下飯田の六所社とヒルコの話

神社仏閣(Shrines and temples)
六所社入り口

 地下鉄名城線の平安通駅と志賀本通駅の間、通りから少し北へ入ったところに神社があるのは知っていた。鳥居が見えていて少し気にはなっていたのだけど、なかなか寄る機会がなくてそのままになっていた。
 近くまで行ってみると六所社とある。わっ、六所社か、と思う。名古屋北部にはいくつかの六所社があるのだけど、由緒などが分からないところが多いので、ちょっとやっかいな神社という印象が私の中にある。
 以前、矢田の六所神社を紹介した。
 矢田の六所神社はどうして六所なのか
 あのときも、どうして六所神社という名前が付けられたのか分からず保留になっている。
 今回紹介する六所社も、矢田の六所神社とはまた別の意味で分からない神社というのが仮の結論ということになる。
 住所でいうと、北区下飯田町になる。

 一般的に六所社というのは、六柱の神を祀っているとか、六つの神社を合祀して祀ることでそう呼ばれるようになったというパターンが多い。下飯田六所社は後者ということになる。
 創建のいきさつは伝わっていない。
 明治から大正にかけて、このあたりに工場が多くできると邪魔になった小さな神社は六所社に集められることになった。それが大正三年(1914年)のことという。
 そのとき合祀されたのが、神明社、天神社、熊野社、金比羅宮、八龍社、山ノ神社の六社だったことから六所社と呼ばれるようになったのだとか。
 それなら何の疑問もないではないかと思うだろうけど、分からないのはそれ以前は八幡社だったというのだ。
 現在の六所社の祭神は、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、ツクヨミ、ヒルコの六柱となっていて、八幡神はどうなったのかと思ったら、本殿脇の奥まったところ小さな社があって、そこに祀られている。ほとんど末社のような扱いを受けている。どうしてこんな逆転が起きてしまったのだろう。
 八幡社の創建はいつのことなのか。江戸時代なのか、それより前なのか。
 何しろこの神社に関する情報が少なくて、私の調べはここで行き詰まってしまった。今回もまた、六所社が保留となってしまったわけで、私の六所社に対する苦手意識のようなものがますます強くなりそうな予感がしている。
 東区矢田と下飯田以外に、上飯田の六所宮や西区比良の六所社などがある。私が把握していないところもあるかもしれない。
 こうなったら六所社を全部回って、それぞれの由緒を調べた上で、関係性を考えないといけないだろう。特に上飯田の六所宮は下飯田と祭神の顔ぶれがまったく一緒なので、無関係ということはなさそうだ。
 ちなみに、このあたりは明治の頃、六郷村という名前だった。
 明治22年(1889年)に、大曾根村、大幸村、矢田村、山田村、上飯田村、下飯田村が合併して六郷村となった。
 六所神社の名前がそこから来ているということはないだろうけど、可能性としてなくはないのか。
 六郷村は東区に編入されたあと、昭和19年(1944年)に東区を分割して北区ができたときに西半分が北区になった。



六所社一の鳥居

 金属製の一の鳥居。銅製とかだろうか。
 八幡社の名残がないのは鳥居もそうで、八幡鳥居ではない。
 周辺の神社を合祀したからといって本体が脇に追いやられてしまうことはあまりないと思うのだけど。



六所社二の鳥居から見る拝殿




六所社拝殿

 ところで、六柱の祭神の中に何気なくヒルコ(水蛭子/蛭子命)が混じっている。これははっきりした意図があったのか、それともイザナミ、イザナミのファミリーだからついで入れておけとなったのか、そのあたりが気になる。本来であればヒルコはこのファミリーには入れない。いなかったことにされた子だからだ。
『古事記』ではイザナギとイザナミの最初の子として生まれるも、奇形児ということで葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。子作りのときに女のイザナミから誘ったのがいけなかったとかなんとか、訳の分からない理屈で、なかったことにされてしまう。
 続いて生まれたアハシマ(淡路島のことではない)も、どういうわけかいなかったことにされてしまう。なので、公式にはアマテラスが最初の子で、次がツクヨミ、その次がスサノオということになっている。
『日本書紀』では少し違っていて、生まれてすぐではなく3歳になっても足が立たないのでアメノイワクスフネに乗せて流したとある。順番も最初ではなく、アマテラス、ツクヨミの次となっている。
『日本書紀』でアマテラスは、オオヒルメノムチとなっていて、ヒルメとヒルコは対になっているのではないかという説がある。
 流されたヒルコがどうなったかというと、各地で流れ着いたヒルコを育てて神になったという伝説を生んでいる。特に有名なのが兵庫県の西宮神社で、ヒルコは摂津国西の浦に流れ着いて、土地の人が拾って戎三郎(エビスサブロウ)と名付けて大事に育て、やがて神となり祀られるようになったとされる。
 古来、海の向こうから流れ着くものは縁起がいいものとされ、のちに七福神の恵比寿様と結びついて信仰の対象となった。
 蛭子能収(えびすよしかず)のようにヒルコをエビスと読ませるのも、そこから来ている。

 それにしても、ヒルコというのはどういう神なのか。どういう存在で、どんな意味を持つのか、いろんな人がいろんなことを言っているけど、実際のところよく分からない。
 蛭の字を当てたのは何か意味があってのことのように思うけどどうなのか。蛭子というだけでなく水蛭子と水がつくのはどういう意味を持たせようとしているのだろう。
 ヒルコとヒルメは双子で、双子は不吉とされるから片方を葬ったという説はなんとなく納得してしまいそうになる。
 ヒルコの段は国生みのことをいってるから、それを神として考えるのは間違っているのではないかという指摘もなるほどと思う。だとすればヒルコやアハシマは土地のことか、もしくは島のことを指しているのだろうか。
 一番よく分からないのは、『古事記』や『日本書紀』に関わった人たちは、何故このエピソードを書き加えたのかということだ。このあと、国生みを無事終えて、子供も生んで、世界は動きだし、回り始める。わざわざその前の失敗を書くには、そこに何らかのメッセージをこめたということだろう。何かの象徴かもしれないし、逆に何かを隠すためにわざと違うことを書いた可能性もある。最終的に天皇もこの記述を認めたということだろうから、それが何を意味するのか分かっていたということだろう。
 名古屋の神社でここ以外にヒルコを祀っている神社があったかどうか、ちょっと記憶がない。境内社に蛭子社というのがあった気がするけど、本殿に祀っているところは少ないんじゃないだろうか。
 六所社問題、ヒルコ問題ともに、解決しないままいったん棚上げということになる。



六所社拝殿額




六所社境内の様子




六所社天神社

 天神社。



豊藤稲荷




六所社授与所と結ばれたおみくじ




六所社御嶽神社

 御嶽神社。
 尾張大國霊神社も独立した境内社となっている。



六所社橋の欄干

 かつて近くを流れていた川はすでに姿を消してない。
 それらの川に架かっていた橋の欄干や台座などが六所社の境内に集められている。
 隣にある有終館というのがどんな建物なのかは分からない。



六所社境内の母子


【アクセス】
 ・地下鉄名城線「志賀本通駅」から徒歩約5分
 ・駐車場 不明
 ・拝観時間 終日
 
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