矢田の六所神社はどうして六所なのか

神社仏閣(Shrines and temples)
矢田六所神社入り口鳥居

 名古屋市東区矢田にある六所神社を訪ねた。
 ナゴヤドームの西500メートルほどのところにある。旭が丘高校の裏手で、神社の北には三菱電機の大きな工場が建ち並んでいる。
 かつてこのあたりには六所の森、別名暗がりの森と呼ばれる昼なお暗い森が広がっており、森の中に入るときは昼でもたいまつを焚いたほどだったという。森自体が信仰の対象であり、神社はその中にあった。
 創建についてはっきりしたことは伝わっていない。一説によると、建てられたのは鎌倉時代前期の建久年間(1190年-1199年)で、幕府の御家人だった山田重忠が創建したという。
 本当だろうか? まさかここでも山田重忠の名前が出てくるとは思わなかった。山田重忠に関しては以前書けるだけ書いた。
 山田重忠について私が書けることのすべて
 1221年の承久の乱で命を落としたときが56歳だったという説を信じるならば、山田庄の御家人になった1185年は20歳前後で、六所神社創建時は30歳前後ということになり、年代の辻褄は合う。

 創建時は六所社と称してカミムスビ(神皇産霊神)を祀っていたという。
 六所という名前とカミムスビは何を意味しているのかと考えてしまう。本当に創建したのが山田重忠で、カミムスビを祀る神社を建て、名前を六所としたとすると、そのいきさつが全く理解できない。
 カミムスビは、天地開闢(てんちかいびゃく)のとき、アメノミナカヌシ(天之御中主神)、タカミムスビ(高皇産霊神)に続いて高天原に出現した造化の三神のうちの一柱だ。姿は見せないものの女神であるとされている。オオクニヌシがピンチのときに二度も生き返らせるなどの活躍を見せたこともあって出雲と関わりが深い。
 タカミムスビとセットで祀る神社はいくつかあるものの、カミムスビ単独で祀る神社はあまりない。皇室の神という性格が強く、庶民の間の信仰の対象というのとは違う。何故、重忠はこの地でカミムスビを選んだのか。そこには必ず理由があったはずだし、必然性がないはずがない。そこが分からない。山田重忠は領主である以前に武士であると考えると、どうにもカミムスビとはつながらない気がする。

 六所神社という名前の神社は全国にいくつかある。創建のときに六柱の神を祀ったとか、合祀して六柱の神を祀ったことで改名したというパターンが多いようだけどそれだけではない。
 令制国のうち、出羽国総社 安房国総社 武蔵国総社 下総国総社 相模国総社 出雲国総社はそれぞれ六所神社となっている。総社というのは、その地区の祭神を集めて祀った総合神社のようなものだ。
 名古屋にもいくつか六所神社があり、北区、東区の北部に集中している。式内社の別小江神社(わけおえじんじゃ)も六所明神と称していた時代があった。
 愛知県で有名なところでいうと、家康の祖父・松平清康が創建したと伝わる六所神社が岡崎市にある。三代将軍・家光が再建した社殿は重要文化財に指定されている。
 六所神社が一番多い地区は静岡県西部で、60社ほど密集している。 

 一体、六所神社とはどういうものなのか。「ろくしょ」という語感に何か特別なものがあるのか、六という数字に意味があるのか。
 矢田の六所神社に関しても、どういうたぐいの神社なのかよく分からなかった。現地に赴いて境内に身を置いて写真を撮ったりすると、その神社の性格みたいなものが分かることもあるのだけど、矢田の六所神社についてはなんとも捉えどころがない神社と感じた。暗がりの森と呼ばれた頃の面影を今の六所神社に見るのは難しい。江戸時代には1,800坪ほどあったという敷地も、今はずいぶん狭くなった。
 江戸時代後期の1844年に発行された『尾張志』の中に六所社を見つけることはできない(私が見落としているだけかも)。ただ、江戸時代前期、尾張二代藩主・光友の命で編さんされた『寛文村々覚書』(1661年-1673年)の中で六所大明神として出てくるそうだ。
 江戸時代から見た鎌倉時代というのがどれくらいの距離感のあるものなのか上手く想像できないのだけど、すでにその頃には矢田の六所神社に関する由緒などはきちんと伝わっていなかったのかもしれない。500年、600年というのは、遠いといえば相当遠い。



矢田六所神社拝殿前

 明治時代前期に改修した社殿は第二次大戦の空襲で焼けてしまい、現在のコンクリート造のものは昭和42年に建てられたものだ。
 古いものはほとんど残ってないと思われる。



矢田六所神社本殿

 現在の祭神はカミムスビではなく、イザナギ(伊邪那岐命)、イザナミ(伊邪那美命)となっている。神仏習合の歴史もあって、時代のどこかで入れ替わったのだろう。
 加賀国(石川県)の白山比め神社(しらやまひめじんじゃ)から勧請したという話だけど、だとしたら肝心のククリヒメ(菊理媛神/白山比め大神)はどうしてしまったのか。ククリヒメを祀ってしまうと白山神社になってしまうから避けたということなのか。
 白山神社でイザナギ、イザナミをセットで祀るのは、ククリヒメが仲違いをした両者の仲裁をしたことから来ている。縁結びの神とされるのはそのためだ。
 各地の白山神社ではククリヒメ抜きだったりイザナギかイザナミを単独で祀るところもあるから、ククリヒメ抜きというのが特別不自然というわけではないのだけど。



矢田六所神社境内の猫

 神社の祭りは毎年2月26日に行われ、カッチン玉祭りと呼ばれている。それはこんなエピソードから来ている。
 ある日、神社のある森のはずれで赤ん坊の泣き声がした。不審に思った村人が確かめようと森に入ったところ、いい身なりをした若夫婦が生まれたての赤ん坊を抱いていた。森の清水を産湯にしていたところだったようだ。それでひと安心した村人ではあったのだけど、7日後、その夫婦は忽然と姿を消してしまった。その話が村から近隣に伝わり、それはきっとマレビト(異界からの訪問者もしくは霊的存在)に違いないということになり、伝言ゲームでだんだん変化して、神社で安産祈願をして清水を産湯にするといいことがあるらしいという話になっていったという。
 夫婦がいなくなった日が旧暦の2月26日で、その日が祭りの日となった(現在は新暦の2月26日)。
 カッチン玉というのは竹に飴を巻きつけて固めたもので、子供のへその緒をかたどったものとされる。安産祈願や子供の健やかな育成に御利益があるとされている。一年でこの日しか買えないということで、普段は静かな六所神社もこの日ばかりはちょっとした賑わいになるのだとか。境内には多くの露天も並ぶそうだ。



矢田六所神社龍神社

 境内社に黒龍、白龍を祀った六所龍神社がある。
 かつての中日ドラゴンズの球団社長が龍神社を詣ったところ、3連勝が二度続いて6勝になり、六所だけに縁起がいいということで、それ以来ナゴヤドームのオープン戦初戦の日にドラゴンズの選手や関係者で優勝祈願をするようになったのだとか。
 ただ、球団社長の交代もあり、近年は行われていないとも聞く。
 授与所が開いているときは、ドラゴンズ関連のお守りやグッズなどを販売しているそうだ。



矢田六所神社絵馬




矢田六所神社池の鯉




矢田六所神社稲荷社




矢田六所神社境内


【アクセス】
 ・JR中央本線「大曽根駅」から徒歩約20分
 ・地下鉄名城線「ナゴヤドーム前矢田駅」から約15分
 ・無料駐車場 あり(祭りの日は駐車不可)
 ・拝観時間 終日
 
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