
OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm DC(f3.5-5.6), f3.5, 1/13s(絞り優先)
子供の頃の私は人並みにおみくじ好きだった。両親と神社へ行ったとき、よく引いていた記憶がある。まったく引かなくなったのはいつからだろう。高校生くらいからだろうか。それ以来、おみくじに限らず、神頼みとか占いとかを否定する時期が長く続いた。
今年の正月、久々に引いたおみくじは、正吉だった。五郎の丸太小屋を燃やしてしまった正吉だけど、蛍ちゃんをもらってくれてありがとう。って、その正吉じゃないだろう、小吉だ。
小吉は吉よりいいと思っていた。大吉、中吉、小吉、吉、末吉、凶、大凶だと。でも調べたら違った。大吉、中吉、吉、小吉なんだそうだ。もしくは、大吉、吉、中吉、小吉としているところもあるんだとか。意外にもおみくじ界というのはマイルールがまかり通るものだったのだ。私が引いた城山八幡宮ではどういう順番だったのだろう。
割合としては、大吉15%、吉35%、凶30%で、残りがそれぞれ5%くらいというのが一般的なんだそうだ。思ったよりも大吉が多いのと、凶が30%もあるというのはちょっと驚いた。ただ、この世界における幸運な人と不運な人の割合を見ると、もっと大吉は少なくて吉が多くてもいいようには思う。大凶的な人も10パーセントはいそうだ。
吉や凶は大まかな目安であって順番にそれほど意味はなく、書かれている内容こそが大事である、というのが神社側の言い分だ。神の言葉としてしっかり聞くように、と説明している。神の言葉が200円というのもどうなんだと思いつつ、一応そういうことで納得しておこう。
引いたおみくじをどうすればいいのかはっきり分からないまま、みんなが結びつけているところに自分も結んで帰ってくるという人も多いと思う。私も今回勉強するまで分かってなかった。
よく言われているのが、悪いものが出たときは結んでいって、いいものが出たときは持っておくのがいい、というものだ。けど、必ずしもそれは正しくないようだ。
もともとは結ぶが縁結びに通じることから、縁結びの神社でおみくじを結ぶという習慣だったものが広く一般化していったらしい。おみくじを結ぶということは、その神社と縁を結ぶということでもある。
木の枝に結ぶのは、木の生命力にあやかって願い事が結びますようにという願いを込めて行われていたのだという。ただ、木にとっては迷惑な話で、成長のさまたげになったりするのであまりしない方がいいらしい。ちなみに、おみくじを結ぶ場所のことを、みくじ掛と呼ぶらしい。または、おみくじ結び所とも言う。
よい悪いにかかわらず、持ち帰っても、戒めとして持ち歩いてもいいそうだ。いずれにしても、その場合はあとになってもう一度結びに行かなくてはいけない。願いが成就したときや、たとえば一年後とかに。持ち帰って机の中にしまったまま忘れてしまうのはよくない。結ぶところは、おみくじを引いた神社でなくてもそうだ。
その他、凶のおみくじは利き手と反対の手で結べば、困難を克服したということで凶が吉に転じるという話もある。
おみくじは参拝が済んでから、神妙な気持ちで引くべし。冗談のつもりでやっていけないのはコックリさんと同じこと。一度に2回以上引くこともよくないこととされている。
おみくじは、御神籤と書く。寺のおみくじは御仏籤になる。
古代社会において、おみくじは国のまつりごとを決めるときに行われた祭事の一種だった。神の意志を知るための手がかりとして。「日本書紀」にも出てきている。
現代のようなおみくじスタイルを作ったのは、平安時代の元三大師というお坊さんだと言われている。鎌倉時代から今のような形になり、一般庶民にとってお馴染みになったのは江戸時代に入ってからだ。
元三大師の本名は、慈恵大師良源という。正月の三日に死んだので元日三日で元三と呼ばれるようになった。私がおみくじを引いたのがたまたま1月の3日だった。たまには引いておけよという元三大師からの助言を無意識に聞いたのかもしれない。ありがとう、大三元師。じゃない、元三大師。
良源というのは比叡山のかなり偉い坊さんだったようで、数々の業績も残し、尊敬もされている人物だ。ただのおみくじ発明王ではない。でも、特許を取っていたら大金持ちになっていた。元三大師を祀っている神社もある。

城山八幡宮の裏手に、連理木(れんりぼく)と呼ばれる御神木がある。あまり一般には知られてない存在のようで、初詣客で賑わう本殿周辺の喧噪とは裏腹にこちらは訪れる人もまばらでひっそりとしていた。予習してこないとここの存在にはなかなか気づかないだろう。本殿左手にある道を3分ほど歩いて裏手に回ったところにそれはある。
自生のアベマキで、高さ15メートル、幹周りは3メートル50と、名古屋では最大のアベマキだ。地上3メートルあたりのところでいったん幹が分かれて、6メートルほどで再び一つになっている。こういう木を連理木と呼んで、昔から吉兆とされてきた。
白楽天は「長恨歌」の中でこう詠った。
「天に在りては願わくは比翼の鳥とならん。地に在りては願わくは連理の枝とならん」と。
比翼とは、目と翼を一つずつしか持たず、常に一体となって飛ぶ雌雄の鳥のことだ。
この連理木も、夫婦円満と縁結びの木として信仰の対象となっている。
主君織田信長を討つと思い定めた明智光秀は、前日に愛宕山の愛宕大権現でおみくじを引いている。光秀は信長とは対照的に信仰心の厚い男だった。
引いたおみくじは3回。大凶、凶、大吉の順番だったとも、凶、凶、凶だったとも言われる。本能寺の変の動機がなんであれ、神仏に問いかける気持ちが強かったのだろう。3度引いたというところに大いなる動揺が見て取れる。それでも、3度目の結果で決心は固まったのだろうか。
現代の私たちは、おみくじにさほど重きを置いていないところがある。雑誌の占いコーナーを読むような軽い気持ちでおみくじを引く。それが間違いではないけれど、せっかくの言葉だからしっかりと受け止めたい。いいことは誉め言葉として、悪いことは警告として。吉でも大吉でも大凶でも、どういう姿勢で対処すればいいのかそれぞれのやり方がある。サッカーの格言で、後ろからの声は神の声、というのがある。自分では気づかないところから掛けられる声は、それがどんなものであっても神の声なのだ。聞き流してしまうのはもったいない。
たかがおみくじ。けど、それを生かすも殺すも本人次第。連理木に結びつければもう安心とかそういうことではない。神の助けは自分の限界を超えた先にこそ得られるのだ。