違う。
伊勢の神宮や瀧原宮のような清浄で圧倒的な静けさをたたえているのとは正反対の空気感で、他のどの神社とも似ていないと思った。
ここは心を静めにくる神社ではなく、沈んだ心を浮き上がらせるために訪れる神社という言い方ができるかもしれない。
導きの神というけど、優しくこっちがいいですよなんてふうではなく、強引に腕を引っ張り回し、押すなよ、押すなよと言っても後ろから思い切り背中をどつかれるくらいの荒っぽい導き方だ。
迷いを捨てて思い切って進めというメッセージを受け取ったと思った。

鈴鹿市内からだいぶ山の方に入ったところに椿大神社はある。
神社の背後は鈴鹿山系の山で、高山入道ヶ嶽と短山椿嶽(ひきやまつばきがたけ)を御神体として崇めたことも椿大神社創建につながっている。
伊勢国の一宮というと伊勢の神宮ではないかと思うかもしれないけど、あれはすべての神社の中で別格なので、一宮ではない。この椿大神社が伊勢国の一宮だ。
『延喜式』神名帳に「伊勢国鈴鹿郡 椿大神社」として載っている。
都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)を伊勢国一宮とする説もあるけど、この椿大神社を差しおいてそちらが一宮だったというのはちょっと考えにくい。
ただ、伊勢国総社が伊奈冨神社(鈴鹿市稲生西)と三宅神社(鈴鹿市国府町)と2社あり、国府も奈良時代のものと平安時代のものと2ヶ所あったりと、いろいろ複雑な事情がありそうなので、簡単に決めつけない方がいいかもしれない。
奈良時代の国府は鈴鹿市広瀬町にあったことが発掘調査で分かっている。大量の瓦や主要建物の跡などが見つかっている。
その後移った平安時代のものに関しては、鈴鹿市国府町にいくつかの痕跡が見つかっているものの、はっきりしたことは分かっていない。
伊勢国分寺も鈴鹿市国分町にあったことが分かっている。伊勢国分尼寺も近くにあったとされるも、こちらは主要な建物の遺構は見つかっていない。
古代、伊勢国の中心は伊勢ではなく鈴鹿にあった。それは古東海道の関所、鈴鹿関(すずかのせき)があったことと無関係ではない。関があった場所は三重県亀山市関町新所が有力とされている。
789年に鈴鹿関が廃止されたあとは、鈴鹿峠の道(阿須波道)が開かれた。
ここ鈴鹿は、ヤマトタケル終焉の地とされ、いくつかの伝説が残されている。
伊吹山の神にやられて大和に戻る途中、力尽きたのが能褒野(のぼの)の地とされる。そこには能褒野神社(のぼのじんじゃ)や能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)があり、ヤマトタケルゆかりの加佐登神社(かさどじんじゃ)や白鳥古墳などもある。

境内にはスギやヒノキの巨木などもあり、鬱蒼と生い茂る森となっている。

手水舎やその他のところにカエルがたくさんいる。
サルタヒコの使いがカエルとされるためなのだけど、どうしてカエルなのかはよく分からない。
サルタヒコは天孫ニニギ一行を高千穂まで道案内して送り届けた後、アメノウズメと一緒に故郷の伊勢に戻って漁をしていたとき、比良夫貝に足を噛まれて死んでしまったということになっている。
しかし、黄泉の国から蘇ったという話があり、よみがえる、黄泉カエル、カエルと転じてカエルが使いになったのだとか。
夫婦岩で知られる二見の二見興玉神社にも多くのカエルがいる。あのカエルは「無事カエル」とか、「貸した物がカエル」などといわれている。
二見興玉神社は夫婦岩の沖合700メートルほどの海底にある興玉神石を御神体としてサルタヒコを祀る神社だ。
古くは、伊勢の神宮へ行く前に二見で禊(みそ)ぎをしてから行くのがならわしだった。
伊勢の外宮の近くには猿田彦神社があり、サルタヒコは伊勢の神宮とも親しい関係にある。
椿大神社がどうして椿なのか、はっきりしたことは分からないようだ。境内に椿がたくさんあったからとか、仁徳天皇の時代に霊夢に椿が出てきたから名付けたなどとされている。短山椿ヶ嶽から来ているのかもしれないけど、椿ヶ嶽よりも神社の方が先という可能性もあるだろうか。
「大祓詞(おおはらえのことば)」の中に出てくる高山、短山は、この椿大神社の御神体の山から来ているのだろう。
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ
(かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて あめのやへぐもをいつのちわきにちわきて きこしめさむ}
國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ
(くにつかみはたかやまのすゑ ひきやまのすゑにのぼりまして たかやまのいぼり ひきやまのいぼりをかきわめてきこしめさむ)
このように祓の祝詞を唱えれば天津神は高天原の宮殿の磐門を開いて、天にかかる八重雲を吹き払って、言葉を聞き入れてくれるだろう。国津神は高山、短山の頂上に登って、たちのぼる雲や霧を払って聞いてくれるだろう、といった意味だ。
高い山、低い山としてるものもあるようだけど、高山、短山といえば、やはり鈴鹿のこの山と椿大神社のことを指しているのではないかと思われる。


主祭神として猿田彦大神を祀るほか、相殿に瓊瓊杵尊(ニニギ)、栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ/ニニギの母)を祀る。
その他、天之鈿女命(アメノウズメ)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)、行満大明神(ぎょうまんだいみょうじん)も祀っている。

別宮・椿岸神社(つばきぎしじんじゃ)が少し離れた隣にある。
芸能の神でもあるアメノウズメを祀っている。
一緒に太玉命(フトダマ)と天之児屋根命(アメノコヤネ)も祀る。
こちらは本殿のあるエリアとはまた違った気に包まれている。優しく穏やかでちょっといたずらっぽい感じ。本殿の奥でアメノウズメがフフフと口を隠して意味深に微笑んでいる姿を想像した。

願いを叶えてくれるという、かなえ滝。
山の方から流れてくる清浄な水で、万病に効く霊水とされる。
浄化作用もあるということで、我々も持っていったものをここで清めさせてもらった。

賑やかしいと感じた境内の中で、行満堂神霊殿だけはとても静かだった。ここだけは他とは違う異空間だ。椿大神社の中で最も印象に残ったのがこの場所だった。
猿田彦大神の末裔とされる行満大明神などを祀っている。

中には入れないのだけど、外からのぞいているだけでここがものすごく居心地のいい空間だということが分かる。結界が張られたように外界とは隔絶されていて、守られすぎているだけにかえって危ういと感じた。こんなところにいたら、外のことなどどうでもよくなって出られなくなってしまう。
写真を見ているだけで心がしんとする。

サルタヒコが眠る場所とも伝わる土公神陵(どこうしんりょう)。
この古墳(前方後円墳)の近くにある御船磐座(みふねいわくら)近くに道別大神の社として社殿を建てたのが、椿大神社の実質的な創建とされる。それは伊勢の神宮の場所を決めた倭姫命(ヤマトヒメ)も関わっているという。
もう少し写真があるので、後編につづく。
【アクセス】
・東名阪自動車道の鈴鹿インターチェンジから約10分
・無料駐車場 あり(500台)
・JR四日市駅から三重交通バスで約1時間
・近鉄平田駅またはJR加佐登駅から鈴鹿市コミュニティ・バス(椿・平田線)で約50分
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