
名古屋市昭和区広路町石坂の須佐之男神社。前回紹介した白髭稲荷大明神とは隣り合ってはいても関係はなさそうだ。白髭稲荷の入り口が南側なのに対して須佐之男神社の入り口は東側にある。社殿も東を向いている。
名古屋では独立した稲荷神社が少ないように、須佐之男神社もあまり多くない。以前紹介した東区に小さな須佐之男神社がいくつある以外は、中村区の素盞男神社や中川区の須佐之男社くらいしかないようだ。愛知県を代表する神社のひとつで天王総本社の津島神社の祭神はスサノオだから、もっとたくさんスサノオ関係の神社があってもよさそうなものなのに。境内社の津島社や天王社は多い。
ちなみに、スサノオを主祭神とする代表的な神社としては、京都の八坂神社、出雲の須佐神社、さいたま市の氷川神社などがある。

創建は江戸時代中期の1773年。名古屋城下の武家屋敷が集まる東区水筒先町(すいとうさきまち/現筒井一丁目)に住む尾張藩士の西村なんとかという人が津島神社から勧請して邸宅内に社を建てたのが始まりだそうだ。やはりこの神社も東区由来のものだったのか。あのあたりの武家の間ではスサノオが流行っていた。
現在の昭和区石坂に移されたのは明治35年(1902年)のことという。どういう事情があったのかはよく分からない。
戦中の昭和19年(1944年)、村社に昇格。
戦後の区画整理で境内がだいぶ削られ、あらたに道路を作ったら神社が袋小路の中になってしまい、困っているところを八事山興正寺から土地を寄付してもらうことになったそうだ。飯田街道を挟んでこちらがもかつては興正寺の敷地だったのか。

祭神のスサノオについては以前何度か書いている。
信長、秀吉も大事にした津島神社へ行ってスサノオと友達になっておこう
境内社として、カグツチ(火之迦具土神)を祀る秋葉社、オオモノヌシ(大物主神)を祀る金比羅社、オオヤマツミ(大山祇命)を祀る山之神がある。
これらは興正寺の門前にあったもので、土地を譲り受けた際にこちらに移されたとのことだ。


尾張造と呼ばれる社殿は、拝殿、祭文殿、本殿が廻廊でつながれて左右対称になっているのが特徴だ。
尾張地方特有の建築様式で、津島神社や真清田神社、尾張大国霊神社、高座結御子神社、氷上姉子神社などがそうだ。
熱田神宮ももともとは尾張造だったものを、明治に入って神明造にしてしまった。
尾張氏に関係があることは間違いないだろうけど、どうして尾張地方にしかないのかはよく分からない。
この須佐之男神社が元から尾張造だったのかどうかも不明だ。





入り口の鳥居と拝殿は大正13年(1924年)に造られたものだ。
このあたりは空襲の被害を受けなかったのだろう。興正寺も空襲にあったという話は聞かない。
【アクセス】
・地下鉄鶴舞線「いりなか駅」から徒歩約12分。
・駐車場 なし
・拝観時間 終日
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